『心を満たす』

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マツダミヒロ

あなたは、どんな時にイライラしていますか?それは、自分が満たされていない時ですね。心にいっぱいの幸せを感じていたら、怒ることも少なくなるはずです。満たされることで、心が安定するからです。反対に、心が安定していないと、相手を攻撃するような言葉を発してしまいます。「なんでやらないの?」「なんで言うことが聞けないの?」「なんでわかってくれないの?」一見、質問の形に見えますが、これは怒りをぶつけて理由を聞き出す「尋問」なのです。心が満たされていないと、自分に対しても尋問してしまいます。「なんで私はダメなんだろう?」と尋問しても、言い訳を探すことになります。自分を否定する要素を探して、自らを傷つけます。すると、悲しい気持ちになって、エネルギーをロスしてしまいます。つまり、心のグラスの中身が減ってしまうのですね。

まず、最初に、私が魔法の質問でお伝えしている「シャンパンタワーの法則」について説明したいと思います。グラスをプラミッド上に積み上げ、シャンパンを注ぐセレモニー「シャンパンタワー」をご存じでしょうか。
● 一番上のグラスを自分
● 2段目のグラスを家族
● 3段目のグラスを仕事のスタッフや友達
● 4段目のグラスをお客様
● 5段目のグラスを社会や地域の人々と見立てます。
そう思った時に、あなたは、どの段のグラスから、シャンパンという名の、愛とエネルギーを注いでいるでしょうか。家族のため、スタッフのため、お客様のためにと、愛とエネルギーを注いでいる人は多いことでしょう。
でも、すべてのグラスにシャンパンを注ごうと思ったら?そう、一番上、つまり、まずは、自分自身に注ぐことが大事なのです。自分に注いであふれたエネルギーが、次の段へとあふれていくことこそが、美しくエネルギーが行きわたる形なのです。自分のグラスを満たすことで、周りにもエネルギーを与えることができるのです。

自分が満たされていれば、人に優しくできます。余裕を持って接することができるし、課題の解決にも地に足をつけて取り組めます。まず、自分の心を満たすことは、すべてにおいて大事なことなのです。心を満たす方法は2つあります。『「人に満たしてもらう方法」と「自分で満たす方法」だ。多くは誰かに満たしてもらおうと思ってしまうが、それでは「誰かに何かをしてもらえないと、自分の心は満たされない」という依存の状態になりやすい。
自分で自分の心のグラスを満たす方法を持っていれば、依存体質にならずにすむ。たとえば、緑を見ると落ち着くから、10分間だけでも公園を散歩する。コーヒーが大好きだから、朝の5分だけでも、おいしいコーヒーを味わう時間をつくる。そんなふうに、自分の行動によって自分の心を満たすことを行ってみよう』

■安岡正篤師「六中観(ろくちゅうかん)」
【意中有人(いちゅうひとあり)】 心の中に尊敬する師を持ち、誰かに推薦できる人があること。
【腹中有書(ふくちゅうしょあり)】 自分の哲学や座右の銘、愛読書を持っていること。
【壺中有天(こちゅうてんあり)】 狭い壺の中に広々とした天(空)があるという意味で、何か事あった時には「誰にも邪魔されない心休まる自分の別世界を持つことが必要だ」と言うこと。

尊敬する師や、自分の愛読書、哲学、座右の銘などがあれば、心はいつも満たされる。そして、 壺中有天という別世界を持つ人は、どんなに困難なことがあろうとも、自らにエネルギーを充填できる。「 シャンパンタワー」の構造を忘れずにまず、自分自身のシャンパングラスを愛で満たそう。

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『リーダーの脳科学』

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黒川伊保子

リーダーの条件とは、周囲を笑顔にする力。つきつめると、案外、それしかないかもしれない。

かつて、写真家の白川由紀さんが、そんなことを私に教えてくれた。アフリカ大陸を単身歩き、見たこともないような鮮やかな色の空や大地を撮り続けていた白川さんは、そこでたくさんの集落を訪れた。東洋人の若い女の子は珍しいらしく、どの集落でも親切にされ、晩餐に招待されたという。ある集落では若いリーダーが、別の集落では長老のリーダーが彼女を迎えてくれた。華美な装飾を身に付けたリーダーもいれば、誰よりも質素な服装のリーダーもいた。豊かな声量の雄弁なリーダーもいれば、寡黙なリーダーもいた。
記号論的な条件で言えば、「リーダーたるもの」に類型などないかのように見えたが、実際には、紹介される前に、誰がリーダーなのか、白川さんには必ず分かったという。それはね、と、彼女は微笑んだ。「その人がその場に入ってきたとき、そこにいる全員が、嬉しそうな顔になるから」

私は、企業コンサルタントという立場上、日々、多くのリーダーに会う。率先して先頭を走るタイプもいれば、おっとりと構えて周囲に「この人をなんとかしてあげたい」と思わせるがために、部下の潜在力をじっくり引きだすタイプもいる。緻密さ、つかみのよさ、臨機応変さ、バランスの良さ、あるいは、突出した何か…リーダーのリーダーたるゆえんは、リーダーによってさまざまに違い、ふたりとして「同じタイプ」と確信するリーダーに会ったことはない。

しかし、どの“名将”にも共通なのは、周囲を嬉しそうな顔にする力の持ち主であることだ。しかも、その力は、彼の肩書きを知らない人にも及ぶのだ。一見のレストランに入っても、“名将”は必ず大切にされる。店の人の表情が、接待用の笑みから、嬉しそうな笑顔に変わるのがわかる。周囲を笑顔にする力。これは、ときに奇跡を作りだす。運がいいと言われる人に、必ず備わった力でもある。
周囲を笑顔にするのは、実は、簡単なことなのだ。自分が、嬉しい気持ちでそこにいればいいのである。あらゆることに好奇心を働かせ、そこにいることを楽しむ。ただ、それだけだ。しかしながら、きっと、「常に、そこにいることを楽しむ」こと自体が、一般には難しいのに違いない。

■「「周囲を笑顔にする力」の反対は「周囲を不機嫌にさせる力」ゲーテは、「人間の最大の罪は不機嫌である」と言った。ということは、「人間の最大の功績は周囲を笑顔にする力」だ。一人、その人が入っていくだけで、その集まりがパッと明るくなり、笑顔になる。まさに、リーダーそのものだ。

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『不機嫌は罪である』

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明治大学教授、齋藤孝

あなたは日々の生活のなかで、次のような人を見かけたことがないでしょうか。朝の通勤ラッシュ時、満員電車で少し肩を押されただけで舌打ちをしている人。ご近所同士で挨拶しようとすると、スタスタと歩いていってしまう人。スーパーマーケットで小さな子どもが泣き出しただけで、眉をひそめる人。飲食店のスタッフが少し雑談をしているだけで、クレームをつける人。電車がちょっとでも遅延すると、駅員に詰め寄って怒鳴る人。ベビーカーを見かけると、「邪魔」という感情を隠さない人。朝出社したときに、同僚に挨拶もせず、仏頂面でデスクに向かう人。会議で自分の提案がうまく通らなかったといって、つっけんどんになる人。部下が失敗したときに、周囲の目も気にせず、ヒステリックに怒鳴りつける人。
挙げていくときりがありませんね。どれも、おそらく心当たりのある光景ではないでしょうか。しかもこうした行動をとっている人には、地位も分別もありそうな方もかなりいらっしゃいます。もしかしたら、あなた自身もこれらの行動をとってしまい、後悔したこともあるかもしれません。あるいは、自分がそうした行動をとっていることに気づかずに、周囲から「あの人って不機嫌だな」と敬遠されている可能性もあります。

機嫌とは、人の表情や態度に表れる快・不快の状態です。つまり不機嫌とは、不快な気分を表情や態度に表しているさまをいう言葉です。現代を生きる人の多くがかかえているのは、行き場のない「慢性的な不機嫌」です。情報伝達の差し迫った必要性があるわけでもなく、不快であることを伝えても事態は何も解決しないのに、無意味な不機嫌を世の中に撒き散らしている人があまりにも多い。電車の中で舌打ちしたからといって、満員電車が解消されるでしょうか?インターネットで書き散らした罵倒が、社会を良くしたことがあったでしょうか?誰も「舌打ちや罵倒をしたら事態が良くなる」と思っているわけではないのに、表に不機嫌が滲み出てしまっている。現代人は四六時中誰かの不機嫌な言動にさらされ、ちょっとずつ精神を消耗しています。そして自らも、知らず知らずのうちに不機嫌に侵食されてしまっているのです。

中年から老年にかけての男性の不機嫌の問題をいち早く取り上げたのが、シェイクスピアの『リア王』でした。リア王は、愛情深い末娘が自分におべかを使わないことに激昂して彼女を追放し、甘言を弄する上の娘たちをかわいがった結果、身を破滅させて荒野をさまようことになります。老人の不機嫌が招く悲劇をこれ以上なく描いた作品です。さすがにこの本をお読みの方の中に国王はいないでしょうが、身につまされっる教訓が詰まった作品です。

プチ「リア王」にならないためにも、まずは自分の不機嫌に自覚的になってみてください。「40歳を過ぎたら、普通にしていても不機嫌そうに見える。上機嫌くらいでちょうどいい」と自覚するだけでも変化が起きます。

「いつも上機嫌」と聞いたとき、あなたはどんな印象を抱くでしょうか?お調子者で何も考えていない不用意な人なのではないかと考える人も多いかと思います。逆に「いつも不機嫌」というと、しかつめらしい顔をして難しいことを考えている、つまり「頭がいい人」と考えるのではないでしょうか。知的な人間はやたらとニコニコと愛想よくふるまわない、作家や学者というのは根暗で不機嫌なものだという風潮が根強く存在しています。
まず正しておきたい誤解が、知性と機嫌は決して結びついてはいないということです。機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように思われがちですが、気分をコントロールすることは立派な知的能力の一つです。
仏頂面をしている人、他人に辛辣なことを言う人のほうが、よく物を考えているように思えるかもしれません。ところが実際は、前向きに生産性のあることを考えている人の頭やからだは柔軟に動いています。表情もやわらかですし、ポジティブな空気を発するものなのです。
不機嫌がクセになると、頭も身体も動きにくくなります。運動不足と同じで、こころの運動能力が下がってしまうんですね。気分をコントロールすることはこころの運動能力を維持し、仕事や人間関係のパフォーマンスを上げる知的技術です。

■「「人間の最大の罪は不機嫌である」ドイツの詩人、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。人間の最大の罪とはかなり大袈裟のように感じる。しかし、笑顔やあくびが伝染するのと同じように、不機嫌もあっという間に伝染するということを考えるとそれも納得できる。家庭や会社の中において、朝から晩まで、全員が不機嫌だとしたら、その家庭も会社も、早晩崩壊してしまう。上機嫌も不機嫌もあっというまに周りに伝染する。どうせ伝染するなら上機嫌の方がいいに決まっている。

■哲学者アランの言葉もこれに近い。感情に流されてばかりだと悲観的になる。それを意思で克服すると楽観的になれる。

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