『「原因と結果」の経済学』

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中室牧子
・メタボ検診を受けていれば長生きできる
・テレビを見せると子どもの学力は下がる
・偏差値の高い大学へ行けば収入は上がる

われわれの社会で「常識」とされているこれらの主張は、経済学の有力な研究により、すべて否定されています。
なぜこんなことになったのか?

それは、われわれ人間が「因果関係」と「相関関係」を取り違えてしまうから。因果関係というのは、2つのことがらのうち、どちらかが原因で、どちらかが結果である状態。
一方、相関関係というのは、2つのことがらが原因と結果の関係にないものです。
ただ厄介なのは、本来相関関係でしかないのに、一見因果関係のように見えてしまうものがあるということ。
たとえば、アマゾンの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」は、相関係数をもとに表示されていますが、そこに因果関係があるかどうかは分かりません。

ビジネスパーソンたるもの、「原因」と「結果」を取り違えることがあってはならない。
テレビを見ている時間が長くなると、学力は低くなるのではなく、逆に高くなることが示唆されている
大学の偏差値と将来の収入のあいだに因果関係はない
因果関係なのか相関関係なのかを正しく見分けるための方法論を「因果推論」と呼ぶ

「軽薄な人間は運勢を信じ、強者は因果関係を信じる」(エマーソン)

〇因果関係を確認する3つのチェックポイント
1.「まったくの偶然」ではないか
2.「第3の変数」は存在していないか
3.「逆の因果関係」は存在していないか

常識的には「地球温暖化が進んだから海賊が減った」とは考えにくい。一見この2つのあいだに関係があるように見えるのは「まったくの偶然」だからである。このように、単なる偶然にすぎないのだが、2つの変数がよく似た動きをすることを「見せかけの相関」と呼ぶ
反事実とは、「仮に◯◯をしなかったらどうなっていたか」という、実際には起こらなかった「たら・れば」のシナリオのことを指す。因果関係の存在を証明するためには、原因が起こったという「事実」における結果と、原因が起こらなかったという「反事実」における結果を比較しなければならない
「観察された差が偶然の産物である確率」が5%以下であるときに、「統計的に有意である」と言い、2つのグループの差は誤差や偶然では説明できない「意味のある差」だということになる
差の差分析を行うには、介入群と対照群のそれぞれにおいて、介入前と介入後の2つのタイミングのデータを入手しなければならない

認可保育所を増やしても母親の就業率は上がらない
最低賃金を上げても雇用は減らない
学力の高い友人に囲まれても自分の学力は上がらない
医療費の自己負担割合が引き下げられると、高齢者は病院に行く回数が増えるものの、それによって死亡率や健康状態に影響が出ることはない

因果関係を意識した発言ができるようになると、周りから一目置かれる人になるが。反対に、間違った分析や提言をすると恥をかくことになる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『GRIT 平凡でも一流になれる「やり抜く力」』

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リンダ・キャプラン・セイラー、ロビン・コヴァル

「みなさんは特別な存在ではありません。……少年サッカーでトロフィーをもらったかもしれません。七年生のときに優秀な成績を収めたかもしれません。恐竜のバーニーやミスター・ロジャースやシルビアおばさんがほめてくれたかもしれません。何かあるたびにお母さんが救世主になってくれたかもしれません。それでもあなたは特別な存在などではないのです」
(ウェルズリー・ハイスクール 英語教師デイビッド・マッカロー・ジュニアの言葉)

「エア・ジョーダン」がその後ハイスクールの二軍チームをあっと言わせ、最終的にマイケル・ジョーダンになることができたのは、きっとグリットのせいだ。史上最高のバスケットボール選手になるために何が必要だったか? 本人はこう語っている。
「私はこれまで9000本以上のシュートを外しています。負けた試合も300近くあります。ゲームを決めるシュートを託されたのに、外したのは26回。私の人生は失敗に次ぐ失敗のくり返しでした。だから成功できたのです」

「結果的に、アップルをクビになったのは私にとって、この上ない幸運でした。成功者であるという重苦しさの代わりに、初心者であるという身軽さを得ることができました。何もかも分からないことだらけです。おかげで人生で最もクリエイティブな時期をもう一度経験することができました」
(スティーブ・ジョブズ)

〇グリットの4つの要素
・度胸(Guts)
・復元力(Resilience)
・自発性(Initiative)
・執念(Tenacity)

「一生懸命働けば魂が救われます」「自分を哀れまなくてもすむの。なぜってそんな時間がないから」
(ウェンディーズ創業者デイブ・トーマスの祖母の言葉)

必要なのは、目標や願望に優先順位をつけること。達成しやすいものから、達成しにくいものへ、人生にとって大切なものから、あまり大切でないものへ
ワレンダにとって安全ネット無しでのパフォーマンスは、それがないとどうなるかを想起させる恐ろしい事実というよりも、自分は恐怖の感情を支配しているという、ある種の主張である
達成可能な目標を持つ人(返済できる見込みがある人)は、期限までに返済できる見込みがほとんどない人よりも、きちんと支払いをする確率が高かった
ハードワークそのものが幸福をもたらすと知って、たいていの人はびっくりする。
実際、幸福はめざして得られるものではなく、それは「無私の大義」に身を捧げたときにたまたま得られる副産物だと主張する人も多い。心理学者はこれを「幸福の逸脱」と呼ぶ

アメリカには日本の「ゆとり教育」に匹敵する「自尊心運動」というものがあったそうですが、やはり自尊心は自ら獲得していった方がいいようです。
「充実した人生、際立った人生、よき人生、それは自らつかみ取るものであり、よい子にしていたから、あるいはお母さんが注文してくれたから舞い込んでくるものではありません」という、
英語教師デイビッド・マッカロー・ジュニアの言葉は、多くの過保護な両親および教師に伝えてあげたいものです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『すべての教育は「洗脳」である』

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堀江貴文

作家、橘玲『言ってはいけない』
私は、不愉快なものにこそ語るべき価値があると考えている。きれいごとを言う人は、いくらでもいるのだから

旧態依然とした学校教育の中で、日本人は洗脳されている。やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、白昼堂々なされているのが今の学校なのだ
なぜ学校は恣意的な常識を人に押し付けようとするのか? その常識によってどんな人間を育てようとしているのか? 

一言でいえば、従順な家畜である学校の大きな役割は二つあった。一つは子どもの保護。そしてもう一つは、彼らを「望ましい工場労働者」へと育てあげることだ
国家が育成したいのは、第一に優秀な「国民」である。
国家が国民に求める「務め」は、大きく三つある。兵士として戦うこと、出産すること、そして納税だ
普通に暮らしている限り、「常識」という教義の危険性に気づく機会は少ない。それは「常識」の洗脳が、国家ぐるみで行われているからだ。国家は、全国に4万6000箇所もの“出先機関”を設け、この国で暮らす人たちすべてをその魔の手にかけている。その出先機関とは、「学校」だ

そもそも学校は、工場の誕生と連動して作り出された機関
もし仮に、一つのフィクションを共有できる人間のことを「仲間」と呼ぶのであれば、国家というフィクションは百害あって一利なしだ。なぜなら、このフィクションこそが数多の激しい戦争の要因であり、差別の温床だからである
僕たちの周りにはびこっているフィクションは、とうに古び始めている。そろそろ、新しい時代のための、新しいフィクションが必要だろう

国民国家幻想がなくなり、誰もが共有する「幸せの正解」がなくなった現在、
人は国民ではない「民」の一人として、自分だけの幸せを探し、生き方を探し、働き方を探さなければならない。
それは、画一的な「学校」で教えられるものではない

グローバル人材の最大の特徴とは何か。それは実は、「所有からの解放」にある。彼らは、「所有」に価値を置かずに生きることができるのだ
人々は、「所有」よりも「アクセス」を、そしてその「アクセス」から得られる「楽しさ」を求めて生きるようになるはずだ
「所有」のために「やりたくないこと」に従事する時代は終わった
あらゆるイノベーションを生み出すのは、「お勉強」ではなく「学び」だ。
夢中になっているからこそ、人は一日中それについて思考を巡らし、新機軸を思いつくことができる
野球に没頭すれば「野球バカ」と言われ、化学に没頭すれば「化学バカ」と呼ばれる。没頭している何かについての価値判断より、できていない部分の量によって「バカ度」を測られるのが学校という場なのである

貯金は「無駄」。それが僕の、昔から変わらない考え方である。なぜか?「貯金」は、ただの現状維持に過ぎないから。1万円を使わないことで、「1万円のまま」残す。そこには何の成長も、喜びもない。
もし、あなたが自分自身の価値をもっと高めたいと思っているのであれば、するべきことははっきりしている。「投資」だ

ただ、「公教育」と「私教育」というのは本来違うものなのに対して、この国の教育論はこれをごちゃまぜにして論じている
次の時代を見据えた教育については、国民全員で議論すべきだ。現在の日本の教育では、哲学やお金を教えませんし、宗教も教えません。
これでは、グローバル化の時代に、他国のエリート層とわかり合うのは難しい。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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成功企業に学ぶ実践フィンテック

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北尾吉孝

SBIホールディングス代表取締役執行役員社長

【ウェルスナビ】ロボアドバイザーサービスを提供しているウェルスナビ社が私どものSBI証券と提携したサービスは、2017年1月末に開始してわずか20営業日で申込件数が6000口座を突破、顧客からの預かり資産は25億円にもなった
ウェルスナビと住信SBIネット銀行は、2017年春、共同で少額投資サービス「お釣りでコツコツ投資」を開始する予定です。例えば、コンビニでApple Payなどの電子マネーやクレジットカードを使って420円を支払うと、支払額が500円に切り上げられ、「お釣り」の80円が投資に回るという仕組みです

【マネーフォワード】個人事業主・法人向けに、ビジネス向けクラウドサービス「MFクラウドシリーズ」を月額や年額課金制で提供しています。「MFクラウド会計」は、3600以上の金融関連サービスから取引明細を自動取得し、経理業務に必要な仕訳作業を自動化できるサービス

【インフキュリオン・グループ】「将来購入しようとしているもの」「目標時期」「確度(どの程度の資金準備をしているか)」というデータを保有しており、これまでの行動予測やレコメンドでは実現できなかった精緻な提案を実現します

【エクスチェンジ・コーポレーション】クレジットカードのいらないオンライン決済サービス「Paidy」を提供しているフィンテック企業
スマートフォンで電話番号とメールアドレスを入力するだけで「1カ月何度でも買物・翌月一括払い」という、あたかもクレジットカードのような決済サービスをすぐに使い始めることができます

【Origami】導入企業数は、決済サービスとECの両方を併せて現在までに1500社以上となっています。また、2016年11月には、中国最大手の電子決済サービス、アリペイと業務提携しました。この業務提携により、Origami Payの導入店舗では、訪日中の中国人はアリペイを用いた店頭支払いが可能になります

【Liquid】我々が目指す世界は、(1)本人が本人のみで本人証明可能な、(2)安全性と利便性が両立する世界です。
このことをIoT=「モノのインターネット」にかけて、「IoP」(Internet of Persons)=「ヒトのインターネット」と称しています

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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誰でも成功できる

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潜在意識は顕在意識とは違い、広大で無限な応用度、適応能力を持っている。これは無限の世界を生み出す源だ。人間なら誰もが持っている想像力・潜在意識で大きな夢を創造できる。

この潜在意識の活用の巧拙により、成功に大きな違いが生じてくる。潜在意識を強い味方にして、大いなる夢を持つ。

夢の実現に協力してくれる仲間の助けを得れば、幸運や成功を手にできる。世の中は広く、多様な能力を持った協力者で溢れている。

協力者が見えるかどうか、それが経営者の大きさを決める。人間の素晴らしさを知る、それが成功への道だ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『「運がよくなる人」と「運が悪くなる人」の習慣』

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横山信治

叱られて、「なにくそ!負けるものか!」と頑張る人もいれば、ふてくされて相手を恨む人もいる。どちらを選択するのも自由。でも、どちらを選択するほうが得か。当然、プラス思考をするほうが得に決まっている。

つまらないプライドや意地なんか捨ててしまおう。相手を憎んでも、結局そのつけは自分に返ってくる。

一卵性双生児の兄弟がいた。遺伝子も育った環境も同じ。片方は路上生活者になり、もう片方は大金持ちになった。路上生活者になぜそのような生活をしているか質問すると、「親父が大酒飲みだったため、自分もお酒で人生が狂った」と答えた。もう片方の大金持ちに同じ質問をした。「親父が大酒飲みだったため、自分は親父みたいになりたくないと頑張った」と答えた。

運の良い人とは、良い出来事ばかり起こる人ではない。起こった事象をプラスに変えることができる人のことを「運が良い人」と言う。それでは、具体的にプラスに変えるとはどういうことなのか。起こった事象に対し、良いこと、悪いことと判断してはいけない。

自分にふりかかったすべての事象について、自分にとって必要だから起こったと考える。何が起こっても、「自分の責任」「必要だから起こった」と考える癖をつけると、運気が上昇する。

逆に「誰々さんのせいでこんな目に遭っている」「なんで、何も悪いことをしていないのに、自分にこんなことが起こるのか」と考えると運気は下降する。

長い人生、良いことばかりではない。他人や環境を恨んでも、何も解決しない。何かのせいにすれば一時的には楽かもしれないが、自分の成長を止めてしまう。どんなことが起こっても、「自分にとって必要だから起こった」と受け止める癖をつけよう。この癖は将来、必ずあなたに幸せを運んできてくれる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「欲」をコントロールする方法

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精神科医、西多昌規

世の中、横柄(おうへい)で威張っている人は、どこにでも多かれ少なかれいる。クレームほどではないにせよ、お店で店員さんに居丈高にふるまっている人を目にする機会もたまにある。
医療現場でも同じ。医者には従順でも、看護婦や事務のスタッフには威張る患者、教授や医院長にはへいこらしていても、部下や研修医には権威的な医者。

自らも絶えず自戒する必要を感じている。「威張る」は、文字通り「威勢を張る」という意味。
虚栄心にも通じるところが大いにあるが、実際の自分より大きく見せようという心理がはたらいている。威張る人は、劣等感や不安感を抱えている可能性が大きい。本当に自信があれば、威張る必要はない。

自分の力を見せつけたいという、示威行動でもある。例としては、交際相手とレストランで食事をするときに、威張った態度で店員に接する、など。
サービスを買っている自分が偉いということを、相手に見せたい。逆効果であることがほとんどなのだが。自分が傷つく前に優位な立ち位置を築いておく、先制攻撃という意味もあるのかもしれない。攻撃は最大の防御であるというエッセンスを、無意識に実践していると解釈することもできる。

「自分は威張っているつもりはない」と思っている人もいるかもしれない。しかし、「尊敬されていない」「軽く見られているのでは」という疑念、不安がある人は要注意だ。
「マウンティング」の構造と同じように、自分を無意識に高みにおいて相手を見下すことで、自分の不安を解消しようとしているのかもしれない。自分に自信がないことによる不安、疑念、焦り。これは威張っても、解決される問題ではない。

最も悲しいのは、威張っている人が自信欠乏感を持っている自覚に乏しいことだ。あからさまに威張ってはいないと思っている人でも、飲み会などで自分の経験ばかり話したり、さらに程度が進んで自慢話を多くしたりする人は、黄色信号。自慢話は、わかりやすい「威張る」の初期症状。
自分のことばかり話している人の話の内容は、たいていどうでもいいようなことがほとんどだ。自慢することでかえって、評価を落としてしまっている。威張っている、自慢話が多い、自分の話をしないと機嫌が悪い。これらは、自分を貶(おとし)めるだけでなく、相手も不愉快にさせてしまう。

「威張る」まで行くと、なかなか他人は注意してくれなくなる。「自分のことばかりしたい」欲に気がついて、他人の言うことを聞くようになること。
この気づきと心がけが、自信欠乏症を少しずつ軽くしてくれる。自信を得るまでの段階にはなかなか辿り着けなくても、不安が少しでも軽くなれば、「自慢欲」から離れた考えになるだろう。また「威張る」には、怒りの感情が隠されている。

「怒り」の反対は、「喜ぶ」とか「笑う」という感情だが、威張るときに、喜びや(心から)笑う感情を持っている人はいない。だから、威張るときには上から目線の攻撃的な感じになる。まさにクレームがそれだ。威張る行為は、自分より弱い者、下に見ている者に対してだけ行われる。
ある種の弱い者いじめと同じだ。そして、それは自信がない人がやる行為。自信がない人は「オレ(私)のことをバカにしているのか」と怒る。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「努力しない人がグチを言う」

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グチは自分でも気がつかないうちに出る反射的な行動だ。グチを言っているだけであれば、新しいことをするエネルギーも、新しいことに注意を向ける必要もない。ところがグチをやめようとすると、自分の置かれた状況を客観視しないといけない。

頭を使う必要が出てくるので、最初のうちは大変だ。「グチを言わない」というのは努力の産物。不運は不運として受け入れた後で、今の自分に何ができるかを考え、それを実行に移す。これは単にグチを言うのに比べると、ずっと知的な活動で、労力を要求される。しかも、周囲の人を動かすためには、言葉で自分の考えをはっきりと表現しなくてはいけない。

楽天主義者に比べると、悲観論者は語彙が貧弱だ。また、若者は、語彙が貧しければ貧しいほど、暴力を振るう傾向にある。つまり、言葉で表現できないから、相手に暴力を振るってしまう。

〇《打つ手は無限》( 滝口長太郎)
すばらしい名画よりもとてもすてきな宝石よりももっともっと大切なものを 私は持っている
どんな時でも どんな苦しい場合でも 愚痴は言わない
参ったと泣き言を言わない
何か方法はないだろうか何か方法はあるはずだ
周囲を見回してみよういろんな角度から眺めてみよう
人の知恵も借りてみよう
必ず何とかなるものである
なぜなら打つ手は常に 無限であるからだ
グチを言わない人は、それをなんとかしようと、ありとあらゆる努力をする。
何か打開策はないかと打つ手を探す。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『プラスの選択で人生は変わる』

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植西聡

「生きるとは呼吸することではない。行動することだ」フランスの哲学者であるルソー人生で行動することがいかに大切か、ということを教えてくれている。

世の中には、幸せになる方法を教えてくれるヒントがたくさんある。本や雑誌、「幸せになる」講演会など、種類も豊富だ。それでも、幸せを感じられず、不安や悩みを心に抱えながら毎日を送っている人が減らないのには、理由がある。

「行動」が足りないのだ。宝くじに当たっても、実際に銀行に行って換金しなければ、1円も手に入らない。これは人の「幸せ」も同じだ。どんなに知識があっても、念入りに計画を立てても、実際に行動を起こさなければ、喜びも得られなければ、満足感も得られない。

心がマイナスのエネルギーでいっぱいだった過去の自分ならともかく、心にプラスのエネルギーを増やす生活が身についた自分なら、問題をうまく解決して、スムーズに行動に移せるはずだ。理由をつけて先延ばしにするのはやめて、「やる」ほうを選ぶことが大切だ。そうすると、心の中には「やりたいことを実行できた」という満足感や、「私でもやればできる」というプラスのエネルギーが増えていく。

そうして、人生を楽しめる時間が増える。

「優柔不断は疑いと恐怖心を生み出し、行動は勇気を生み出す。 恐怖心を克服するには、家に閉じこもってくよくよしていては駄目だ。 外へ出て仕事に精を出すことだ」(デール・カーネギー)

悩みを解決する唯一の方法は、行動を起こすこと。何時間机の前に座って考えたところで、解決策は見つからない。行動の中にしか答えはないからだ。

『地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ』(斎藤一人)

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『103歳になってわかったこと』

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美術家、篠田桃紅

人は、用だけを済ませて生きていくと、真実を見落としてしまう。「真実は皮膜の間にある」近松門左衛門真実は求めているところにはない。しかし、どこかにある。雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わない方がいい。無駄にこそ、次の何かが兆(きざ)している。用を足しているときは、目的を遂行することに気をとられているから、兆しには気がつかない。

無駄はとても大事。無駄が多くならなければ、だめだ。お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてこない。安いから買っておこうというのとも違う。無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為だ。なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことだ。

しかし、無駄はあとで生きてくることがある。時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生だ。無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることがでる。私の日々も、無駄の中にうずもれているようなもの。毎日、毎日、紙を無駄にして描いている。時間も無駄にしている。しかし、それは無駄ではないかもしれない。最初から完成形の絵なんて描くことはできない、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできない。なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれない。つまらないものを買ってしまった。ああ無駄遣いをしてしまった。そういうときは、私は後悔しないようにしている。

無駄はよくなる、これは必然だと思っている。もし仮に、無駄のまったくない人生を生きてきた人がいたとしたらどうだろう。やることなすこと、すべてうまくいき、日の当たる場所や、近道だけを選び、効率的で全く無駄のなかった人生。もしいたとすれば、とてもつまらない人間がそこに存在していることになる。

人は、寄り道をしたり、道草をくったり、どん底を味わったり、失敗や嫌な目に遭う。人生の無駄を経験するからこそ、人としての味や深みが出る。「人生の余白」ともいうべき、人としての遊びや余韻の魅力だ。「無用の用」という老子の言葉がある。一見すると役に立たないようなことが、実は大きな役割を果たしているということ。無駄のある人生も、時にいいものだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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