農業の実力を評価する世界標準は、
メーカーである農家が作り出すマーケット規模である。
国内の農業生産額はおよそ8兆円。
これは世界5位、先進国に限れば米国に次ぐ2位である。
この数字は農水省が発表しているもので、
2001年以降、8兆円台を維持している。
日本が農業大国である所以(ゆえん)は、
日本が経済大国だからという点に尽きる。
戦後、まず農業以外の産業が発展し、
人々の生活が瞬く間に豊かになった。
そして消費者の購買力が増すにつれて、
食に対する嗜好も変化していった。
それにともない、食品の流通・小売業や加工業も発達した。
それらの食品産業のもっとも川上に位置するのが、
農業である。
他産業が発展し、人々が豊かになることで
農業は継続的に発展できるのだ。
物資が足りず、食うや食わずの生活を送っている国民が
大半を占める時代では、
主食となるコメや一部の野菜以外は売れない。
しかし、経済的なゆとりが生まれれば、
それまで贅沢品だった肉や果物なども売れるようになる。
農業経営者がそのニーズを創り出し、
ニーズに応え続ける経営努力によって、
農業は産業として成長してきたのである。
過去40年間で農家の数は激減したが、
農業以外の所得の増大と農業の技術革新にともない、
生産性と付加価値は飛躍的に向上している。
農業を本業とし、きっちり成果を挙げている優良農家は
進歩を遂げているのだ。
すなわち、今ある少数の農家だけでも
日本国民の需要を十分に賄(まかな)いきれるほど、
農場の経営は進歩を遂げているのである。
これは何も日本に限った特殊な現象ではなく、
農業就業人口の流動化、減少、生産性の向上は、
すべての先進国が歩んできた道である。
それではなぜ、こうした事実に反して「農業は弱い産業だ」
という単純なレッテルが貼られているのか。
それはすべて、農水省および日本政府が掲げる
「食料自給率向上政策」の思想に起因する。
昨今の世界的な農産物価格の高騰と相まって、
日本の食糧自給率(41%)が
世界で最低レベルの危機的状況にあると取り沙汰されている。
しかし、この主張の裏づけとなる食料自給率の数字は、
実は極めていい加減なものなのだ。
そもそもスーパーに並ぶ農産物の大半は国産だし、
棚には一年を通して十分すぎるほどの量が陳列され、
品質についても大きな不満は聞こえてこない。
それどころか、現実は生産過剰だ。
コメの減反政策は40年以上続けられ、
畑での野菜廃棄の光景も日常化している。
自給率が示す数字と一般的な感覚がかけ離れているのは、
農水省が意図的に自給率を低く見せて、
国民に食に対する危機感を抱かせようとしているからである。
では、なぜそんなことをするのか。
端的にいうと、窮乏(きゅうぼう)する農家、
飢える国民のイメージを演出し続けなければならないほど、
農水省の果たすべき仕事がなくなっているからだ。
それはつまり、民間による農業の経営、マーケットが成熟し、
政府・官僚主導の指導農政が終わりを迎えている
ということの証である。
2007年の先進5カ国の農産物輸入額は、
1位が米国の747億ドル、2位がドイツの703億ドル、
次いで英国535億ドル、日本460億ドル、フランス445億ドルという順。
人口は、米国3億人、ドイツ8000万人、英国6000万人、
日本1億2000万人、フランス6000万人だから、
アメリカと同様、日本がいかに輸入量が少ないかわかる。
日本の自給率は41%と言われるが、
それはカロリーベースで計算しているからだ。
生産額ベースでは、66%となり、主要先進国の中では3位。
そして、自給率を発表している国は世界で日本だけ。
「先進国最低レベルの食料自給率」「後継者不足」
「耕作放棄地の増加」といった負のキーワード
「日本農業弱者論」は、新たな自虐史観だ。