わが人生に刻む言葉

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ウシオ電機会長、牛尾治朗

かつて、修業とか修養とかは精神的に豊かであるために、つまり人間が人間らしく暮らしていくために必然のものでした。そうでなければ、ともすれば不足、不便がつきまとう暮らしに押しつぶされて、人間らしく生きられなかったからです。
だが、何もかもが満ち足りて便利になると、人間は自分を鍛えることを放棄してしまった。自分の精神のありようがどうだろうと、物質的な豊かさや便利さが補いをつけてくれるからだ。少し持って回った言い方をすると、精神の物質化ということになります。修業したり修養を積んだりして自分を鍛えることが疎かになると、自分を見つめることが少なくなりますから、人間はどうしても自分に甘くなります。謙虚さが失われます。その結果として、自分中心になりがちです。自分に甘く、謙虚さがなく、自分中心の考え方をし、行動をとる。
最近、そういう傾向が強まっているのは、精神を物質化させ、それでよしとしている風潮と無関係ではない。残念ながら、政界や財界のリーダーと目される人びとにも、出処進退に関してそういうことが間々見られます。

■「春風を以(もっ)て人に接し、秋霜(しゅうそう)を以て自ら粛(つつし)む」江戸時代の儒者・佐藤一斉の『言志四録』より。
人に対するときは春風のように穏やかで和やかな心、伸びやかで寛大な心で接し、自分に対するときは秋の霜(しも)のように鋭く烈(はげ)しく厳しい心で律していかなければならない、という意です。対人関係の基本にこの心がけを据えることができる人は、修業や修養によって自分を厳しく鍛えている人です。だが、現実にはこの逆の人が増えているように思われます。人には秋霜の心で接し、自分に春風の心で対する人です。何か問題が起こると、その原因や責任は他人のせいにして、自分には関わりがないとばかり顔を拭ってやり過ごそうとする人が何と多いことか。自分に対して春風の心でいるから、そうなるのです。

■「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」これは、秋の冷たい霜や、夏の焼けつく激しい日差しのような、厳しい気候のことをいう。
刑罰や権威などが極めて厳しくおごそかであることを指す。日本の検察官のバッジのデザインともなっている。しかしながら、普段人と接するときは、これとは反対の言葉、「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」でなければならない。春風駘蕩とは、春風がそよそよと気持よく吹くことをいい、温和で、のんびりとして、のどかな人柄をさす。そして、自分に対しては「秋霜烈日」で厳しく律していく。シビアな自己コントロールだ。それを「自律」という。

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『未来の呪縛』

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ジャーナリスト、河合雅司

なぜ、日本の少子化はここまで深刻な状況になってしまったのであろうか。2017年の年間出生数は94万人ほどにとどまり、2年連続での100万人割れという危機的状況にある。戦後のベビーブーム期には270万人近くいたことを考えれば、わずか70年ほどで3分の1になった計算だ。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計によれば、このままで推移すれば2115年の出生数は31万8000人まで減る。こんなハイペースで減ったのでは、日本人はやがて絶滅のときを迎えよう。それにしても日本の少子化は異常だ。

一般的に、文明が成熟すると少子化は進む。経済が発展して多くの人が豊かになると死亡率が下がり、同時に出生率も低下する傾向がみられるのだ。だが、少子化が文明の成熟だけで起こるのならば、先進国はおしなべて少子化に直面していなければいけないはずだ。だが、調べてみると、そんなことはないのである。

2010年を「100」とした場合、50年後の2060年には、先進各国の総人口がどうなっているかを、社人研が予測している。人口が減るのは日本、ドイツ、韓国だけである。
中でももっとも減少幅が大きいのが日本の67.7だ。韓国は89.9で、ドイツは79.1だ。日本の突出ぶりが分かるだろう。それ以外の国はどうなっているのか。アメリカは142.1と今より40%も増加が見込まれているし、オーストラリアは163.1と大幅な増加が予測されている。伸び率こそ少ないが、イギリスが131.4、フランス116.8である。イタリアは102.8とほぼ横ばいと予測されている。同じ先進国でもこれだけの違いがあるわけだ。

なぜ人々は鈍感だったのだろうか。少子化の影響というのは、変化が乏しいことに原因がある。「きのう」と「きょう」で違いを見つけることなど不可能であろう。いまだ呑気な人は少なくない。国会議員や首長からしてそうだ。この期に及んでも「少子化に歯止めをかけます」と威勢のいい公約を掲げている。
残念ながら日本の少子化は止まらない。なぜならば、過去の少子化で子どもを産める年齢の女性が減ることが決まってしまっているからだ。今、我々がやりうることといえば、少子化に歯止めをかけるというスローガンを掲げることではなく、少子化のスピードを緩めるためにあらゆる手立てを講じることである。そして、少子化を前提とし、それに耐えうる社会へと土台から作り直すことだ。こうした地道な努力を続ける中で、いずれ出生数が本格的に回復する時期が到来するのをじっと待つしかない。

■少子化に歯止めをかける10の提言
1.高校同級生ボランティアチームの結成  
2.お見合いの普及  
3.「未来の人生年表」をつくる  
4.20代対象の「母親応援手当」の創設  
5.第3子以上に1000万円給付  
6.「父親休暇」制度の導入  
7.子育て世帯の全国転勤凍結  
8.「全母親支援センター」の全国展開  
9.「育児保険」の新設  
10.ゼロ歳に選挙の投票権を付与  
【番外】社会保障費循環精度の導入

10のゼロ歳に選挙の投票権を付与とは、米国の学者、ポール・ドメイン氏が提唱している。子どもたち「1票」を与えるといっても、直接投票させるわけではなく、保護者が代理人となり、子育てにプラスになるような政策を掲げている候補者に投票をできるようにするということ。

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『日本人である幸せ』

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金美齢

私は2009年秋に、日本国籍を取得した。この理由については、さんざんあちこちで語っているが、2008年の台湾総統選の民進党敗北がきっかけであった。日本人として日本のパスポートを持った瞬間、私は国際社会に歓迎されるようになった。日本のパスポートで渡航できる195ヵ国のうち、事前にビザ申請が必要な国はせいぜい60ヵ国あまり、つまり130ヵ国以上を事前のビザ申請なしで訪れることができる。
たとえ事前ビザ申請が必要だとしても、日本パスポート所持者に対する事前審査はさほど厳しくない。パスポートコントロールを通過するさいも、日本パスポート所持者に対する各国のオフィサーの態度は心なしか丁寧で親しみにあふれている。税関の荷物検査も、心なしか緩やかだ。パスポート無し時代、中華民国パスポート時代を知っているだけに、私には日本パスポートは魔法のパスポート、パスポートにミシュランガイドがあるならば、三ツ星どころか五ツ星のパスポートに思えた。これは、日本のもつ国際社会に対する国家イメージが極めて良好だからである。先人たちが積み重ねてきた功績でもある。日本人はそういう日本をもっと誇りに思うべきだろう。

私が無性に腹のたつことがあるとすれば、それは日本人なのに、国家を否定し、国旗や国歌を侮辱しながら、日本のパスポートで平然と海外に行き、日本国政府に身元を保証されていることが当然だと思っている人たちがいることである。国家の庇護を受けながら、その国を否定するその手の人々は「私は世界市民、コスモポリタンだ」とうそぶき、国境があるから争いがあるのだ、とわけのわからない理想を掲げる。しかし、国際社会というのは国家の集合体である。いずれの国家にも属さない人間が国際社会に受け入れられるはずがない。他国の侵略を受け、伝統的文化をないがしろにされ母語も定まぬ悲哀を一度も経験したことのない若い日本人が、「ほとんどの人は国を守るのは何となく当たり前だと思っている(と思う)。だけど本当にそうなのか?」といった疑問を本気で、訴えているのを聞くと、この国の未来に不安を感じてしかたがない。

もちろん、国家が国民の敵という国もあるだろう。もし日本が本当にそのような国民の自由と基本的人権を弾圧するような圧政の国だと考え、本気で国家と闘うつもりであるなら、一度、そのパスポートを引き裂いて捨ててみるといい。かつて中華民国の蒋介石独裁政権と闘っていた私が中華民国パスポートを引き裂いて捨てたように。その覚悟もない人間が、国家に守られながら国家を否定する姿は、台湾人に生れた悲哀を知る人間からみれば、滑稽を超えて哀れを催す無知である。

豊かさにどっぷりつかり、与えられている幸せが当たり前となってしまうと、感謝がなくなる。それは、この時代、この瞬間に日本に生れたという幸せ。もし仮に、紛争地域や、独裁国家に生まれたとしたら、この日本がどれだけ天国のような国かわかる。戦闘や爆撃あるいは投獄や拷問の恐怖にさらされない幸せ。批判・非難や文句ばかり言う人間は、今ある幸せに気づいていない。自分だけ安全なところにいて、相手を罵倒する人間の品性は卑しい。今与えられている幸せに感謝しなくてははらない。

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幸せなクローゼットの育て方

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ミランダかあちゃん/輪湖もなみ

自分を本当に素敵に見せてくれるのは、自分にふさわしい服だけ
いつも自分の型が決まっていて、その他を潔く削ぎ落とす。この姿勢は、おしゃれを突き詰めた人たちがたどり着く、究極のスタイル

服を「ベイシックエリア」1,2、3組、「バリエーションエリア」4、5,6組の計6つに分けます。大量の服をただ漠然とながめて「さあ今日は何を着ようか?」と考えるより、あらかじめ組み合わせがしやすい組(グループ)を作っておくほうが、日々のコーディネートを考えるのがずっと楽になる

標準的なお宅での女性一人分の服の収納スペースは、約180cmのハンガーパイプと棚収納を組み合わせた程度の容量、あるいはそれより小さいことが多いですから、クローゼットを開けたとき、服がきちんと見渡せて、楽に出し入れできるように収納するとなると、60~80枚程度が限界クローゼットの中の服をすべて出して、次の3つに分けましょう。

(1)3シーズン着る服(真夏と真冬以外の服)
(2)真冬しか着ない服
(3)真夏しか着ない服

服の「型」が同じものは、同じ山に分ける
最も活躍しているボトムスの「型」を1型だけ選ぶ
購入して5年以上経っている服や、理由なく同じ形や柄で何枚も重複して持っている場合は、古い順、あるいは痛みが激しい順から処分することも考えましょう

いかにも「今年の服だらけ」に見える装いは、大人の女性にふさわしくない

クローゼットの扉の裏側などの見やすい場所に、B4クリアファイルを両面テープで固定し、その中にベイシック1軍、2軍マップを入れます。こうしておくと、クローゼットの扉を開けるたびに、自分の着こなしの土台となる服の一覧表が目に入る
タンスの引き出しには、下着や靴下類、]季節外れの衣類を
収納ベイシックエリアの服の耐用年数は3年が目安
靴やバッグは、良いものを長く大切に

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『ストレッチ 少ないリソースで思わぬ成果を出す方法』

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スコット・ソネンシェイン

企業・個人双方に当てはまる、成果を出すためのコンセプト「ストレッチ」ストレッチとは、「多くのリソースを望むのではなく、手持ちのリソースの可能性を受け入れ、それを行動の手がかりにする考え方であり、技能」。

必要のないリソースを追い求めると、すでに手元にあるリソースのポテンシャルを見逃してしまう

オフィスを1フロアに集約した時、各フロアの収納から出てきたのは、大量の「まだ使える在庫」と、大量の「使用期限を過ぎて使えない在庫」だった。現在はこのうち、「まだ使える在庫」を上手に活用していますが、こんなに長い間、ムダなものを抱えていたのかと、ゾッとしました。

隣の芝生にばかり気をとられていては、すでに手元にあるリソースを有効活用できない。悪くすると、「うちには何もない」という考えにとらわれてしまう

フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、ものごとへの取り組み方には二種類あると考えた。ひとつは「エンジニアリング」、もうひとつは「ブリコラージュ(器用仕事。寄せ集めで何かをつくったり、修繕して使ったりすること)だ」

すでに成功を収め、満足しているとき、人は本能的に現状を維持したくなる。リソースの使い方にしても、過去にうまくいったのと同じやり方を踏襲しがちだ。だが、そのあいだに世界は変わりつづける──仕事は進化し、顧客の好みは変化し、ライバルは成長(縮小)し、家族は歳をとり、技術は進歩する。すると、かつては大いに役立ったリソースが急速に価値を失っていく

人は、他人が持っている、または欲しがっているという理由で、自分もそれを手に入れようと夢中になる

銀メダリストは銅メダリストよりも、なしえなかった成果(金メダル獲得)を強調する傾向が強い社会的比較は、つねに自分より持てる者と比べることで、創意工夫によって達成できるはずの多くの成果を見失わせてしまう

通常、人は歳をとるにつれて社会的慣習にからめとられ、何か道具があっても、一般的な用途以外の使い道を思いつけなくなる

ノーリアとグラティによれば、人や資金などのリソースが豊富だと、相応の理由がなくてもそれを使わなければならなくなる。すると、不要な人材を雇い、広大かつ高価なオフィススペースを借りて、むやみやたらにプロジェクトを立ち上げたり、うまくいっていないプロジェクトを続けたりしてしまう

イーサンの考えによると、ワンピースとしてつくられているからといって、必ずしもワンピースとして着なければならないわけではない。彼はハサミを手にすると、ショルダーストラップを切り取り、リボンをあしらって、これを「ピーチコート」と銘打った。売れないワンピースは新しい魅力的な商品に変身し、水着コーナーの花形になった

世の中が生産中心にまわっている時代は、交響曲のように仕事をするのが理にかなっていた。目標は矛盾をなくすことだった。しかし、個人の表現、適応性、創造性が中心の世の中、意外性に満ちた世の中になると、新たな曲調を学ぶ必要が出てくる

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『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』

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デイヴィッド・S・キダー、ノア・D・オッペンハイム

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922年)は、20世紀に英語で書かれた中で最高の小説だ。ホメロスの『オデュッセイア』をアイルランドの都市ダブリンでのある一日1904年6月16日の出来事として作り変えたもので、ホメロス版の主人公オデュッセウスは、レオポルド・ブルームという、お世辞にも英雄とは言えない、妻に浮気された中年の広告セールスマンに置き換えられている

トーラーとは、ヘブライ語の聖書の冒頭にある五つの書、いわゆるモーセ五書を指す名称だ。キリスト教徒は、この五書に他のユダヤ教文書を加えたものを、旧約聖書と呼んでいる創世記 出エジプト記 レビ記 民数記 申命記

ハンムラビ法典には将来の王たちは一時の感情に従って統治するのではなく、法の支配を守らなくてはならないとも述べている。国民を支配する法律を為政者が勝手に変えてはならないという考えは、革命的な発想だった

バロック時代、オペラの男性主役はカストラートが演じることが多かった。カストラートは、声域の広さ、声の力強さ、声の柔軟さ、ブレス・コントロールの巧みさなどが際立っていた

ジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』(1961年)(“Catch-22”飛田茂雄訳 早川書房 1977年)は、英語で書かれた戦争小説やブラック・コメディーの中でも成功傑作のひとつであり、今では「キャッチ=22」という言い方が、「どうしようもない状況」を指す表現としてアメリカでは定着している

イエスに従った者たちのうち、行動をともにして教えを受けた者たちを弟子といい、イエスから自分の死後に教えを受け継ぐ者として選ばれた人を使徒という

聖体イエス・キリストの体を食べ、血を飲む行為。カトリック信徒は、聖体拝領の儀式で使われるパンとワインは、本当に体と血になったものだと信じている

アイルランドのジャガイモ飢饉1841年から1851年というわずか10年のあいだに、アイルランドの貧しい農民数十万人が、近代ヨーロッパ史上最悪規模の飢饉で餓死

スーフィズムとは、従来のイスラム教がクルアーンの語句を非常に重視していたことへの反動として起こった運動だ

ジャクソン・ポロック(1912~1956)と言えば、「ドリップ」ペインティングで有名だ。彼は巨大なキャンバスの上に絵具をこぼしたり飛び散らせたり垂らしたりして作品を作る。この手法を彼は「アクション・ペインティング」と呼んでいた

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『トレバー・ノア 生まれたことが犯罪?』

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トレバー・ノア

アパルトヘイトが巧妙だったのは、圧倒的多数の黒人同士を、反目しあうよう仕向けていたことだ。英語の「分離(アパート)」「憎悪(ヘイト)」とたまたま音が同じだけど、まさにその通りだった。とにかく、グループに分け、憎みあわせておけば、管理しやすいってわけだ

普通、子供というものは両親の愛の証だけど、僕の場合は両親の犯罪行為の証だった。オヤジといっしょにいられるのは家の中だけ。家を出たら、オヤジは僕たちとは通りの反対側を歩かなければならなかった

「家に男がいないからって、夫がいないわけじゃないのよ。神様がわたしの夫」

かあさんに自分を哀れむ気持ちなんて、これっぽっちもなかった。「自分の過去に学べば、その過去のおかげで成長できる。だけど、過去を嘆きはしない。人生には苦しいことがいっぱいあるけど、その苦しみで自分を研ぎすませばいい。いつまでもこだわったり、恨んだりしたらダメなの」とよく言っていた

学校も仕事も礼拝もないときは、まだ行ったことのない場所へ出かけた。「私があんたを選んで、この世界に連れてきた。だから、私にできなかったことは全部させてあげる」というのが、かあさんの方針だった

食べるもの、つまり食べていけることが、僕たちの暮らしのバロメーターだった。かあさんはいつも、「あんたの身体と魂と知性にちゃんと栄養を与えるのが私の仕事」と言っていた

あるとき、アディダスのスニーカーをねだると、かあさんはアビダスという偽ブランドを買ってきた。「かあさん、これ偽物だよ」「どこが違うって言うの」「見てよ、このロゴ。3本線じゃなくて4本ある」「ラッキーじゃない。1本おまけされたのね」

よく、夢を追いかけろと言うけど、思い描けないことを夢見ることはできないし、どこで生まれ育ったかによって、思い描けることがかなり限られてしまうことだってある

本当に可能なことは、自分の目の前の世界のはるか向こうにある。かあさんは、なにが可能かを示してくれた

「魚を与えれば1日で食べてしまうけど、釣りを教えれば一生食べていける」とはよく言われる。だけど「釣り竿も与えたらいいんじゃないか」とまで言う人はいない。このたとえ話には、そこが欠けているのだ。アンドリューといっしょに作業したことで、僕は初めて気づいた。恵まれた世界の人から教わる必要があるのだ

逆境と、それに堂々と立ち向かう母が、全米有数のコメディアンを作った。その事実も感動ですが、人はどこまでも前向きに生きられる。

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