『立ち上がれ日本人』

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世界最高齢首相、マハティール・モハマド

発展途上国であるマレーシアは、日本から多くのことを学びました。首相に就任した1981年、私は「ルック・イースト政策(東方政策)」を国策として採用しました。これは第二次世界大戦で焼け野原となった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとした政策です。

かつて読んだソニーの盛田昭夫元会長の本に描かれた、日本国民の強い愛国心と犠牲を払っても復興にかける献身的な姿は、私に深い感銘を与えました。労働者は支給される米と醤油だけで一生懸命働き、近代的な産業を育てるため寝る暇を惜しんで技術を磨いていったのです。
日本人の中でも私がとりわけ尊敬するのは、戦後の日本を築いた盛田昭夫氏と松下幸之助氏です。いずれも先見性を持ち、パイオニア精神と失敗を恐れずに挑むチャレンジ精神、そして独自の考えとやり方で技術革新を生みました。さらには日本の経済成長を助けるマネージメント能力を兼ね備えていたのが、彼らのすばらしいところです。

日本が明治維新後に近代化の道をたどりはじめたころ、西側諸国は単にアジア諸国の産品ほしさのために植民地を企て、次々と成功を収めていったのです。19世紀半ばにアジアで独立国として残ったのは日本とタイだけというありさまでした。そんななかで日本は欧米の覇権主義をかわし、新たな行政システムを導入し、経済を近代化していきました。
江戸から明治へ。歴史的にみて、明治維新は日本にとって大きな転換点でした。明治天皇の時代に下された決断の数々は、多くのことを教えてくれました。そしてその決断を実行した明治の先人を、私は心から尊敬しています。多くの日本人が当時、産業技術を習得するため欧州に送り込まれました。日本は瞬く間に欧州と同じレベルの産業の技術と、商いの方法を身につけました。さらには日本を統治しようとする欧州人の試みすら、1905年、近代化された海軍によってロシア軍を決定的に打ち負かすことで見事に粉砕してしまったのです。


その時、日本は東アジアで尊敬される存在となりました。マレーシアは、日本が成功した要因をひとつひとつ発見していきました。それは愛国心、規律正しさ、勤勉さであり、能力管理のシステムでした。政府と民間企業の密接な協力も見逃せません。私たちはこれらのやり方をまね、文化をも吸収しようとしたのです。そして自他共に求めるように、マレーシアは他のどの発展途上国より大きく発展しました。2300万人余りの人口しか持たない小国が世界第18位の貿易国に成長したことは、マレーシア人にとって大変な誇りです。

マハティール氏は、現在92歳。今年、5月10日に15年ぶりに首相として再登板した。その前は22年間、首相としてマレーシアを高成長に導いた。そして、初の外遊先は、他のどの国でもなく、日本を選んだ。マハティール氏はこう述べた
『中国におびえるな、米国に盲従するな、日本人よ、誇りを持て!』『日本はなぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか…。日本人には勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい』
そして、2002年11月、マレーシアを訪れた東京都立国際高校の修学旅行生に対して、『あなたたちには日本人の勤勉な血が流れているのだから、誇りに思いなさい』と、上記のようなスピーチをした。茶髪の高校生たちは、マハティール氏の言葉に「感動した。こんなことを言ってくれる日本の政治家はいない」と感激し、握手をして泣く子どもたちもいたという。今、マハティール氏が思ってくれているような、勤勉でよき習慣を持つ日本人がどれだけいるか、はなはだ心もとないが、現代に生きる我々の目を覚まさせてくれる言葉の数々だ。

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『さらば、爺様資本主義』

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藤野英人

高齢化社会と成長との関係性について考えるうえで、非常に示唆的だなと思ったエピソードがあります。私のベンチャーファイナンスの先生である、斉藤惇さんとお話ししたときに、聞いた話です。
斉藤さんは野村證券の副社長、東京証券取引所の社長などを歴任された辣腕の実業家で、年齢は70代後半。彼は、こんなふうに言っていました。

「私は40代のころ、自分が前に出ようとしたら先輩たちから止められた。『君はまだ若いから、年長者を立てなさい。そのうち順番が回ってきたら、主導権を握れるから』というのが、先輩たちの言い分でした。そういうものかと思って順番を譲り、待っていてどうなったか。いま私は70代ですが、まだ80代のみなさんがお元気で現役として残っています(笑)。

藤野君、これが高齢化社会というものですよ。待っていても順番は回ってこない。だから、チャンスがあれば主導権を奪取しなさい」
70代になってなお先輩が君臨する社会。考えただけでぞっとしますね。言ってみれば体育会系の部活で先輩にしごかれて、「1年ガマンすれば3年生が出て行く」と思ってがんばったのに、何年経っても先輩たちは出て行かない…そんな状況です。このような現象は、一部の特殊な業界だけで起きていることではありません。多くの身近な場所…例えば会社で、似たような風景が繰り広げられています。

最近でいうと、住宅大手の積水ハウスのトップ交代で、ドタバタ騒ぎがありました。また、少し古い例ですが、ダントツに象徴的だったのが、セブン・イレブンの持ち株会社であるセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文氏(現・名誉顧問)が、会長から退くことを表明した記者会見です。一部始終を見ていて、私は何度ものけぞりそうになりました。
「日本を代表する小売業のトップ交代の場だというのに、こんなにも幼稚な会話が交わされるなんて…」驚きながらも、日本の大企業の現場で起きている高齢化の闇がいかに深いか、その片鱗を見た気がしました。

この会見時点で、鈴木氏は83歳でした。稀代の経営者に対して、あまりにステレオタイプな表現で気が引けますが、私の頭には「老害」という言葉しか浮かびませんでした。やはり私が懸念している通り、日本の高齢化問題は「みんなの成長」を邪魔しているみたいです。
上の世代がいつまで経っても重要ポストに居座り、企業をはじめあらゆる場所で新陳代謝が起きにくくなっている。その結果、若い人たちが力を発揮する場所が一向に増えず、社会に新しい価値観が根付かない。時代が変化しつつあるのに、旧来型の発想から抜け出せず、成長の芽が摘まれてしまう…。

私は何も、高齢者の方々を悪く言うつもりはありません。問題は、爺様資本主義という「構造」なのです。爺様資本主義によって成長が阻害されているという現状に不安を抱いているのであり、誰が経済を握ろうとしても、みんなちゃんと成長できれば、それでいい。しかし、そうなっていないからこそ、あえて言いづらいことを言い、警鐘を鳴らそうとしているのです。

ジャーナリストの藤代裕之
『記者にセクハラ発言を行い辞任した財務次官や司会にもかかわらず記者に向かって指図し笑いものになった「(日大ブランド)落ちませんおじさん」、選手へのパワハラで対戦相手に怪我をさせた日大アメフト部前監督に、くだらない質問を浴びせるワイドショーの記者たち…。聞こえてくるのは「昔はあれで良かったのだが…」という声です。
今の時代こんなこと言ったら、やったら問題になるのになぜ分からないのか、と呆れている人も多いでしょう。しかし、これら時代錯誤おじさんは、OS(昭和)をアップデートしなかった組織の被害者かもしれません。時代錯誤おじさんは、セクハラやパワハラといったハラスメント、ダイバシティ(多様性)に対する意識が欠如し、ソーシャルメディアでの拡散や生中継によるメディア環境の変化にも疎いように見えるのは、OSが変化したのに、アプリケーションがそのままだからです』

今や、昭和はとうの昔に過ぎ、平成も最後の年となりかかっているのに、頭の中は、いまだ昭和のOSのままの人は多い。また、大企業でも老害による業績悪化や内部抗争が続出している。かつては名経営者と呼ばれていたが、時代の変化に対応できていない人たちだ。時代の「新しい」に好奇心や興味があるのかが、時代錯誤おじさんかどうかの分かれ目だ。例えばそれは、SNS、スマホ、AIスマートスピーカー、スマートウオッチ、VR等々を使っているのか、持っているのかということ。

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