『未来の呪縛』

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ジャーナリスト、河合雅司

なぜ、日本の少子化はここまで深刻な状況になってしまったのであろうか。2017年の年間出生数は94万人ほどにとどまり、2年連続での100万人割れという危機的状況にある。戦後のベビーブーム期には270万人近くいたことを考えれば、わずか70年ほどで3分の1になった計算だ。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計によれば、このままで推移すれば2115年の出生数は31万8000人まで減る。こんなハイペースで減ったのでは、日本人はやがて絶滅のときを迎えよう。それにしても日本の少子化は異常だ。

一般的に、文明が成熟すると少子化は進む。経済が発展して多くの人が豊かになると死亡率が下がり、同時に出生率も低下する傾向がみられるのだ。だが、少子化が文明の成熟だけで起こるのならば、先進国はおしなべて少子化に直面していなければいけないはずだ。だが、調べてみると、そんなことはないのである。

2010年を「100」とした場合、50年後の2060年には、先進各国の総人口がどうなっているかを、社人研が予測している。人口が減るのは日本、ドイツ、韓国だけである。
中でももっとも減少幅が大きいのが日本の67.7だ。韓国は89.9で、ドイツは79.1だ。日本の突出ぶりが分かるだろう。それ以外の国はどうなっているのか。アメリカは142.1と今より40%も増加が見込まれているし、オーストラリアは163.1と大幅な増加が予測されている。伸び率こそ少ないが、イギリスが131.4、フランス116.8である。イタリアは102.8とほぼ横ばいと予測されている。同じ先進国でもこれだけの違いがあるわけだ。

なぜ人々は鈍感だったのだろうか。少子化の影響というのは、変化が乏しいことに原因がある。「きのう」と「きょう」で違いを見つけることなど不可能であろう。いまだ呑気な人は少なくない。国会議員や首長からしてそうだ。この期に及んでも「少子化に歯止めをかけます」と威勢のいい公約を掲げている。
残念ながら日本の少子化は止まらない。なぜならば、過去の少子化で子どもを産める年齢の女性が減ることが決まってしまっているからだ。今、我々がやりうることといえば、少子化に歯止めをかけるというスローガンを掲げることではなく、少子化のスピードを緩めるためにあらゆる手立てを講じることである。そして、少子化を前提とし、それに耐えうる社会へと土台から作り直すことだ。こうした地道な努力を続ける中で、いずれ出生数が本格的に回復する時期が到来するのをじっと待つしかない。

■少子化に歯止めをかける10の提言
1.高校同級生ボランティアチームの結成  
2.お見合いの普及  
3.「未来の人生年表」をつくる  
4.20代対象の「母親応援手当」の創設  
5.第3子以上に1000万円給付  
6.「父親休暇」制度の導入  
7.子育て世帯の全国転勤凍結  
8.「全母親支援センター」の全国展開  
9.「育児保険」の新設  
10.ゼロ歳に選挙の投票権を付与  
【番外】社会保障費循環精度の導入

10のゼロ歳に選挙の投票権を付与とは、米国の学者、ポール・ドメイン氏が提唱している。子どもたち「1票」を与えるといっても、直接投票させるわけではなく、保護者が代理人となり、子育てにプラスになるような政策を掲げている候補者に投票をできるようにするということ。

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『日本人である幸せ』

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金美齢

私は2009年秋に、日本国籍を取得した。この理由については、さんざんあちこちで語っているが、2008年の台湾総統選の民進党敗北がきっかけであった。日本人として日本のパスポートを持った瞬間、私は国際社会に歓迎されるようになった。日本のパスポートで渡航できる195ヵ国のうち、事前にビザ申請が必要な国はせいぜい60ヵ国あまり、つまり130ヵ国以上を事前のビザ申請なしで訪れることができる。
たとえ事前ビザ申請が必要だとしても、日本パスポート所持者に対する事前審査はさほど厳しくない。パスポートコントロールを通過するさいも、日本パスポート所持者に対する各国のオフィサーの態度は心なしか丁寧で親しみにあふれている。税関の荷物検査も、心なしか緩やかだ。パスポート無し時代、中華民国パスポート時代を知っているだけに、私には日本パスポートは魔法のパスポート、パスポートにミシュランガイドがあるならば、三ツ星どころか五ツ星のパスポートに思えた。これは、日本のもつ国際社会に対する国家イメージが極めて良好だからである。先人たちが積み重ねてきた功績でもある。日本人はそういう日本をもっと誇りに思うべきだろう。

私が無性に腹のたつことがあるとすれば、それは日本人なのに、国家を否定し、国旗や国歌を侮辱しながら、日本のパスポートで平然と海外に行き、日本国政府に身元を保証されていることが当然だと思っている人たちがいることである。国家の庇護を受けながら、その国を否定するその手の人々は「私は世界市民、コスモポリタンだ」とうそぶき、国境があるから争いがあるのだ、とわけのわからない理想を掲げる。しかし、国際社会というのは国家の集合体である。いずれの国家にも属さない人間が国際社会に受け入れられるはずがない。他国の侵略を受け、伝統的文化をないがしろにされ母語も定まぬ悲哀を一度も経験したことのない若い日本人が、「ほとんどの人は国を守るのは何となく当たり前だと思っている(と思う)。だけど本当にそうなのか?」といった疑問を本気で、訴えているのを聞くと、この国の未来に不安を感じてしかたがない。

もちろん、国家が国民の敵という国もあるだろう。もし日本が本当にそのような国民の自由と基本的人権を弾圧するような圧政の国だと考え、本気で国家と闘うつもりであるなら、一度、そのパスポートを引き裂いて捨ててみるといい。かつて中華民国の蒋介石独裁政権と闘っていた私が中華民国パスポートを引き裂いて捨てたように。その覚悟もない人間が、国家に守られながら国家を否定する姿は、台湾人に生れた悲哀を知る人間からみれば、滑稽を超えて哀れを催す無知である。

豊かさにどっぷりつかり、与えられている幸せが当たり前となってしまうと、感謝がなくなる。それは、この時代、この瞬間に日本に生れたという幸せ。もし仮に、紛争地域や、独裁国家に生まれたとしたら、この日本がどれだけ天国のような国かわかる。戦闘や爆撃あるいは投獄や拷問の恐怖にさらされない幸せ。批判・非難や文句ばかり言う人間は、今ある幸せに気づいていない。自分だけ安全なところにいて、相手を罵倒する人間の品性は卑しい。今与えられている幸せに感謝しなくてははらない。

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