『楽しい人生を生きるには』

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小林正観

「毎日がむなしい」という方がいました。仕事で言うと、「毎日がむなしい」「同じことの繰り返しで楽しくない」「やめようと思う」との内容が多いのですが、私はそういうとき、この質問をしてきました。「あなたは自分で自分のことが好きですか」。多くの人は、まずびっくりします。そして考えます。多くの場合、「私は私が嫌いです」との答えです。

「どうしたら自分で自分を好きになるんでしょう」実はそこにこそ、日常生活のなかのむなしさと縁を切る方法があるのです。結論的には、馬鹿なことをたくさんすること。「馬鹿なこと」というのは(金銭的・経済的に)全く、あるいはほとんどプラスにならないこと、です。
たとえば、会社に30分早く行く。そのときに自分のお金でバラを1本買って飾る。人の机でなく、自分の机でいいのです。自分のために自分のお金で机に花を飾るわけ。あるいは、廊下に落ちている紙くずを、歩くついでに拾い、近くのくずかごまで持っていって捨てる。トイレ掃除も有効です。

こういう提案をすると、必ずこういう言葉が帰ってきます。「花は会社の費用で買うことになっており、私が買っていかなくてもちゃんと飾られてます」。「廊下やトイレの掃除は掃除のおばさんがやることになっています」。そんな答えをしているうちは自分で自分を好きになることはまずないでしょう。「一銭にもならないことをどれだけできるか、するか」が、自分で自分を好きになるポイント。

馬鹿なこと、一銭にもならないこと、誰からも評価されないことを一生懸命やってみてください。そいう馬鹿なことをしている自分が、いつの間にかとてもかわいらしく、いとおしく、思えてきます。「自分で自分を好き」になってきます。「馬鹿な奴だ」と思いながら、でも自分の心に温かいものを感じるはず。

「自分で自分を嫌い」なら、それは「仕事」の問題ではなく、あなたの生き方の問題です。「嫌い」な自分をどこに連れていっても、どこに勤めさせても、どんな職業を選んでも、「むなしい」だけです。仕事の内容や待遇の問題ではありません。

一銭にもならないことや馬鹿なことをたくさんするのはいいのですが、「自己満足」の心も50%は必要です。自分の生活を犠牲にしてまで「人のために尽くす」のは勧められません。
「人のためにする」「人に喜んでもらう」50%、「それで自分も楽しく嬉しい」50%というのが、最も健康で、長続きするような気がします。
70対30だと辛くて自己嫌悪ですし、30対70だと自分中心のエゴイストに思えて、またまた自己嫌悪です。

もちろん、自分の心のありようが変わると、人が「どうしてあんなに人のために自分を犠牲にするんだろう」と思っても、自分は満足で楽しく、幸せに思いつつ生きることができます。
「人のために」しているのではなく、「自分が楽しいから」「幸せだから」「嬉しいから」したい、と思えるようになるのです。

自分のことを好きになれない人は、自分に劣等感があったり、自信がなかったり、いつもクヨクヨしたり、心配したり、という自己肯定感のない人が多い。

一銭にもならないことや、馬鹿なことをたくさんやると、自己肯定感が湧いてくる。自己肯定感がある人は、失敗してもすぐに立ち直れるし、他人のミスや失敗にも寛容になれる。そして、心に余裕ができる。大事なことは、一銭にもならないことを長く続けること。長く続ければ続けるほと、自己肯定感は増してくる。それは…
「 毎月、神社やお寺にお参りに行く」「社内や近所の掃除を毎日黙々とやる」「PTAや近所や公的な役職などを、頼まれたら快く引き受けるが、出処進退を誤らない」「講演会やイベントなど、人数が足りなくて困っているから来て等、頼まれたときには、支障のない限りできるだけ出席する」「人のためになるようなブログを書き続ける」等々。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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《素直な心になるために》

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松下幸之助

幕末のころ、土佐の檜垣清治(ひがきせいじ)という人が、そのころ土佐で流行していた大刀を新調し、江戸から帰ってきた坂本龍馬に見せたところ、
龍馬は、「貴様はまだそんなものを差しているのか。俺のを見ろ」と言って、やさしいつくりの刀を見せました。そして、「大砲や鉄砲の世の中に、そんな大刀は無用の長物だよ」と言いました。

清治は「なるほど」と気が付きました。そこで、龍馬のと同様の刀をこしらえて、その次に帰ってきたとき見せました。
すると龍馬は、「このあいだは、あの刀でたくさんだと言ったが、もう刀などは要らんよ」と言いながら、ピストルを取り出して見せたというのです。

またその次に帰ったときには、「今の時勢では、人間は武術だけではいけない。学問をしなければならない。古今の歴史を読みたまえ」と勧めたということです。
さらにそのつぎに会ったときには、「面白いものがあるぞ。万国公法といって、文明国共通の法律だ。俺は今それを研究しているのだ」と語ったそうです。

清治は、「そのように龍馬にはいつも先を越されて残念だった」と人に語ったそうです。坂本龍馬という人はいつも先々を見ていたから、そういう姿も出てきたのではないかと思われます。
そしてそういう、現状にとらわれない、たえず先を見るというような姿は、やはり素直な心が働いているところから生まれてくるものではないでしょうか。

「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」『三国志演義』
真の男子たるもの、死に物狂いで勉学や修練すれば、 三日も会わなければ、 見違えるように成長しているものだ。さあ、目をこらしてよく見るがよい、と。反対に、三日どころか、一ヶ月たっても、一年たってもまったく進歩のない者もいる。現状を変えようとしない人だ。
世の中が凄まじいまでに変化しているのに、自らを変えようとしない人は必ず時代から取り残される。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『対等で謙虚な姿勢』

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山崎武也

小さな子供に話しかけるとき、立ったまま見下ろすような姿勢でしたのでは、きちんとしたコミュニケーションは成立しない。一方的に上から下へという威圧感が、子供を無意識のうちに押さえつけているからである。
コミュニケーションは対等の足場に立ってのみ可能である、という原則が忘れられている。まず、物理的に対等な状態をつくり出さなくてはならない。

すなわち、子供に対しては膝を折って姿勢を低くして、目線の高さを同じにするのである。そうすると、子供に対する気持ちの持ち方も、自然に謙虚なものになる。物理的に対等なかたちをつくれば、精神的にも対等な心理状態になれるのである。子供に対しても、友人に対するがごとくに話すことができるようになる。そのような状況に対しては、子供は敏感に反応する。威圧的な大人ではなく、自分よりは経験深い人生の先輩が、自分のことも考えてくれながら自分に話しかけてくれていると感じる。

好意を持って、大人のいうことを聞こうとする姿勢になるのである。子供に限らず大人に対する場合でも、例えば車椅子の人と話をするときは、やはり、しゃがんでからにする必要がある。
講義や講演をするときは、講師は一段と高くなった壇上から話すことが多い。もちろん昔から顔が見えるようにという配慮もある。しかし、押しつける話ではなく、人の心に訴えかける話をする場合は、講師の目線が学生や聴衆のとできるだけ同じ高さになるように配慮する。そのほうが、話の内容が聞く人の頭の中にスムーズに入っていく。それだけ理解の度合いが高まる。

人に対する場合は常に謙虚にという心掛けが重要なことは、誰でも知っている。高ぶることを戒め、身を低くする心構えである。
しかし、物理的に身を低くすることは、意外に忘れがちな点である。平身低頭はいきすぎであるが、身も頭も相手と同じ高さに保って話をする
「並身低頭」を肝に銘じる。そこから優しい人柄が滲み出てくる。

「上から目線」という言葉がある。相手の発言や態度が上から見下ろして、モノを言っているように聞こえるときに言う言葉だ。
「偉そうに見える」、「威張っているように見える」、ということ。上から目線でモノを言われると、たいていの人はカチンとくる。偉そうな態度を改める一つの方法が、身を低くするということ。

言志四録の中に、「志は高く、身は低く」という言葉がある。身は低くとは、腰を低くすることであり、謙虚な姿勢のこと。また、レストランなどでも、膝を折ってしゃがんで注文を聞くスタイルをとっているところがある。膝を折って注文を取るスタイルにすると、苦情が圧倒的に減る、という話を聞いたことがある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『言葉は魔法』

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斎藤一人

《困ったことが起きたら「面白いことが起きた!」と言ってみな。奇跡が起きるから。》

人間を「成功に導く階段」があります。それは「困ったこと」なんです。「困ったこと」が起きたときは、「困ったなぁ」って言わないこと。
なぜなら、階段を一歩降りてしまうことになるから。だから、困ったことが起きたら、「面白いことが起きたぞ!」と言ってごらん。階段をひょいと飛び上がることができるから。

「面白いことが起きたぞ!」と言えた時点で、世間にも神様にも「こんなことで困っていないよ!」という宣言になるんです。このひと言で「あなたの勝ち」が決定するんですよ。

《「おいしい」って、言って食べると「おいしい料理」。黙って食べると「ただの料理」。》『まずいときは、「まずい」って文句を言うくせに、おいしいときに、「おいしい」って、言わない人がいるんだよね。
おいしいときは、「おいしい」って言おうよ。いっしょに食べてる人も、作った人も嬉しくなるんだよ。それだけで人生、ずいぶん違うよ』

「言葉は魔法」といわれる。自分の言った通りになるからだ。困ったことでも、嫌なことでも、つまらないことでも、それを「面白い!」と言えば、自分の脳はそこから面白いことを探し始める。
「おいしい!」も同じ。そして、「面白い」も「おいしい」もまわりが明るくなり、喜ぶ言葉だ。まわりが明るくなって喜び、自分も明るくなって喜ぶ言葉を、どんな時も言うようにする。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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