『仁義を通すと「信用」が生まれる』

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箕輪厚介

怪獣人間は怖い。だからみんなネクタイを締めて、ミスなく仕事をしようとする。しかし、怪獣人間はそんな表面上の、小手先の形式には興味がない。もっと人間関係の本質と向かい合うしかないのだ。仕事の進め方は怪獣人間に合わせてカスタマイズしていく。初対面の入り方と同じで、定型化しない。機械的作業にしない。常識的な仕事の枠組みにこだわらず、相手に合わせていくことだ。王道はない。
その中で、外してはいけないことはある。ひとつが仁義を通すことだ。「仁義なんてもう古い」と軽視する人は多い。だが、怪獣人間にそれは通用しない。なぜなら彼らはお金よりも「信用」という通貨で生きているからだ。

たとえば、僕と仲良しの起業家Aさんがいたとする。あなたが何かの縁でAさんに出会い「箕輪さんの知り合いなんだ。じゃあ、なんか一緒にやろう」と仕事をすることになったとする。いちいち「いま仕事でAさんとやり取りしています」と報告する義務はないのだろうし、僕もそんなことをしろとは言わない。それでも僕の耳には入ってくる。Aさんから「そう言えば箕輪くんの知り合いの○○さんと仕事してるよ」と聞かされたら、一言ってくれればよかったのにな、となってしまう。他人の仕事相手に勝手に連絡をするな、ということではない。しかしながら、こういう仕事のやり方をしていると少しずつ人間関係は狭くなっていく。

なぜか。それは「信用」という通貨を借りていることに気づけていないからだ。お金よりも信用の方が稼ぐのが難しい。「箕輪くんの知り合いなら仕事をお願いするよ」というのは、僕が「信用」という通貨を借りて仕事を得ている状況だ。それなのに、何も言わないのは、簡単にいうと「信用泥棒」になってしまう。
こちらの信用貯金を勝手に引き出しているのだ。別に何かを返せということではなく、「ありがとうございます」と伝え、借りていることを認識しておくことが大事なのだ。そうすれば、何かあったら助けてあげようと思うし、むしろ他の案件も紹介してあげようと思う。つまり自然に仕事が増えていく。

僕は、あまり気にしないタイプだが、50歳より上、それも60代以上の大御所の方はこの考えをものすごく大切にしている。おそらくSNSなどがなく、いまと比べられないほど「出会い」の価値が高かったのだろう。政治家や誰からの紹介、誰からの案件ということを重視する。
子ども同士で仕事をするなら気にする必要はないが、怪獣人間の世界では、仁義を通すか通さないかで人間関係に大きな差が生まれてしまう。外から見ているとよく分かるけれど、当人はまったく気づいていないことが多い。「人間関係が大事だ」と言っている人でさえ、義理を欠くことを平気でしていたりする。僕もこんなこと書きながらも、無意識に信用泥棒をしてしまっていることがある。だからこそ常に意識しなければいけないのだ。

怪獣人間は繊細だ。誰よりも細かいところを気にする。何ごとにも執着を持って生きているから、記憶力も異常だ。LINEのやり取り1つでも、よく覚えている。あれだけ忙しい人たちだが、「返信がないまま終わっている」とか「お礼がない」といった細かな点をずっと覚えている。
繊細さと大胆さはコインの表と裏だ。とてつもなく細部に執着しているからこそ、スケールの大きなことを発想できる。繊細にできない人は生きていけない。仁義のない者は死ぬ。信用泥棒は生きていけない世界なのだ。
怪獣人間とは、ひと癖もふた癖もあるとんでもない生き方をしている人たちのこと。ある面でヤバイ人であり、予測不能の怖い人。ホリエモンや、見城徹、与沢翼、ガーシー等々。しかし、表面的には静かでぱっと見では怪獣と分からない人もいる。それが、サイバーエージェントの藤田晋、メルカリ社長の山田進太郎。

■「仁」とは、思いやりや優しさのこと。相手を慈しみ、相手を思う心だ。「義」とは、誠実であること、嘘をつかないこと、陰でコソコソしないこと。「仁義」とは、儒教の根本理念。人として道徳上守る道のことであり、義理をかかないことだ。つまり、世話になったことや、受けた恩を忘れないこと。それが、「信用」につながる。仁義を通すのが必要なのは、何も怪獣人間だけではない。これは、どんな人間関係にも言えること。人間関係は、仁義を尽くすことさえ忘れなければ、良好に推移する。それは、「感謝」の気持ちを忘れない、ということでもある。

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『悪口を言われたとき』

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脳科学者、中野信子

裏切られた、騙された、ひどい悪口を言われた………誰かから与えられた傷は、自分自身が失敗するよりもはるかに深いものになります。こんなとき、意志の力で「早く忘れよう」とすれば するほど、「やっぱり忘れられない」という矛盾に苦しみます。こうした対立では、必ず意志の力が負けるのです。
そんな時は、むしろその苦しみや傷と向き合ってしまいましょう。そのひどい出来事自体を変えることはできませんが、それが自分にとってどんな意味があったのかという評価の部分はいくらでも変えることができます。

「最悪」という評価に終始するのか、それとも「たしかに傷ついたけれど、おかげで自分の甘い部分がわかった」と思えるのか。評価を変えることで成長し、その後、同じような目には遭わなくなるかもしれません。だから、忘れようとするよりも、それを反芻して思い出せるようにしておくことの方が、実は大事なのです。
もちろん、いうほど簡単なことではありませんから周囲の力も借りましょう。友だちに話を聞いてもらうなど、言語化することでずいぶん楽になるはずです

《人間関係の傷を癒やすには、無理に忘れようとしないこと》

何か嫌なことが起きた場合、「それは何の意味があるのか」と考えてみる。たとえば、知り合いから、〇〇さんがあなたに対して「ひどい悪口を言っているよ」と聞かされたとき。「嫉妬の対象になっているんだな、これも自分のステージが一つ上がったということ。ありがたい。」と視点を変える。
脳は、主語を理解できない。他人に言った言葉は、すべて自分のこととして捉えてしまう。他人に言ったつもりの悪口も、自分に対して言っているのと同じことになる。つまり、相手が悪口を受け取らないと、悪口を言った本人だけのものになる。
だから、悪口を言われたとき…「ああ、自分(言った本人)のことを言っているんだな。かわいそうに」と、視点を変える。

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『斎藤一人 俺の人生』

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不安な人って結局ね、神様を信じてないんです。神様がいるんだってことを信じてない。でも、この宇宙には歴然たる法則というのがあって、人の悪口を言いながら幸せになるとか、不安なことを考えながら幸せになるとか、そんなことはできないようになってるんだよ。

一人さんってね、下心なく人のことを褒めるんです。それに、お弟子さんが困ってたり、お手伝いが必要だなって人がいたりすると、私は飛んで行って手伝います。それで一人さんに何かいいことあるんですかっていうと、どういうことが起きるかまではわからないけど、必ずいいことがあるんです。そういうものなんだよ。ただ、もしごほうびがなかったとしても、お手伝いをした人から喜ばれるだけでいいことだよね。周りの人に喜ばれるだけで、私も幸せな気持ちになれるんです。

この世の中っていうのはね、まずは自分の周囲、簡単に言えば周り近所の人に喜ばれることしかない。私はいつも「自分も人も許そうね」って言うんだけど、人を許しましょうって言ったって、それはあなたの周り近所にいる人に対してだけなんです。
別に、ヒットラーを許せとか、そういう話じゃないよ。だって、ヒットラーはあなたの側にいないでしょ。あなたの側にいるのは、口うるさいお姑さんだとか、近所のおじさんくらいだよね(笑)。

もし会社が嫌なんだとしたら、会社を辞めちゃえばいいし、嫌な人とは付き合わなきゃいいんだよね。で、どうしてもその相手と付き合わなきゃならないんだとしたら、それは文句や愚痴を言わない修行なんです。
相手がいくら悪口を言っても、自分は言わない。あのね、嫌なことが起きるということは、ちょっと嫌なことあると人の悪口を言ったりするからなの。自分がそういう性格だから、嫌なことを引き寄せてくるんです。人の悪口とか、愚痴やなんかを言わなくなると、人生は必ず変わるよ。

自分が変われば、すべて変わるようになってるんです。どうしてですかっていうと、神様がそういう仕組みを作ったんだよね。あぁ、これは人の悪口を言わないための修業だなって分かれば、人生はパッといい方向へその瞬間に変わります。

この世の中は、人を変えようとするからおかしくなっちゃうんです。私なんて、もし週刊誌で自分の悪口を書かれたとしても、「この週刊誌、売れるといいね」って言います(笑)。あのね、悪口を言うってことは、自分の畑に唐辛子の種をまいてるのと同じなんです。人から悪口を言われて、こっちも言い返しちゃうと、言ったぶんだけ自分の畑に唐辛子の種をまくようなものだから、それを刈り取らなきゃいけなくなる。ピリッと辛くて目にしみるような出来事が嫌なんだったら、最初から唐辛子の種をまかなきゃいいんです。念のために言っておくけど、唐辛子がいけないってわけじゃないよ。これはたとえ話だからね(笑)。

『普通、「これはさすがに黙っていられないな」ってくらい嫌なことをされると、つい文句を言っちゃう。でもね、それでも言わないでいると、神様のごほうびがもっともっと多くなります。ものって考えようなんだよ。こんなに嫌なことされたんだから、堪忍袋の緒が切れてもしょうがないって。そんなふうに判断して、つい文句を言っちゃう。つい堪忍袋の緒が切れるような難しい問題を神様から出されると、みんなすぐひっかかっちゃうんです。

だけど、そこでひっかからない。そうすると、得点が高いんだよ。難しい問題でも、サラっと答えに愛が出せると、すごいごほうびがもらえる』世の中にはひっかけ問題が本当に多い。ここまでひどいのだから、文句を言ってもいいだろう、と思わせる出来事などだ。
言うにしても、愛ある言葉で、愛ある態度で、愛ある表情で、言うならいい。しかし、鬼のような形相で怒鳴ったり、相手を傷付けるようなひどいことを言ったら、ひっかけ問題にひっかかってしまったということだ。

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『なんか知らんけど、強運が舞いこむ習慣』

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本田晃一

リアルタイムでハッピーを味わいつくす達人に、書道家の武田双雲くんがいます。双雲くんは感謝とリアクションの天才です。彼の様子を見ていると、周りの人も何だか嬉しくなってしまいます。
たとえば一緒にごはんを食べに行ったりすると、双雲くんは、料理を食べた瞬間「う…うまい!」とか言って、箸を落とすんです。周りに人がいっぱいいるお店で、このオーバーリアクション!ごはんの時だけじゃありません、雨が降ってくると、「この水の感触…最高!」とか、いきなり言います。
僕はいつも、ちょっとびっくりしてしまうんですけど、そんな時の双雲くんは、とっても幸せそう。そして、そんな彼を見て、僕も何だか楽しい気持ちになってきます。

こう話すと、皆さんは少し驚いてしまうかもしれません。でも、僕たちはみんな、子どもの頃は双雲くんみたいに「今、目の前にあるラッキー」をキャッチする達人でした。
滑り台を発見すると、「滑り台滑りたい!」って思った瞬間、駆け出して、僕たちは全力で「今ここにあるハッピー」を味わい尽くしていたと思います。好きなことって、いつも理屈では決まらないものです。でも、子どもから大人になるにつれて、「好き」という感情を正当化するために、いろいろな理屈をこねるようになっていきます。
テストでいい点数を取るとか、知識を身につけるとか、偏差値の高い大学に入るとか、高い収入を得るとか、そういう「定量化・数値化できる幸せ」の総量を増やすことが正義、という価値観がインストールされていくからです。

すると、かつてあった「今あるハッピーを感じるセンサー」が鈍くなっていきます。実はこれって、運気を下げるもとなんです。なぜなら僕たちは、心が目の前に運ばれてきた「運」を気持ちよく受け取る状態に切り替わっていないと、ご機嫌に受け取れないからです。楽しく受け取れなければ、ハッピーもラッキーも、やってきません。

子どもの頃は「行動すること自体」が目的でした。はしゃいだ瞬間、うれしいことや楽しいことがどんどんやってきていました。だから、僕たちって本当は生まれながらに「超強運」なんです。
でも、成長するにつれて「行動すること」ではなくて、「知識を身につけること・頭で考えること」を目的にするようになります。知識や思考って、目的じゃなくて、行動した時にスムーズにいろいろなことを進めていくための、「手段」にすぎなかったのに、不思議ですよね。

幼い頃のように「なんか知らないけど、目の前にあるハッピー」を味わう、ニュートラルな自分に戻ると、「運」が舞いこんできます。大人になると、たいていの人は「驚く力」を失ってしまう。
「驚く力」は、感動する力でもあり、共感する力でもあるし、ワクワクする力でもある。子どもは、無邪気で、天真爛漫、好奇心いっぱいで、目をキラキラさせて毎日を感性豊かに生きている。

『梁塵秘抄』
「遊びをせむとや生まれけむ
戯れせむとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ」

子どもたちは、遊びをしようとして生まれて来たのであろうか。面白がったり、ふざけたりしようとして生まれてきたのか。無邪気に遊んでいる子どもたちの声を聞くと、自分までワクワクして、心や体が動きそうになってしまう。

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