『下流中年』

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雨宮処凛、萱野稔人、赤木智弘、阿部彩、池上正樹、加藤順子

トマ・ピケティが『21世紀の資本』で明らかにしたのは、
経済成長をしている社会よりも、
経済成長をしなくなった社会の方が
格差は広がりやすい、ということでした。
(萱野稔人)

今の日本では、特別会計も含めれば
社会保障費のうち100兆円が高齢者福祉に費やされています。
ところが、同じその日本で、
預金総額が毎年30兆円ずつ増加しているという現実もある。
(萱野稔人)

ブラック企業から逃げ、
社員を大切にしている企業に就職できても、
私たちの生活に対する生殺与奪の権利を、
自分が所属している企業が握っていることに、
一切変わりはないのである。
(赤木智弘)

別に困り果てる必要はない。
私たちはただ人間同士のコミュニケーションの中に
自尊心を覚える社会に還るだけだ。
企業や社会の都合ではなく、持っている金の多少ではなく、
自分たちの関係性だけで自尊心を満足させる社会に帰るだけだ。
(赤木智弘)

他人と関わりあうことも、立派な「仕事」である。
(赤木智弘)

人工知能を持つロボットが私たちの代わりに働き、
私たち人類は消費や他者との対話によって人生を謳歌する。
それは本来私たちが望んでいた未来だった筈ではないか。
(赤木智弘)

非正規労働者は78.2%が月収20万円未満。
10万円未満も36.7%に上るなど、
とても日々生活していけるような水準ではない。
(池上正樹・加藤順子)

社会のために行なわれるボランティア活動でも、
組織として動いていくとなると、
やっていることは会社と同じであり、
しかも報酬がもらえない。
ある意味では究極のブラック企業とも言える。
(池上正樹・加藤順子)

「履歴の空白を経験した人が、自己肯定感を持つのは
本当に難しいことです」
(幸一さん・仮名、37歳)

「僕がひきこもりから脱して世の中に出て行くまでに、
自分なりにコツとして掴んだのは、
まず誰とつながるかということでした。
人間社会を「点」と「線」に例えるなら、
点の位置を動かす必要は必ずしもなくて、
線を別の点につなげるだけでいい。
それでまったく別の世界が広がることがある。
自分がつなげた当事者たちもみんなそうだった」
(俊郎さん・仮名、46歳)

やる気があるから結果が出る、と信じる方は多いですが、
実際には、
結果が出る仕組みのなかにいるからこそ、
やる気が湧いてくるもの。

エンジンオイルのOEMにも、これは必要です。
結果の出せる仕組みが。

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『人間の品格』

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下村澄

安岡正篤先生という人は自分の金銭については無頓着だったが、
金銭について無原則だったかというと、決してそうではない。

きちっとした金銭哲学をもっていて、
折に触れて金に対し、とるべき態度を説かれていた。

たとえば、こんなふうである。

「明治維新の人物たちは
その不羈(ふき)奔放(ほんぼう)さから
贅沢(ぜいたく)はしたが、金を蓄えることはしなかった。

没してみればいずれも清貧だったといわれる。
しかし本人自身貧乏だと思っていたわけではない。

金というものは蓄えるものではなく、
使うものだと思っていたにすぎない」

明治維新の人物たち…坂本竜馬にしろ高杉晋作にしろ、
金があると確かに贅沢をしている。

ことに高杉晋作がそうだった。
ただし、彼は私腹をこやすためには
一文も使っていないことを、誰もが知っていた。

事実、彼は高杉家の家計を豊かにするためには
さっぱり貢献していない。

そして誰もが、彼は国を救うという高い志のために
東奔西走していることをよく知っていたからである。

高い志…明治維新の人物たちを
何よりも豊かにしていたのは、これである。

だから、自分が金銭的に貧しいとは思わなかった。

というより、金銭的に豊かか貧しいかなどは意識になかったのである。

明治政府の大物となった人物たちも、さしたる蓄財はしていない。

まあ、政府の高官となったのだからそれなりの収入はあり、
私生活も豊かになっている。

その一端をうかがわせるのは目白の椿山荘である。
広大な敷地につくられた庭園は山形有朋の屋敷跡なのである。

だが、内情はそれほど豊かだったわけではない。
その証拠に椿山荘は山形有朋の死後しばらくして人手に渡っている。

一般庶民から見ればそれなりの財を残したとはいえ、
いま開発途上国の権力者に見られるような蓄財ぶりからはほど遠い。

清貧は明治維新の人物たちの特徴といえる。
そして、それがまた彼らの人間的魅力の重要な部分になっている。

安岡先生の贅沢はタカが知れている。

さしずめ酒を飲むことだけが贅沢で、ほかは眼中になかったといっていい。
悠然と杯を口に運び、それだけで満ち足りる。

そういう安岡先生は誰より豊かに見えた。
高い学識と深い思想が安岡先生を何よりも豊かにしていたのである。

安岡正篤先生の金に対する考え方の基本は、
金は使うためにある、というところにあった。

まさにそのとおりである。
金はいくら蓄えたからといって、それだけではなんの価値も持たない。

使われてこそ、初めて価値を発揮するのである。

金を使うなら、その価値を充分に発揮できるような
使い方をしなければいけない。

金の価値を充分に発揮させる使い方とは、
金を使うことによって、その人の魅力が増すような使い方である。

安岡正篤先生はこう喝破されていた。
「金と人というものを運命学的に見れば、
金を蓄えるべき人間と、蓄えてはいけない人間とがある。

政治家や事業家は後者に属する。
政治家や事業家が金を蓄えるようになったら、
それは彼ら自身の堕落であり、飛躍的業績などは望み得べくもない」

そういえば、バブル経済がはじけて以後、
金にからんで社会的な立場を失う政治家や実業家が続出している。

その中には実に人間的魅力に溢れ、失脚させるのは惜しい人物もいる。
だが、金がからんでいるだけに取り返しがつかない。

どんなに実績があり、また人間的魅力に溢れていようとも、
金にからんでの齟齬はそれらを一挙に台無しにしてしまう。

金とはそういう力があるものなのだ。

これらの金がらみの齟齬の実態を解きほぐしてみると、
そもそもは金を蓄えようとしたことにきっかけがある、とわかる。

エンジンオイルのOEMにも、金の貯えのセンスが必要ですね。
そして、うちの会社の魅力が増えるように、かねを使う。

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ピーター・ドラッカーの名言1

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☆私が13才のとき、
宗教の先生が生徒に、
「何によって人に憧れたいかね」と尋ねた。

しかし、その問いには
誰も答えられなかった。

先生は笑いながらこう言った。
「いま答えられると思わない。
でも50才になって答えられないと問題だよ。

人生を無駄に
過ごしたことになるからね。」

☆選択肢を前にした
若者が答えるべき問題は、

正確には、何をしたらよいかではなく、
自分を使って何をしたいかである。

☆チャンスとは、
ひとつのことに
心を集中することによって、

かろうじて見つけることが
できるものである。

☆傲(おご)ってはいけません。
企業は、社会によって
存在させてもらっている存在なのです。

最も重要なことから始めなさい。

☆未来を予知しようとすることは、

夜中に田舎道を
ライトもつけずに走りながら、
後ろの窓から外を見るようなものである。

一番確実な未来予知の方法は、
未来自体を作り出してしまうことである。

☆寝床につくときに、
翌朝起きることを
楽しみにしている人間は、幸福である。

☆不得手なことの改善に
あまり時間を使ってはならない。

自らの強みに集中すべきである。

無能を並みの水準にするには、
一流を超一流にするよりも、
はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。

☆我々が行動可能なのは
現在であり、また未来のみである。

☆21世紀に重要視される
唯一のスキルは、
新しいものを学ぶスキルである。

それ以外はすべて
時間と共にすたれてゆく。

☆いまさら、
自分を変えようとしてはならない。

そんなのは、
うまくいくわけがない。

自分の得意とする仕事のやり方を
向上させることに、力を入れるべきである。

人の卓越性は、
ひとつの分野、
あるいはわずかの分野においてのみ、
実現されるのである。

☆教養ある人間は、
勉強し続けなければならない
ということを自覚している。

☆焦点の定まった
明確な使命がなければ、

組織はただちに
組織としての信頼性を失う。

☆事業を行うときは、
次の4つの条件を
満たしておかなければならない。

まず経営環境、使命、強みが
現実と一致していること。

そして、それらの条件が
互いに合致していること。

そして、周知徹底
されなければならない。

さらに、たえず
検証されなければならない。

☆あらゆる活動について
「もし今日これを
行っていなかったとして、改めて行うか」
を問わなければならない。

答えが否であるなら、
「それでは、いかにして一日も早くやめるか」
を問わなければならない。

エンジンオイルのOEMも、
焦点を定めて明確な使命を作らねばいけない。

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『天使になった男』ジョー・タイ

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いちばん偉大な奇跡とは、自分を根底から変えることだ

ふつうの世界では、人々は、
列車の運転士が線路を見るのと同じように時間を見ている。
枕木をひとつずつ通過していくわけだ。
通り過ぎた枕木はどんどん後ろへ消えていき、
すぐ前にある枕木はいつも視界に入らない

疑問が十分にたまってしまうと、
そして自分に自信が持てなくなってしまうと、
恐怖はそれを悟ってつけ込んでくる。
その臆病さこそが、
恐怖が油断のならない敵である一番の原因なんだよ。

恐怖の牢獄から逃れる唯一の方法は、行動だ。
ただ待っているだけでは、道は開けない。
自分から行動を起こさなければダメだ。
恐怖の牢獄から逃れるたびに、
きみは強くなり、自信もつく。

恐怖は、きみから行動する自由を奪っている。
成功したいという欲求や、危険を冒そうという意志や、
何かを大切に思う気持ちさえも奪っている。
一度そういうものを盗んでしまえば、
物質的な所有物を盗むのだって時間の問題だ。

恐怖を克服することは難しいかもしれないけれど、
問題ならいつでも解決することができる。
恐怖に名前をつけたら、それはもう恐怖じゃない。
解決できる、ただの問題になるんだ

恐怖がきみをダメにするやり口にはもうひとつある。
それは敵をつくることだ。

恐怖とは、たくさんの明日を心配すること。
勇気とは、ひとつの今日に集中すること。

恐怖は反応で、勇気は決断だ

希望を失うとは、
ただ十分に遠くを見ていないだけのことだ。

旅の途中を楽しめないなら、
目的地に着いても楽しいとは思えないだろう。

障害が目に入るのは、目標から目を離したときだけだ

なんでも自分ひとりでやろうとしないことだ。
誰かに助けてもらえ

人生の目的をよりはっきりさせたおかげで、
どうでもいいことで時間を無駄にすることがなくなった。

インターネットは、失敗しないための技術の集大成ですが、
それによって我々は行動力を失ったのかもしれません。

アランに似ていますねと思った、
エンジンオイルを、OEMしているおっちゃんでした。

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『理系に学ぶ。』

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学生時代、ゼミの担当教授に言われたことは、
「市場と技術なら、迷わず市場を選べ。
技術はカネで買える」ということでした。

しかし、現実を見ると、最近活躍している経営者には
技術者、理系出身者が多く、彼らの能力は希少なため、
カネで買うのは極めて難しい状況です。

こうなると、多くの文系出身者には、
理系コンプレックスが生まれて当たり前。

「世の中のことは20%くらいは違っているかもしれない」と
疑ってないと、えらいことになりますよ
(養老孟司)

ロジックで組み立てた話は、
だいたい結論が同じになってしまう。
論理的な議論として非論理的なことをやるというか、
非合理的に見えることをやるのが
結局合理だということじゃないですか
(川上量生)

映画に限らず、佐藤さんは広告でも、
「作り方を作る」ところから始めている印象があります
(川村元気)

CBGBって「AB A’B’」という構造をしているんです。
例えば『ぐりとぐら』とか『キットカット』も、
CBGBの形をしている。
それで、「次にネーミングかキャッチコピーを作るときは、
AB A’B’でいこう」と思っていて、
そこから生まれたのが『バザールでござーる』です
(佐藤雅彦)

ディープラーニングで
画像認識が高いレベルでできるようになると、
次は「身体能力の向上」「言語技術への適用」という
順番で進化していきます
(松尾 豊)

人を笑わせるということは、
人工知能でもいけるかなと思っています。
特に一発芸的なものは、
ディープラーニングが
どんどん自分で試行錯誤しながら、
精度を高めていくはずです
(松尾 豊)

芸樹的に美しいとか、
人間の進化の過程で
いろいろなパラメータとして作り込まれた部分に
依拠する感情を
人工知能が模擬するのは、すごく難しいと思います
(松尾 豊)

クローズドだからこそ余分なものは排除したかったんです。
例えばメールで言う「件名」も要らない。
LINEのチャットの部分は
日本では「トーク」となっていますが、
まさに会話をするようにLINEを使ってください。
そうなると、既読かどうかが分からないと、
リアルタイムでぽんぽんと会話は成立しない
(舛田 淳)

最近気づいたのは、人間が誰かを求める感情をすべて
「恋愛」という単語にあてはめようとすると、
どうしても無理が出てくる。
今は価値観が複雑な時代になって
「あなたと私」の生きている宇宙に
隔たりができてしまっている。
だから「恋愛」はもう、
みんなにとって共有されるものじゃないし、
危ういなと思ったりもしています
(川村元気)

あんまり分けちゃいけないよね。
数学も文学もそれぞれが一つの言語で、
言語によって表現できることや考えることが違うだけ。
アーティストだけがアーティストなわけじゃないし、
物理学者だって芸術家だってこと
(伊藤穰一)

ロジックで組み立てた結論は、みな同じになってしまう。
当たり前ですね。
エンジンオイルのOEMfは、そんな落とし穴に落ちないようにしよう。

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