本田晃一

リアルタイムでハッピーを味わいつくす達人に、書道家の武田双雲くんがいます。双雲くんは感謝とリアクションの天才です。彼の様子を見ていると、周りの人も何だか嬉しくなってしまいます。
たとえば一緒にごはんを食べに行ったりすると、双雲くんは、料理を食べた瞬間「う…うまい!」とか言って、箸を落とすんです。周りに人がいっぱいいるお店で、このオーバーリアクション!ごはんの時だけじゃありません、雨が降ってくると、「この水の感触…最高!」とか、いきなり言います。
僕はいつも、ちょっとびっくりしてしまうんですけど、そんな時の双雲くんは、とっても幸せそう。そして、そんな彼を見て、僕も何だか楽しい気持ちになってきます。

こう話すと、皆さんは少し驚いてしまうかもしれません。でも、僕たちはみんな、子どもの頃は双雲くんみたいに「今、目の前にあるラッキー」をキャッチする達人でした。
滑り台を発見すると、「滑り台滑りたい!」って思った瞬間、駆け出して、僕たちは全力で「今ここにあるハッピー」を味わい尽くしていたと思います。好きなことって、いつも理屈では決まらないものです。でも、子どもから大人になるにつれて、「好き」という感情を正当化するために、いろいろな理屈をこねるようになっていきます。
テストでいい点数を取るとか、知識を身につけるとか、偏差値の高い大学に入るとか、高い収入を得るとか、そういう「定量化・数値化できる幸せ」の総量を増やすことが正義、という価値観がインストールされていくからです。

すると、かつてあった「今あるハッピーを感じるセンサー」が鈍くなっていきます。実はこれって、運気を下げるもとなんです。なぜなら僕たちは、心が目の前に運ばれてきた「運」を気持ちよく受け取る状態に切り替わっていないと、ご機嫌に受け取れないからです。楽しく受け取れなければ、ハッピーもラッキーも、やってきません。

子どもの頃は「行動すること自体」が目的でした。はしゃいだ瞬間、うれしいことや楽しいことがどんどんやってきていました。だから、僕たちって本当は生まれながらに「超強運」なんです。
でも、成長するにつれて「行動すること」ではなくて、「知識を身につけること・頭で考えること」を目的にするようになります。知識や思考って、目的じゃなくて、行動した時にスムーズにいろいろなことを進めていくための、「手段」にすぎなかったのに、不思議ですよね。

幼い頃のように「なんか知らないけど、目の前にあるハッピー」を味わう、ニュートラルな自分に戻ると、「運」が舞いこんできます。大人になると、たいていの人は「驚く力」を失ってしまう。
「驚く力」は、感動する力でもあり、共感する力でもあるし、ワクワクする力でもある。子どもは、無邪気で、天真爛漫、好奇心いっぱいで、目をキラキラさせて毎日を感性豊かに生きている。

『梁塵秘抄』
「遊びをせむとや生まれけむ
戯れせむとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ」

子どもたちは、遊びをしようとして生まれて来たのであろうか。面白がったり、ふざけたりしようとして生まれてきたのか。無邪気に遊んでいる子どもたちの声を聞くと、自分までワクワクして、心や体が動きそうになってしまう。

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