『斎藤一人 俺の人生』

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斎藤一人

最近、セクハラの問題が外国なんかでずいぶんあります。あのね、セクハラって、あんたが嫌いってことなの。だって好きな人だったら、誘われたら嬉しくてしょうがないでしょ?だから、好かれる人間になることだよね。神様ってね、ユーモアが大好きなんです。

で、面白いことに、人は笑うと、一瞬にして心が開きます。だから私はいつも、いろんな話を「これをどう表現したら、笑える話になるだろうか」って考えてるんです。
でね、まずは自分が笑える話にするわけです。自分が笑おうと思うとね、ものすごく面白くしないと笑えないんだよね。ところが、人を笑わせようと思うと、自分を笑わせたときの半分とか3分の1くらいの面白さでも笑ってくれるの。
もっと言うとね、相手の人数が多くなればなるほど、わずかな面白さでウケるんだよ。1000人集まれば、ちょっとした冗談でもワッと笑うよ。いちばん笑わせるのが大変なのは自分なんです。だから、いつも自分を笑わせてるとね、人に会ったとき、相手を笑わせるくらいの冗談を言うのはワケないんです。

で、私は何か面白い話があると、この話をどうやって表現したらもっと笑えるだろうかって考えるんです。だから、私はいつも、とても人には言えないような面白いことを考えては、1人でクスクス笑ってるの。そうすると、周りから、「今、何考えてるんですか?」って聞かれるんだけど、言えないって(笑)。

幸せって、楽しいのと同じです。例えば、俺は野球の選手になるんだって決めて、野球選手になって大喝采されているところや豪邸に住んでいるところを想像すると、それだけで楽しくなるものなんです。練習してようが、トレーニングしてようが、野球に関することなら何をしてても楽しいはずなの。だから、本物の野球選手になるまでのトレーニングなんかは楽しくないっていうのは、本物じゃないんだよね。本物っていうのは、想像しただけで楽しくなるものを言うんです。

ところが、世の中には楽しんじゃいけないと思っている人が一定数いる。そんなこと思う必要はないんだよ。あのね、一人さんって、とにかく面白くなきゃいけないと思ってるんです。で、そう思ってるから、私の人生は面白いわけです。四六時中、面白いこと考えてるんだから、毎日面白くてたまらいんだよね。

もし、1日に3人を笑わせることができたら、あなたの人生は大正解だと思います。同じ人ばっかり、毎日笑わせてもいい。やってごらん。『面白いことってね、面白くないことから生み出されるものなんです。私の場合だったら、納税日本一になったとき、周りの知り合いから判で押したように、「斎藤さん、儲かって笑いが止まらなでしょう」とかって言われたんです。そういうときには、すかさずこう返しました。「笑いが止まらない段階はもう過ぎちゃった。今は、あんまり儲かるものだから、夜になると笑いすぎて涙が止まらないんですよ」そうすると、だんだん何も言われなくなってくる(笑)。

そんなことないよって否定したり怒ったりするから、あれこれ言われるんだよね。こんなのもあったよ。ちょっと太るとね、「斎藤さん、金太りですか」って。幸せになることで太ることを幸せ太りって言うよね。それと同じように、私にお金が入ったから太ったと言いたいんでしょう。それにたいする答えは、こうです。「いや、金太りじゃないんだよ。金むくみで、今はもうむくんじゃって」私のは、金むくみだって返すんです(笑)。

こんなふうにね、笑えるような答えがいちばんだよ。相手も笑えて、こっちも笑える。それができると、変なことを言ってくる人はいなくなります。だから私がいつも考えるのは、こっちも笑えて相手も笑える答えは何だろうっていうこと。要するに、相手よりちょっと楽しい知恵が勝っていればいいんだよね。』

いつも、人の心を冷やす名人がいる。愛のない言葉を発して、一瞬にして、相手の心を傷つけたり、嫌な気持ちにさせる。しかし、大事なのは、その挑発に乗らないこと。自分はいつも愛ある言葉を発し、相手を明るくして元気にさせると心を決めるのはもちろんのこと、相手の言葉に乗せられて、不機嫌になってしまっては元も子もない。この世に生を受けた我々にとっての一世一代の大事な修業は、どんなことがあっても、愚痴や、悪口や、不平不満、文句、泣き言を言わないこと。そして、言わないだけでなく、いつも愛ある言葉を発し、相手を笑わせることができたら、周りも自分も幸せになれる。

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『マサカの時代』

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五木寛之

近ごろ、専門家や情報通と呼ばれる人たちの予想が外れることがしばしばある。少し前まで私は、その種の「マサカ」には、あまり驚かないほうだと思っていた。それでも最近、現実に起きる出来事には驚かずにいられない。メディアを含めて大方の予想が外れ、マサカの現実にぶつかる。そのたびに、「やっぱり、確実な未来予測などないものだな」、あらためてそう痛感することが増えている。

先年の衆議院選挙でも、一時は小池総理の可能性まで取りざたされたのが、結局は自民党が圧勝したように、先が読めないことがつぎつぎに起こる。2016年は海外でもイギリスのEU離脱が決まり、トランプ大統領当選があった。昨今の相撲界の不祥事もそうである。経済を見ても、株価がバブル崩壊以降で一時最高値を更新する一方で、東芝や神戸製鋼、日産、東レといった大企業が、経営危機や不祥事に揺れている。自動車業界は電気自動車シフトに雪崩を打ち、AI(人口知能)を業務に導入する大手銀行が、相次いで大リストラを打ち出すようになった。ひと昔前、就職すれば親戚一同にも鼻高々だった大企業でさえ、一生安泰というわけではなくなった。まさに時代の大転換期なのだ。

もちろん、いつの時代も「マサカ」という出来事は起こる。しかし、今の時代はそれが非常にドラマチックな形で、目の前に迫ってきているという実感がある。「マサカ」の上に「マサカ」が続く、そういう時代だと感じないではいられない。

私の趣味の一つは、十年ぐらい前の経済雑誌を読むことだ。そこでは、様々な学者やエコノミストが日本経済の先行きを予測しているが、そのほとんどが、外れているのが痛快である。後になって、自分が間違っていたと反省する本を出された人もいるが、ごく少数派だろう。
本として刊行される大半は、なぜバブルは起こったのか、なぜ崩壊したのか、という後付の話ばかり。後からの理屈は誰でもつけられる。そうではなくて、その道の専門家として、十年後はこうなる、という見通しを聞きたいものだといつも思うのだ。

『本物の「マサカ」の時代。その中で、個人にできることは何なのか。一つ言えるのは、人は自分の死生観を持つべきだということだ。いま自分が生きていること、やがて確実に死ぬということに対して、自分なりの答えを用意しておかなければならない。』
これからはますます、あらゆる予測という予測が外れる時代に入ってきた。AIやITなどの急激な進化や、変革が及ぼす影響が読めないからだ。まさに、「マサカの時代」。
その中で、一つ絶対に確実なことは、「人は生まれたら必ず死ぬ」という現実。これは、どんな金持ちだろうと有名人だろうと、この現実は免れることはできない。つまり、どんなことが起ころうと覚悟を決めるといこと。覚悟を決めるということは、生きている限り、己の人間力を磨き続け、少しでも善き人間となること。どうせ死ぬのだからと、自暴自棄になったり、享楽的になって努力を放棄してしまっては、この世に生まれた意味がない。

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『AIvs.教科書が読めない子どもたち』

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数学者、新井紀子

私は日本人の読解力についての大がかりな調査と分析を実施しました。そこでわかったのは驚愕すべき実態です。日本の中高生の多くは、詰め込み教育の成果で英語の単語や世界史の年表、数学の計算などの表層的な知識は豊富かもしれませんが、中学校の歴史や理科の教科書程度の文章を正確に理解できないということがわかったのです。

これは、とてもとても深刻な事態です。英語の単語や世界史の年表を憶えたり正確に計算したりすることは、AIにとって赤子の手をひねるようなことです。一方、教科書に書いてあることの意味を理解するのは苦手です。あれ、日本の中高生と同じなのでは?…そう思われましたか。そうなのです。現代日本の労働力の質は、実力をつけてきたAIの労働力の質にとても似ています。

それは何を意味するのでしょうか。AI楽観論者が言うように、多くの仕事がAIに代替されても、AIが代替できない新たな仕事が生まれる可能性はあります。しかし、たとえ新たな仕事が生まれたとしても、その仕事がAIで仕事を失った勤労者の新たな仕事になるとは限りません。

現代の労働力の質がAIの似ているということは、AIでは対処できない新しい仕事は、多くの人間にとっても苦手な仕事である可能性が非常に高いということを意味するからです。では、AIに多くの仕事が代替された社会ではどんなことが起こるでしょうか。労働市場は深刻な人手不足に陥っているのに、巷間には失業者や最低賃金の仕事を掛け持ちする人々が溢れている。結果、経済はAI恐慌の嵐に晒される…。残念なことに、それが私の思い描く未来予想図です。
実は、同じようなことはチャップリンの時代にも起こっています。ベルトコンベアの導入で工場がオートメーション化される一方、事務作業が増えホワイトカラーと呼ばれる新しい労働階級が生まれました。
でも、それは一度に起こったことではありません。タイムラグがありました。大学が大衆化し、ホワイトカラーが大量に生まれる前に、多くの工場労働者が仕事を失い、社会に失業者が溢れました。それが、20世紀初頭の世界大恐慌の遠因となりました。

その時代、ホワイトカラーという新しい労働需要があったのに、なぜ失業者が溢れたのか。答えは簡単です。工場労働者はホワイトカラーとして働く教育を受けておらず、新たな労働市場に吸収されなかったからです。
AIの登場によって、それと同じことが、今、世界で起ころうとしています。そうならないために、数学者として、今、できることは何か。それは、実現しそうにない夢のような未来予想図を喧伝することではなく、現実的に、今、起ころうとしていることを社会に伝えることだ。

日本の学校では長い間、テストや入試においては、覚えたものを再生する「記憶再生能力」を問うことが多かった。しかし、覚えたものを正確に再現する動画記録やボイスレコーダー的な機能は、もはや、すべてのスマホにアプリとしてついている。
「記憶再生能力」と対極にあるものが「感性」だ。境野勝悟氏は、かつて進学校の教師をしていた頃、東大に楽々と現役入学する生徒を何人も見て、「記憶再生能力」プラス「感性」イコール10、という方程式が成立することに気づいたという。つまり、ボイスレコーダー的記憶再生能力が8だとすれば、感性は2しかないということ。
読解力を身につけるには、感性の力が必要だ。感性とは、「相手の気持ちなれる」、「人の気持ちを感じとる」といった、喜怒哀楽を感じる力だ。AIに人間が勝つために必要なことは、AIにできないことを身につけなければならない。これからの時代は、ますます…人の気持ちを感じ取る「感性」を身につけることが必要だ。

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