『成功への情熱』

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稲盛和夫

人生とは自分自身が主役を演ずるドラマです。しかし実生活のドラマでは、単に演ずる以上のことをしなければなりません。自分自身で脚本を書くのです。始めから結末がわかっているドラマと違い、どういうドラマを描くかは、私たち次第なのです。
運命は生まれた時から決まっていると言う人もいますが、私はそういう考えに賛成できません。自分の心や考え方を高めていくことによって、運命をも変えることができると私は信じています。「運命」に抗するというのではなく、自分が演じたいと思う主役のための脚本を書けるように、心と精神を鍛えてゆくべきなのです。それを少しでも早い時期に実行すれば、それだけ早く自分の人生をコントロールし、日々の一瞬一瞬を真摯に生きていくことができるのです。そのきっかけは、人生の節々に数多くあるはずです。ですからそれを求めて必死に努力していれば、チャンスを掴むことができるのです。

しかし、人生の明確な使命や目的というものを持っていなければ、どんなにはっきりした、素晴らしいチャンスさえも見逃してしまうでしょう。人生というドラマにおいては、自分を主役にして脚本を書いた人と、目的意識もなく惰性で生きた人とでは、たいへんな違いができるのです。
また、時代がどう変わろうとも、人間の本質は変わらないのです。誰しも人間は人生で善きことを追求し、後世に何か価値あるものを残すことによって、「永遠性」を達成したいのです。「仕事に打ち込んで、世の中の役に立つことができました。私は幸せです」と言えるような満ち足りた人生を送ることを誰もが望んでいるのです。中には、この考え方に同意しない人がいるかもしれませんが、私は、この真剣な生き方の方が安易な生き方よりも良いと、心から信じています。おそらく人生経験を積んだ人たちには、私の言うことが分かってもらえるでしょう。

しかし残念ながら、そういう年輩の人たちは自分自身の人生観を若者と分かち合うことをためらうことが多いのです。時代が変わったのだから若い人たちには古い話は無意味だろうとあきらめがちですが、心を込めて話せば、ほとんどの人たちがその意味をわかってくれると私は信じています。

『卒業後、社会人となって成功した人を見て、「あんな奴、学生時代はたいしたことがなかった。俺の方が数段できが良かったんだ」とその友人を見下し、自分の方がもっと成功することもできた、と言うのです。果たしてそうでしょうか。卒業後成功した友人は、遊びたい気持ちを抑えて、一生懸命仕事に励んだに違いありません。自分自身に打ち克つには、たいへんな強さを必要とするのです。
人間の能力を考える時、その人の意志の強さも考慮に入れるべきです。実際、自分自身と闘うことを止め、安易な道を選ぶような人の能力は劣っていくのです。人生という長い旅路で成功するための能力とは、いわゆる「知能」だけではないのです』
小さな努力でも、何年か根気よく続けていれば、必ずよき結果にめぐりあえる。だからこそ、この世を終えるまで、自分自身の心や考え方を高めていくには、「継続」という意志の力が必要だ。自分自身の実際のドラマには近道はない。努力なしに成功するなどという、うまい話はないのだ。

「人生とは自分自身が主役を演ずるドラマ」

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『本当の自分に出会えば、病気は消えていく』

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トランスフォーメショナル・コーチ、梯谷幸司

私たちはそれぞれ、「生きる目的」を持って生まれてきます。つまり、今回の人生においてなしとげる「何か」を、各自が担っているのです。
その何かとは、「人々や世の中に貢献すること」かもしれませんし。「人々を愛すること」かもしれません。「これまでにない『価値』を創造すること」かもしれません。そして私たちは、こうした自分自身の生きる目的につながる活動をしているとき、幸せを感じます。本当の自分として生きていることに、充実感を覚えるのです。

ところが、現実の社会では、そうした生き方をするのが難しい場合が少なくありません。社会生活を送る以上、私たちはある程度、社会のルールに従って生きていくことが求められます。社会からの要請に応え、社会から望まれる形で生きていくことで、「社会的自分」がつくられていきます。そして、その社会的自分と、自分の生きる目的が合致しないケースが多々見られます。
たとえば、「俳優になりたい」「小説家になりたい」という夢があっても、まわりの大人たちから「夢だけで食べていけると思っているのか。安定した会社に就職しろ」と言われて反対されるのは、わかりやすい事例でしょう。

人は誰しも、「生きる目的」に向かって生きていきたい欲求がある。そのため、社会的自分と本当の自分との間に葛藤が生まれます。「社会からの期待に応えられる自分でなくてはならない」と懸命に思う人がいる一方で、ごくまれに社会からの期待をどこ吹く風で受け流し、本当の自分を貫く人もいます。
しかし大多数の人は、社会的自分によって本当の自分を徹底的に抑えつけます。「そんなことをしたら、怒られる」「それだけの能力はないから、あきらめよう」「そんな進路では、まともに生活できない」…などなど。社会的な自分が、さまざまな思い込みやセルフイメージをつくることで、本当の自分が生きる目的に向かって生きていくことを阻止しているのです。

とことん抑えつけられれば、抵抗や反乱が生じるのは、古今東西の歴史が証明しています。社会情勢と同じことが、人間の体の中でも起こります。それが「病気」です。社会的自分によって、自分の中の奥深くに封じ込められた本当の自分が「「このまま生きる目的に向かって生きることが許されないなら、元気でいても意味がない」と、さまざまな病気をつくり出していくのです。
これは、見方を変えれば、本当の自分からのメッセージともいえます。つまり、今の自分が生きる目的とズレた生き方をしていることを、本当の自分が病気という形を使って、教えてくれているのです。

病気を「敵」だと思っているうちは、病気はやめられない。『同じような病気にかかっても、それを確実にやめられる人と、なかなかやめらないどころか、悪化させてしまう人がいます。
私はかれこれ30年近くコーチングやカウンセリングなどを通じて、病気をやめる手伝いをしてきましたが、最近わかったのは、両者を分ける一つの大きな違いとは、病気を「敵」と見なしているかどうかだということです。病気をやめられる人たちは、病気を敵と見なしていません。もちろん、私とのセッションがスタートした時点では、多くの人が病気を敵と見なしています。ただ、病気をやめられる人たちは、セッションをつづけるうちに、病気が本当の自分からの「あなたは今、本来の『生きる目的』とズレた生き方をしているよ」というメッセージだと気づいていくのです。そして病気と向き合い、本当の自分と話し合いを始めます。

本当の自分に対して「これまで無視しつづけてごめんね」と謝罪し、和解していくのです。この段階に至るとほとんどのクライアントは、「社会的自分」に縛られることをやめ、本来の「生きる目的」に向かって生きはじめます。すると、気がついたら病気をやめられているのです。
では、病気を敵だと見なしつづけると、なぜ病気をやめられないのでしょうか。敵ということは、闘う相手だということです。そのため、敵である病気を倒し、根絶するための治療を選ぶ傾向があります。たとえば、薬を大量に服用したり、がんであれば放射線治療を選んだり、手術で切除したり、という具合です。あらゆる手段を使って、病気のもとを自分の中から消したり、切り離したりすることに懸命になります。

しかしこれは、本当の自分を無視したまま対症療法的な処置をしているだけで、根本的な解決にはなりません。そもそも病気は、封印されつづけた本当の自分が発する、「存在に気づいて!そして、本当の自分として生きて!」というメッセージです。そのメッセージを無視していては、いくら表面的な治療を施したところで病気を根本的に消すことは難しいのです。
そのため、なかなか治らなかったり、あるいはいったん治ってもすぐに再発してしまうのです。草むしりで雑草を刈ったところで、根が残っていれば再び生えてくるのと同じですね。病気が悪化してしまうのは、自らの存在をあくまでも無視しつづけようとする今の自分に対して、本当の自分が「それなら、もっときつい状況にして気づいてもらおう」という働きをするからとも考えられます』

この病気を会社の経営と考えてみるとよくわかる。会社の業績が悪くなってきたとき、そのメッセージに耳を傾けず、今までと同じことをしていたら、会社はどんどん倒産の方向に向かう。つまり、自社の、大切な価値観や、経営理念、行動指針やミッション、などを忘れていないか。それらを忘れて、逆に、無理な売上げ拡大をはかったり、ギャンブルのような投資に手をだしたり…。
それらを、軌道修正しなければ、どんどん業績は悪化し、ついには会社は存続できなくなる。

「病気はメッセージ」

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