不安な人って結局ね、神様を信じてないんです。神様がいるんだってことを信じてない。でも、この宇宙には歴然たる法則というのがあって、人の悪口を言いながら幸せになるとか、不安なことを考えながら幸せになるとか、そんなことはできないようになってるんだよ。

一人さんってね、下心なく人のことを褒めるんです。それに、お弟子さんが困ってたり、お手伝いが必要だなって人がいたりすると、私は飛んで行って手伝います。それで一人さんに何かいいことあるんですかっていうと、どういうことが起きるかまではわからないけど、必ずいいことがあるんです。そういうものなんだよ。ただ、もしごほうびがなかったとしても、お手伝いをした人から喜ばれるだけでいいことだよね。周りの人に喜ばれるだけで、私も幸せな気持ちになれるんです。

この世の中っていうのはね、まずは自分の周囲、簡単に言えば周り近所の人に喜ばれることしかない。私はいつも「自分も人も許そうね」って言うんだけど、人を許しましょうって言ったって、それはあなたの周り近所にいる人に対してだけなんです。
別に、ヒットラーを許せとか、そういう話じゃないよ。だって、ヒットラーはあなたの側にいないでしょ。あなたの側にいるのは、口うるさいお姑さんだとか、近所のおじさんくらいだよね(笑)。

もし会社が嫌なんだとしたら、会社を辞めちゃえばいいし、嫌な人とは付き合わなきゃいいんだよね。で、どうしてもその相手と付き合わなきゃならないんだとしたら、それは文句や愚痴を言わない修行なんです。
相手がいくら悪口を言っても、自分は言わない。あのね、嫌なことが起きるということは、ちょっと嫌なことあると人の悪口を言ったりするからなの。自分がそういう性格だから、嫌なことを引き寄せてくるんです。人の悪口とか、愚痴やなんかを言わなくなると、人生は必ず変わるよ。

自分が変われば、すべて変わるようになってるんです。どうしてですかっていうと、神様がそういう仕組みを作ったんだよね。あぁ、これは人の悪口を言わないための修業だなって分かれば、人生はパッといい方向へその瞬間に変わります。

この世の中は、人を変えようとするからおかしくなっちゃうんです。私なんて、もし週刊誌で自分の悪口を書かれたとしても、「この週刊誌、売れるといいね」って言います(笑)。あのね、悪口を言うってことは、自分の畑に唐辛子の種をまいてるのと同じなんです。人から悪口を言われて、こっちも言い返しちゃうと、言ったぶんだけ自分の畑に唐辛子の種をまくようなものだから、それを刈り取らなきゃいけなくなる。ピリッと辛くて目にしみるような出来事が嫌なんだったら、最初から唐辛子の種をまかなきゃいいんです。念のために言っておくけど、唐辛子がいけないってわけじゃないよ。これはたとえ話だからね(笑)。

『普通、「これはさすがに黙っていられないな」ってくらい嫌なことをされると、つい文句を言っちゃう。でもね、それでも言わないでいると、神様のごほうびがもっともっと多くなります。ものって考えようなんだよ。こんなに嫌なことされたんだから、堪忍袋の緒が切れてもしょうがないって。そんなふうに判断して、つい文句を言っちゃう。つい堪忍袋の緒が切れるような難しい問題を神様から出されると、みんなすぐひっかかっちゃうんです。

だけど、そこでひっかからない。そうすると、得点が高いんだよ。難しい問題でも、サラっと答えに愛が出せると、すごいごほうびがもらえる』世の中にはひっかけ問題が本当に多い。ここまでひどいのだから、文句を言ってもいいだろう、と思わせる出来事などだ。
言うにしても、愛ある言葉で、愛ある態度で、愛ある表情で、言うならいい。しかし、鬼のような形相で怒鳴ったり、相手を傷付けるようなひどいことを言ったら、ひっかけ問題にひっかかってしまったということだ。

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