『アメリカ海軍に学ぶ「最強のリーダー」』

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マイケル・アブラショフ

多くの人がカン違いしているのだが、「おれのいうことを黙って聞いていればいい」という日本でありがちなリーダーのやり方は、決して「トップダウン」ではない。では、真のトップダウンとは何か。
情報を隠すことなくオープンにしてすべての人と共有すれば、誰もが同じ判断にいたる。すべての情報を上から下まで共有することで、誰もが同じ判断のもとで動き、社が一丸となって同じ目的に邁進する状況をつくり出せる。その上で、早い判断をしていく「トップダウン」なのである。

アブラショフ氏は、艦長時代、同じようにすべての情報を部下に対して開示し、情報を共有した。無線で上司と話をするとき、全艦にそのやりとりをオープンにして部下に聞かせた。上司を説得してくれと、部下たちは手に汗を握りながら聞いていただろう。説得できなければ、「残念だな!」となるし、うまくやったら全員がワ―ッと声を上げ、手を叩いて喜ぶ。その一体感が、全員の士気を上げ、艦全体を盛り上げていったのである。

アブラショフ艦長は、与えられた環境を最大限に活かし、味方につけていく天才であり、同時に艦の成果を何倍にもする素晴らしいリーダーであった。
日本のリーダーシップのあり方というのは、いまだ「GPS指導型」が主流だ。「ホウ・レン・ソウ」、つまり「報告・連絡・相談」を重視する。「現状を報告しなさい」「では、まずこの問題に、このように対処して、できたらまた報告しなさい」といった調子で、上司はさながら部下の「GPS」であるかのように、現在地点から次のステップへ行く方向も、手順も、すべて導いてしまうのである。
部下は「GPS」にしたがうだけ。みずから考えて行動する機会を与えられず、答えだけを知ってしまう。その仕事で成果を出したとしても、なにも学べず、なにも身につかない。まさに「指示待ち人間」を一生懸命に作り出しているのだ。

本来、リーダーシップとは、「AI育成型」であるべきなのだ。人工知能は、そこに人間が知識を詰め込んだだけでは、人工知能たり得ない。知識をもとに、AI自身に「学習」させるというプロセスを踏む必要がある。人間も同じなのだ。その仕事に明確な正しい解があるなら、マニュアル化して誰でも間違いなくこなせるような仕組みをつくればいい。いわゆる「形式知」である。
しかし、「暗黙知」、つまり言語化できない、経験やカンをもとにした知識を自分のものにするには「AI」のごとく自分で習っていくしかない。仕事における暗黙知の比重は、とても大きい。
「舵をとれ。ただし航路は外れるな」と、アブラショフ氏は書いている。リーダーは部下に対して、自由に裁量できる権利を増やすと同時に、絶対に越えてはならない一戦を示さなければならない、という意味だ。「ここへ到達するまではお前に任せるから、やりたいように舵をとれ。ただし、航路から外れないようにチェックは入れるぞ」これこそ「AI育成型」のリーダーだ。
しかし、「GPS指導型」の上司は、「おい、ちょっと右に行きすぎだぞ」「今のうちに、左に舵を切っておけ」と、途中でいちいち指示を出す。言われたとおりに動くだけの部下は、何も学べない。

この「AI育成型」のやり方で仕事を叩き込まれた人間は、自分で考え、行動し、失敗も成功もその経験を糧にしながら、着実に成長していく。
昨日反発していた部下たちが急に慕ってくるような、速効性のある一発逆転の“魔法”のようなリーダーシップなどこの世に存在しない。彼は、日々、地道にコツコツと、部下のことを思い、部下のためにできることを考えて、前例のない行動を起こし続けた。
海軍兵学校を出たばかりの新人は、配属される艦が決まると、自己紹介をかねて艦長に手紙を書き、返事をもらうのが習わしなのだそうだ。しかし、彼は新人のとき、艦長から手紙の返答をもらえず、不安な日々を過ごした。その経験から、自身が艦長になったとき、彼は新任の乗組員の配属が決まると、彼らの便りをまたずして、自分から歓迎の手紙を送った。仕事の内容や配属までに準備をしておくこと、赴任地の情報、それに艦名入りのキャップまで送ったそうだ。こうして迎え入れられる新人たちは、どれだけ心強かっただろう。艦に足を踏み入れ、艦長と言葉を交わすその日を楽しみに待ったのではないか。

アブラショフ艦長は、このように地味で手間のかかるやり方を各方面で貫いて、部下を味方につけていった。軍隊には、強烈なトップダウンが必要、と思ってしまう。しかし、軍隊も会社も、およそ組織という組織の基本は変わらない。
部下やチーム全員と揺るぎない信頼関係をつくることにより、その組織の方向性や理念に従って、個々人が自律的に考え、学習し、行動する組織をつくることだ。
ただ上から命令し、「黙って俺の言うことを聞いておけばいい」というような組織からは、ギスギスした冷たい関係しか生まれない。本当のところは、人は命令では動かないからだ。「ロバを水辺まで連れていくことはできるが、ロバに水を飲ませることはできない」という諺のごとく、喉が渇いていなければ無理矢理水を飲ませることはできない。
つまり、人が動きたくなるような状況に持っていく、このことこそがリーダーシップの要諦だ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『身軽に生きる』

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医師、矢作直樹

どう考えても人の道を外れているのにお金で動いてしまう、道徳心を吹き飛ばして信念を曲げてしまう人が、世の中にはいます。自分さえ良ければいい、儲かればそれでいい。そう考えた瞬間、その人から社会性が消えます。
社会性は「おかげさま」と「おたがいさま」の心で構成されています。人間は社会的な生き物ですから、その人から社会性が消えると周囲が誰も助けなくなります。「仲間ではない」と認識されるのです。

自分さえ良ければいいという人が増えると、社会の成熟度が低下し、やがて社会そのものが崩壊します。国家が破たんするときは、こういう人が蔓延します。インターネットという匿名世界ではびこる罵詈雑言、現実の世界で起こるストーカーやクレーマーによる事件。眉をひそめたくなるような状況を見ていると、日本の社会も海外の例に漏れず、成熟度が下がっている気がします。

この道徳心に関連して、大切なことがあります。それは「人によって言葉を選ぶ」ということです。一見すると正直さが欠けるような表現に思えるかもしれませんが、これが実はとても重要なことなのです。人は、それぞれ成熟度が違います。「人生は限られた時間、楽しんで生きましょう」と書くと、それをポジティブに受け取ってくれる方もいれば、全く逆に「そもそもどうやって楽しめばいいのか?その方法を書いてないから駄本」とネットで毒を吐く方もいます。
本はどうしても一つの書き方しかできませんが、会話はいくらでも表現を変えることができます。だからこそ、目の前にいる相手の成熟度に合わせて話をする、相手にわかる言葉、理解しやすい言葉で説明をする。これができると相手のストレスや相手とのトラブルが減り、自分との関係性もスムーズになります。
お釈迦さまの言葉「人を見て、法を説け」は、まさに至言。言葉選びは、気遣いです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『困難を乗りこえる 強い自分のつくり方』

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石橋真

リクルートは人材輩出会社と言われる。「独立」「起業」のイメージも強い。そのベースが「お前は、どうしたいの?」という問いから生まれる当事者意識だ。リクルートの新人研修で、ある企業の管理者セミナーを見学したレポートを書かされた。僕はセミナーの内容や手法、講師にについて学んだ点や批評を書いて提出した。
そうしたら営業部長に呼び出され、レポートを投げつけられて、叱られた。「石橋、お前はこのセミナーを見学して今後は何を改善して何を提案すべきだと思っているんだ?それが書かれていない。お前には当事者意識が足りない!」と。当事者意識とは、自分とは直接関係のない仕事や部署のことであっても、自分はひとりの関係者であるという意識を持って、「自分ならどうしたいか?何をなすべきか?」と考えて発信・行動することをいうのだ。

「他人事」を「我事化」するのだ。当時のリクルートの誇りは、「偉大なる素人集団」というものだった。リクルートは、新聞の求人広告のしくみもわからないド素人の江副さんが、学生時代に「企業への招待」という学生求人誌を創ったことから始まった。素人だからこそ業界や顧客に思い切った異質の提案を出せる。新人だからこそ、思い切って自分の意見を出せるというDNAだ。

僕は、この当事者意識はキャリアが高まるにつれて4つの段階を上ると思っている。
第1段階が「自分」。自分は、自分をどうしたいのか?
第2段階が「他人」。自分は、お客さまや職場メンバー をどうしたいのか?
第3段階が「会社」。自分は、会社をどうしたいのか?
第4段階が「社会」。自分は、社会をどうしたいのか?

人や会社を批判したくなったら、自分に問いかけてみよう。「自分ならどうしたいのか?」と。それを「他人」「会社」「社会」へと発展させてみれば、内側から強いエネルギーが湧いてくるのが分かるはずだ。

〇小山薫堂『「勝手にテコ入れ」トレーニング』
日々、目に入るあらゆるものに、勝手にテコ入れする訓練(トレーニング)だ。たとえば、レストランに入ったら「自分だったらこういうメニューを出すのに」、とか「こういうサービスをするのに」とコンサルになったつもりで、勝手に考えてみるトレーニング。別にお金をもらうわけでもないのに、「ここの経営者にはこんなプレゼンをする」と考えてみる。これは当事者意識を身につける最高のトレーニング法だ。当事者意識の弱い人は、すべてにわたって他人事のように考えてしまい、自分のこととして捉えない。
どんなに素晴らしい講演を聞いたとしても、「素晴らしい講演でした」とか「すごい話でした」では何も身になっていない。当事者意識の強い人なら「自分ならこうする」「今日から必ず〇〇の習慣を身につける」「明日から会社で〇〇を始めよう」と思う。我事(わがこと)として捉えるのだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『百田百言』

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百田尚樹

《相手の剣の届くところに身を置かねば、自分の剣もまた届かない》
(影法師・講談社文庫)

『影法師』に登場する剣術の道場主の言葉である。誰だって真剣で戦うときは、傷を負わずに勝ちたいと思うだろう。しかし敵の剣が届かないところで、いくら剣を振り回しても、相手を斬ることはできない。相手を斬ろうと思えば、敵の剣の間合いに自ら入らなければならない。これはあらゆる勝負に言えることではないかと思う。

株でも競馬でも大きく勝とうと思えば、大きく張らないといけない。ビジネスも同様。人と同じことをやっていては、大きな失敗もしない代わりに、大成功もない。結局、自分が傷つくおそれが一つもない状況では、所詮、大きな勝利を得ることはできないということだ。これはビジネスや金儲けに限らない。人間関係や恋愛においても同じである。

相手の懐に深く飛び込んでこそ、本物の人間関係が築かれるし、恋も成就する。嫌われることを恐れてばかりいて、大事な一歩を踏み込めずにいては、何も生まれない。

《書評家という奴は、絶対に弾が飛んでこないシェルターから銃を撃っている》(夢を売る男・百田尚樹)より

我々はともすると、書評家や評論家になりやすい。灼熱のグランドで戦うサッカーや野球の選手たちを、空調の整った部屋のテレビで見ていて、批評したり、罵倒したりする。ビジネスも人生も同じだが、一歩を踏み出すという行動を起こさなければ何も生まれない。
グランドに一歩踏み出せば、失敗もあるかもしれないし、傷つくかもしれない。観客席に座って、ああだこうだと批判しているうちは、何の変化も起こせない。「相手の剣の届くところに身を置くこと」一歩を踏み出さなければ何も生まれない。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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AIとIoTの恐ろしさ

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2106年、米大統領選挙でトランプが民主党の地盤である、ペンシルバニア、ミシガン、ウィスコンシンなどのラストベルトの諸州で競り勝った。
これらの地域では、工場の閉鎖が相次ぎ、人口も減少し、非正規雇用が増大して失業率は上昇していた。白人の中低所得層には絶望感が広がっていた。

彼らの失業や減収は、主としてAI化やIoT化によるものだった。しかし、移民や外国が職を奪っているというストーリーの方が彼らには理解しやすく感情移入が簡単だった。
トランプは人を操るためにフェイクニュースを発信した。トランプのフェイクニュースにも驚きだが日本も、AI化、IoT化でこうなる可能性は高いですね。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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SDGsの罠

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温暖化対策として、レジ袋削減のためにエコバッグを買う。ベットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩く。その善意だけなら無意味に終わる。それどころか、その善意は有害になる。
温暖化対策をしていると思い込むことで、本当に必要な大きなアクションをしなくなるからだ。良心の呵責から逃れ、現実の危機から目を背ける免罪符を買ったに過ぎない。

こんな消費行動は、資本の側が環境配慮を装って私たちを欺くグリーン・ウォッシュに取り込まれただけだ。政府や企業がSDGsの指針をなぞったところで気候温暖化は止められない。

SDGsはアリバイ造りだ、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。かつてマルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる宗教を大衆のアヘンだと批判した。SDGsは、まさに現代版大衆のアヘンである。
アヘンに逃げ込むことなく、直視しなくてはならない現実は、私たち人間が地球の在り方を取り返しのつかないほど大きく変えてしまったということだ。

斎藤幸平「人新世の資本論」より

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『ありがとうの奇跡』

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小林正観

〇「私の『本当の使命』は何でしょうか。本当の自分探しを20年やっているのですが、まだ『本当の使命』が見つかりません」「あなたは、今、何をやっているのですか」「主婦です」「主婦なんですね。じゃあ、夫と子ども、まわりの家族に対してできることを、ただ淡々とやっていけばいい。まずは、目の前のことをやる。
目の前のことをやらないと、神様は上から見ていて、『家庭のこともちゃんとやれないのだから、他のことは任せられない』と思ってしまう。」パッと服を脱ぎ捨てて、突然、「スーパーマン」になることを夢見ている人が、世の中にはたくさんいます。でも、「今とは違う別のところに、すごい役割やすごい能力が隠されていることは」は、残念ながら無い。今の「私」が、既に「100点満点」なのだから、「今、やらされていること」を普通に淡々とやって、淡々と死ぬのが、「人生をまっとうすること」です。

〇「2年前、有名な神社の境内を歩いていたら、白い光が私の体に入ってきました。パアッとすごい光に包まれたのですが、あれはいったい何だったのでしょうか?」私の答え。「単なる勘違いだと思います」「あなたは、きっとすごい人なんだ。それはすごい現象だ」と私に言われたかったのでしょう。
けれど、私は「唯物論者(ゆいぶつろんじゃ・現象が「物質的」に現れない限り信じない)」です。本当に特別な力を持った光が体に入ったのだとしたら、すでに、私に聞く必要はなかった筈です。すごい人になって「あれをやっても、これをやっても、何でもうまくいって、既にひっぱりだこの状態になっている」筈です。「あれは何だったのでしょうか?」と聞きに来るということは、現時点で、「何も起きていないから」であり、2年間も何も起きていないということは、「単なる勘違い」と考えるほかありません。「自分には、何かすごいことをやる使命がある筈だ」と思っている人ほど、「目の前の人・こと・もの」を大事にしていない。「頼まれたこと」を誠実にこなしている人に、「これをクリアしたので、次は別のことをやらせてみようかな…」と、神様だったら思うでしょう。

〇小林正観さんは、「頼まれたことがあったら、それをできるだけ全部引き受ける」頼まれごととは、PTAや町内会、あるいは公的なボランティアのようなものから、会社や家庭の仕事も含まれる。今、目の前に与えられた仕事だ。ときには、自分の苦手なことも頼まれたりする。しかし意外に、自分の苦手なことや、不得意なことの中に、人生の転機のキッカケやチャンスになることがあったりする。
だからこそ、「頼まれごと」は、文句を言わず、面白がって、淡々と引き受けることが必要だ。頼まれごとを何年にもわたって、淡々とやっていくと、自分の使命が見えてくる。どんな方向に動かされているのか、という神の意志のようなものをそこに感じるからだ。自分に与えられた目の前の仕事を、淡々と一所懸命にやっている人のところにしか、次のステップはやってこない。今の生き方がチャランポランな人に、次の飛躍につながる大きなチャンスなどはやって来ない。まずは、目の前に与えられた仕事を一所懸命に取り組む。

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『ワクワク人生教室』

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武田双雲

京都でタクシーに乗った時です。往きと帰りで、同じ会社の別の人のタクシーに乗ったのですが、二人の運転手さんが絵に描いたような正反対のタイプでした。
往きのタクシーの運転手さんは、まるで口グセのように「つまんない、つまんない」を連発します。「お客さんも最近ガラが悪いし不景気だし、会社も給料を払ってくれない。タクシーの運転手は肩が凝るし最悪」ネガティブなことばかり言うものですから、僕も「大変ですね、運転手さん」と調子を合わせるしかありませんでした。それ以外にも気になるところは、ありました。車内はちょっとたばこ臭かったし、ところどころ汚れていました。大音量で野球の実況中継が流れていたりして、何か空気感もよくない。運転手さんのイライラが車内の随所に表れていましたし、それが僕にもダイレクトに伝わってしまっていたのです。
帰りも同じ会社のタクシーに乗ったのですが、ビックリするくらい何もかも違っていました。車内に入ると、アロマの香りがフワッと漂い、清掃も行き届いている。ラジオが流れていましたが、「何か聴きたいものがありますか。音楽にしましょうか」と、こちらを気遣ってくれます。運転手さんとも会話しましたが、ネガティブな言葉は一切出てきません。「私はタクシー運転手になりたくてなったんですが、『こんなに最高の職業はない』と思っています。いいお客様ばかりに出会って、本当に天職です。休みの日でもタダで働かせてもらいたいくらいです」一緒に乗っているだけで、運転手さんのワクワクが伝わってきました。こちらまで気分が良くなってきます。おそらくこの運転手さんのタクシーに乗ったら、誰もが僕と同じような気持ちになるでしょう。
「同じタクシー運転手なのに、ワクワクしている人とイライラしている人とでは、こんなにも違うのか」この人の出来事は、そう感じさせる貴重な経験でした。イライラしながら運転するタクシーとワクワクしながら運転するタクシー。あなたは、どちらの人が運転するタクシーに乗りたいですか。こう聞かれたら、ほぼ全員が後者と答えるはずです。それでも、こう聞いてみましょう。

もしあなたがタクシー運転手だとしたら、どちらのタイプになりますか。同じように、後者を選ぶ人は多いはずです。本当は、誰もがワクワクしながら仕事をし生活したいと思っているのではないでしょうか。「イライラしながら仕事をしたり生活したりしても、いいことはない」と、気づいてはいます。それなのに、忙しかったり思うように成果が出なかったりして、イライラしながら仕事をするタクシー運転手のようになってしまう。
本当は、そういうことをしたくない。ワクワクしながら仕事や生活をしてきたいと思っているにもかかわらず…。ワクワクとドキドキはセットになっている。ワクワクとドキドキは、未来を思ったり感じたりする時に出る言葉。「この先どうなるのだろう?」と不安を感じて暗くなりそうになったら、逆に笑顔でニコニコするといい。表情を明るくするだけで、ワクワクしてくるからだ。また、ワクワクを感じるためには、好奇心が必要だ。好奇心があれば、色々なことを面白がることができ、同時に、ワクワク感じるようにもなれる。子どもは好奇心のかたまりだ。でも、大人になるにつれ、多くの人は好奇心を失い、ワクワク感もなくしてしまう。毎日をワクワクして暮らす努力をしよう。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『今こそ日本人の出番だ』

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筑波大学名誉教授、村上和雄

心理療法家、河合隼雄「人間が幸福であると感じるためには2つの条件が必要である。一つは、自分の人生にきちんと向き合って生きるということ。もう一つは、自分を超える存在と繋がっているという感覚があることだ。」

自分を超越するものというのは、昔から神とか仏とか言われているものかもしれません。私の言葉でいえばサムシング・グレートですが、そういうものと繋がらないと、なかなか人間は本当に幸せになれない気がします。どんな人間も一人で生まれ、一人で死んでゆく。だから、生涯にわたって、何か無限のものに繋がっているという安心感が、人間を幸せにする根本に必要だと思うのです。

今まで私たちの価値観は、目に見えるものにあまりにも偏っていました。これからは目に見えないものにも価値を置いて、幸せを発見していく。人間は単に物質だけでは満たされないことはもはや明白で、本当の幸せをどうやって見つけていくかが世界の大問題になっています。

日本がそのモデルを提示することができれば、日本は世界で役立つ国になれます。人間は誰でも幸せを求めていますが、本当に幸せになるためには、死をどう捉えるかという問題を避けては通れません。「メメント・モリ」はラテン語で、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という警句です。
死を思うことによって、今生きていることを実感する。死を思わなければ、生の充実がない、ということです。しかし、今の日本人は死を思うどころか、死を忌み嫌って、なるべく避けようとしています。

昔の人は、自分を支えるものがあると信じていて、それを神様とか仏様と言いました。だから、中年になっても老年になっても平気だった。「私は死んだら行くところが決まっている。ご先祖になるんですわ」と言うようなお爺さんもいました。行く先を知っているということが、その人を安心させていたのです。
どんなに健康で長生きしても、人間は必ず死にます。これは絶対的真理です。とすれば、死というものをどう捉えるかが非常に重要になってきます。死を考えたうえでの人生観を持たない限り、人は最期、不幸に終わります。我々はこの世に生を受けた時から、死に向かって進んでいる。そして、人生後半になれば死はだんだんと身近なものとなる。「年を取るということは、あの世(神様)と近くなるということ。だから、神社やお寺のお役を受けるんだよ」と言った人がいた。

大方の日本人は、若い頃はあまり神社やお寺のことには興味がない。しかし、年配になってきたら話は別だ。誰でも、病気になったら病気のことを身近に受けとめ、人一倍知ろうとして勉強する。同様に、あの世に近づいたら、神社やお寺や神様を身近に受けとめ、知ろうと努め、勉強する必要がある。「メメント・モリ」自分がいつか必ず死ぬことを忘れてはいけない。

エジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『「出る杭」は伸ばせ!』

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辻野晃一郎

日本は、人々の「働き方」についても、政府主導で変革を迫らねばならない国になり果てた。かねて、ホワイトカラーの生産性の低さが指摘され続けてきたが、いよいよ国民の働き方を本気で変えないことにはどうにもならないところまで来た、という国家的危機意識の現れだろう。

しかしながら、本来、働き方改革を主導するのは政府ではなく、自社の差別化と競争力強化を目指すそれぞれの企業自身であるべきだ。さらには、そこで働く人達も、働き方に対する当事者意識をもっと研ぎ澄ませる必要がある。
少子高齢化が進み人口は増加から減少に転じている。2025年には、年齢構成上、人口が最も多い団塊世代約670万人がすべて75歳以上の後期高齢者となる。国民の5人に1人が75歳以上、3人に1人が65歳以上という超高齢社会の到来、人類が未だ体験したことがない未知の領域だ。

テクノロジーの進化もさらに加速していく。インターネットが出現して世の中は激変したが、今後は、さらにIOT(モノのインターネット)、人工知能(AI)、ロボティックス、宇宙開発、医療など様々な分野での飛躍的な技術革新が見込まれている。人工知能の能力が人類の叡智を超えるようになるといわれる「テクノロジカル・シンギュラリティ(技術的特異点)」の議論も現実味を増す一方だ。江戸時代から明治時代への移行や、太平洋戦争による変化にも匹敵する歴史的大変化が、これからいよいよ本格化していくのだ。武士や軍人がいなくなったように、今存在する多くの企業や職業が消えてなくなり、雇用形態も激変するだろう。にもかかわらず、相変わらずお上の旗振りがなければ重い腰が上がらない、という傾向は情けない。

依存型、受け身型、横並び重視型のスタイルを返上して、周囲がどうあろうが、自らの世界観や時代感覚に基づいて、積極的に行動する「出る杭」型企業や個人を増やしていかないと、この国の将来はない。
戦後に創業された世界的企業の代表格であるホンダでは創業者の本田宗一郎が「能ある鷹は爪を出せ!」「通産省(現・経済産業省)に言われたことと全部反対のことをやってきた。だから、ホンダの今日がある」という言葉を残した。

これらの言葉が生まれるのは、日本社会に根強く「出る杭は打たれる」という体質があるからだ。お上や上司には逆らわず、場の空気を読んで、発言も態度もできるだけ場を乱さず周囲の雰囲気に合わせるのがいい、とされてきた。何事もでしゃばらず、謙虚に、自分をアピールするよりも周囲に気を遣い、まずは相手を立てる。これは日本人が長い歴史の中で培ってきた美徳の一つでもある。だから、人の意見に逆らい、場の空気を乱し、出しゃばる人は嫌われる。

しかし、昔のソニーやホンダは、むしろ積極的に場の空気を乱すような生意気な人、「出る杭」を好んで求めていた。それは何故かといえば、会社の成長を支えるイノベーションというものは、大抵そういう人から生まれるからだ。あるいは、会社の危機というものも、大概そういう人によって救われる。
これは、世の中全般にとっても同じことだ。これからの何年かは、ITやIOT等の劇的な進化と人口減少もあいまって、想像絶する大変革が待っている。

誰もが知っているような有名企業もバタバタと倒産するかもしれない。今までの価値観がガラガラと音を立てて崩れていく。しかも、その変化のスピードが早い。これからの時代、空気を読んで、出しゃばらず、目立たないという何の特徴もないような企業は早晩、競争社会から退場を勧告される運命にある。この大変化をワクワクドキドキして迎える人は、「出る杭」の人。変化の時代は、出る杭でなければ生き残れない。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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