変化の激しい時代にあっては、謙虚に学び続ける事が大切だ。今の知識に頼るのではなく、伸びしろを大切にしなさいと教わった。
本来、学びは学校を卒業したら解放される苦行ではない。一生続く友なのだろう。学問だけではない。芸術やスポーツ、その他の文化も、きっと同じだ。
突き詰めていく感性を、卒業したからと言って失ってはいけない。
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変化の激しい時代にあっては、謙虚に学び続ける事が大切だ。今の知識に頼るのではなく、伸びしろを大切にしなさいと教わった。
本来、学びは学校を卒業したら解放される苦行ではない。一生続く友なのだろう。学問だけではない。芸術やスポーツ、その他の文化も、きっと同じだ。
突き詰めていく感性を、卒業したからと言って失ってはいけない。
2つの離れる戦略
1.短期計画、過去の延長線、既成概念、思い込みから離れる。突拍子もない夢を、まず考える。次に、その大きな夢の実現性をPDCAを回して検証していく。
2.優れた技術やビジネスプランは囲い込んで、自社だけの為に使わない。全世界の企業や消費者に展開する事を、最初から狙う。囲い込めば始めは上手く行くが、世界の誰かが追いついて競争相手になってくる。そして、他の地域からシェアを奪われてしまう。特許については、世界中で申請して、開発を進める。完成した時には、全世界の企業にウチの技術を利用して貰う事を目標にする。その為には、知財戦略は完璧にしておかねばならない。
すべての命の営みは、繋がっている。あらゆるモノとの、双方向の創造行為である。人間同士、人間と他の生命体、過去や未来の人との繋がりだけでなく、空気や日光さえも。
自分の命は、自分の私有物ではない。この大いなる繋がりの中で生かされている。それを本当に自覚した人は、それを分かち合う事で、幸せを広げて行く。感謝と祈りの心にならざるを得なくなり、幸せに生きていける。
すべての繋がりを活かすのが仏教である。双方向の創造行為を、言葉によって行うのがキリスト教である。
辛い出来事に遭遇した時、そこから目を背けるだけでは何の解決にもならない。いたずらに後悔しても、何の益ももたらさない。
その体験を経て初めて見えてくる幸福な世界がある事を信じて、現実を受け入れて行く。そうして、魂は大きく成長して行く。
水は低い方へと流れてゆく。木の葉があったら、それを押さえつけて上を流れる事は無い。木の葉を浮かべて、低きへと流れてゆく。
浮かべた水が動かし、浮かべられた木の葉は、動かされている。浮かべられた木の葉が勝って、浮かべて下にいる水が負けたのではない。
大衆を自分の思う方向へ引っ張っていく場合、自分だけが一生懸命動いても、相手が動いてくれなければ、目的は達せられない。
相手の足が、相手の心が、大地にベッタリと付いている間は、決して動かない。動かすには、まず浮かべねばならぬ。浮かべるには、相手の足元に心を置かねばならぬ。
低きについて、浮かべても、動かすのも、必ず相手の幸福を考えて行動せねばならぬのである。
低く心を使うという事は、百人よりも千人、千人よりも万人と、より多くの人の足元に心を置く事である。それは、結局、広いという事になる。
朝、人と会った時。低い心を使って、こちらから先に挨拶すると、相手は直ぐにいい気持ちになって浮かぶ。そして、挨拶を返して来る。
低く出れば相手は浮かび、浮かべば動き始めるのである。水は低きへと、限りなく流れる。それに、すべてが浮かんで動かされる。水の低き心こそ、一切を動かす力である。
運命は、与えられたモノである。しかし、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉の様に、人間に運命を活用する余地が残されていると思う。この人事の尽くし方によって、自分の運命が決まってくる。
10%の努力で、残り90%の運命が光彩を放つ。となれば、自分の範囲で精一杯の人事を尽くさねば大損である。
自分の人生には、どうにもならない面がある。しかし、その範囲において、信念を持って自分自身の道を力強く歩く。そうすれば、大きな成功を収めても有頂天になることもない。失敗しても失望落胆しない。
与えられた運命といっても、すべて決まっているわけではない。そこには、10%の自分の余地が残されている。10%を大切にすれば、それが梃子となり、100%の運命を手にする事もできる。
決まった運命などない。自分の意志や努力で、運命は100%変えられると思うなら。不遜で傲慢となり、運命の女神から見放されるだろう。
自然界の動物たちは、したい事をしながら生きている。そのせいだろう、彼らはとても逞しい。日本では、年間に3万人も自殺している。この環境は、不自然界と言える。
「~したい」という生き方を選ぶと、困難に直面しても、気力・活力がある。知恵も出る、仲間も活用するので対応しようとする意欲は十分できる。
「~しなければ」を選ぶと、もともと気が向いていないので、気力は不足する。困難を乗り越える気力・活力は生まれない。
我々の選択肢は、「できるか?できないか?」ではない。「やるか?やらないか?」もしくは、「やりたいか?やりたくないか?」である。
「やりたい」と思ったら、宣言する。「シンプルは元気の源」と。気持ちが揺れ動いていたら、それは大切な感覚だ。無理は不自然。揺れ動く感情もありがたく味わおう。
あなたのすべて、そのままで十分だ。神の祝福を。
マクロの金融政策への期待が強い。金余りにして経済を押し上げて欲しい。円安にして、輸出を支えて欲しい。そんなマクロでの依存が強すぎる。
これは、成長戦略の意味を履き違えている。日本では、もう成長できないと、海外へ逃げる事ばかり考えている。
マクロの環境が良くなくても、そこで成長する努力をするのが経営者だ。
社会の上層に居る人たちの意識が問題。彼らは、能力のある者、努力をした者は、それに相応しい報酬を受け取る権利があると思っている。実は、正しいようで、それは間違っている。
能力や努力できる能力は、先天的なモノである。それは、天からの贈物であり、自分の私有物ではない。だから、独占してはいけない。天賦の能力は、皆の為に用いるべきものなのです。
能力主義的な考えを、改めないと格差は無くならない。
業界トップのJXが、どこにも出せない安い値段でシェアを伸ばしている。いくら、自由競争の経済であっても、これは不当廉売であり問題だ。ナンバーワン企業が、製品の値段を崩し、唯一アベノミクスに逆らっている。
昔、世の中の物価を半値にしてみせると豪語した馬鹿がいた。流通のトップ企業の代表だった。物価が半値に落ち込んだら、とんでもないデフレ、不景気になっている。自分さえよかったらいい中内氏だからできる事だ。中内氏は代表から降ろされ、ダイエーは消滅した。
あの愚行を、今はJXがやっている。中内氏の様に総スカンを食うかもしれない。