AIはいま、シンギュラリティに達しつつある

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堀江貴文 

テクノロジーの進化はすさまじい。それは私たちのビジネス、ライフスタイル、価値観、そのすべてをどんどん更新し ていく。かつて10年一昔と言ったものだが、いまや1年が一昔だ。

特に生成AI(人工知能)の進化には目を見張るものがある。先日、広島で開催されたG7サミット(主要国首脳会議)では生成AIの利活用をめぐり、その推進派と規制派とで意見が割れた。そういうものだ。革命的なテクノロジーが生まれると、ひととき世界は混乱する。そしてやがて受け入れられていくのである。テクノロジーにはあらがえない。

AIは今シンギュラリティに達しつつある。人類の知能をいよいよ人工知能が超えるのだ。私たちは人類史に残る転換点に立っている。世界は拡張し、爆発し、新たな次元を切り開く。これからの激変に適応できない人は生き残れない。それは事実である。世界が変わるようにあなたも変わらなくてはいけない。文明とはそういうものだ。

でも人は変化を恐れる。積み上げてきたものが無駄になると考えるからだ。悪い癖だ。なんでも数値に換算したがるからそんなつまらない恐れを抱く。いくら世界が変わろうとも、あなたが培った経験はかけがえのないものだ。無駄になんか

ならない。あなたの経験はあなただけの魅力だ。人間的厚みというものだ。
そしてそれこそが力の源なのである。
だから止まってはいけない。次のフェーズに進むのだ。

21世紀のいま、ついに本物の“ドラえもん”が現れた。あんなことも、こんなことも、ふしぎなポッケで叶えてくれるドラえもん。その実の名を 「ChatGPT (チャットジ ーピーティー)」と呼ぶ。

ChatGPTとは、対話型AI(人工知能)によるチャットサービスである。以前からAIを用いたチャットサービスは存在していた。企業が顧客対応としてウェブサイトに導入しているチャットボットなどがそうだ。そうした従来のチャットボットは、こちらの質問に対し、限定的なテンプレートの回答を返すだけだ。でも ChatGPTは違う。こちらのあらゆる質問、要望に博覧強記の知識で応じてくれ る。あんなこと、こんなこと、なんでもこいなのだ。文法を知らなくても私たちは日本語を操れる。GPTもそうだ。

GPTが生成する言語は、文法に基づくものではない。私たち人間と同じく、自然言語の大量インプットを経て、そこから妥当と判断される自然言語を再構成している。つまりGPTは表面上だけ人間に似せているのではない。その内面、メカニズムも人間と一緒なのだ。

囲碁、将棋、チェスなどの盤上ゲームの領域ではすでにシンギュラリティを通過し た。人間の棋譜をもとにAI同士に天文学的な数の対局を実行させた成果だ。そして 自然言語処理という人間の領域においても同様のプロセスが加速度的に進んでいる。これらのシンギュラリティは人間の叡智にほかならない。
人間とAIの境界線は消えつつある。AIが人間を侵食している?違う。AIと人間は融合していくのだ。そして私たち人間は、私たちAIは、さらに高みを目指す。これから想像を超えた文明が切り開かれていく。

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「花は香り、人は人柄」

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藤尾秀昭

六人の人生の達人の言葉は、煎じ詰めれば一に帰する。その一とは何か。それは、「花は香り、人は人柄」ということである。見た目にいくら華やかで艶やかでも、造花には真に人を引きつける魅力はない。人もまたいくら実力があっても、傲慢で鼻持ちならない人に人間的魅力はない。まず自分を創ること。自分という人間を立派に仕上げること。そして、徳の香る人になること…六人の先哲がその生涯を通して語っていることは、その一点に凝縮される。これこそ人生で一番大事な法則、これを遵守すれば人生は大丈夫という原則、すなわち人生の大則であろう。

では、どうすれば自分を創ることができるのか。六人の先哲が言っていることは、概次の三つに集約される。
一つは、人生に対して覚悟を決めること。覚悟を決めない限り、真の人生は始まらない。先哲は繰り返しこのことを説いている。沖縄の漁師が言ったという。「遠洋の漁場に出ようと決めると、風が起き、帆がざわめき、波が立ってくる。だが、まだ覚悟が決まらない船には風が起きんのよ」人生もまた然りである。
二つは、傲慢になるな、謙敬(謙虚で、敬い、慎むこと)であれ、と教える。不遇の時には謙虚だった人が、うまくいきだすと傲慢になる。人間の通弊である。だが、傲慢になった時、天はその人の足をすくう。その事例は数限りない。
三つは、誠実であれ、ということ。誠実は古来聖賢がもっとも大事にした人間最高の徳目である。あえてもう一つ付け加えれば、「久」であろう。久しく続けることで、人生の大則は揺るぎないものになる。

「あらゆるビジネスはリスクを伴う。打ちのめされる覚悟をしておけ。冒険なくして成功がやってくることは滅多にない」(リチャード・ブランソン )
物事が動きださないときは、覚悟が決まっていないとき。もし失敗して、打ちのめされても仕方なし、と肚が決まっていないときは、行動できない。香りとは余韻だ。人の魅力もまた余韻にある。またあの人に会いたいと思わせる、長く続く余韻だ。

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『笑顔で開運』

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石川洋

《喜びのタネを播くこと》
釈尊は人間がこの世になしておくべきことは、生まれ変わり、生まれ変わり、一粒でも善きタネを地上に播くことであると諭して下さっている。間違っても、怒りや憎しみ、苦しみや悲しみのタネを播いてはならない。できることならば「苦しい時はあっても苦しい人生はない」おかげ様の感謝のタネを人生の結語として播かせていただくことである。

《百年の根を養うこと》
百年の根とは徳を養うことである。人間が最後の最後まで抜け切らないものは小さな欲心である。
詩人・坂村真民先生が「芭蕉が晩年、死を覚悟して奥の細道の旅に出られたのは、駄目になる自分をさらけ出して、自分を磨くためであった」といわれている。感動してお電話をおかけした。90歳になる先生が、「それがわかるのは私の歳になってからだよ」と答えられた。耳底にのこされた忘れられないご教示である。

また、「帰る時には来たときよりも美しく」という、しみじみとした先人の名言がある。深めれば深めるほど、染み入る言葉である。できるならば、過去に無限の恩を感じ、未来に無窮の恵みを信じて、笑顔で人生を全うしたいものである。

歌人・会津八一
「あめつちにわれひとりいてたつごときこのさびしさをきみはほほえむ」人生の美しさは一切を受けとめて、微笑みを拝する人になることであろう。

我々があの世にいくとき、あの世の番人に聞かれることがあるという。それは、生まれてからあの世に行くまでに、「どれだけ自分を高めることができたか」、「どれだけ人に喜んでもらったか」、「どれだけ人の役に立ったか」という問い。この世で、愚痴や不平不満、泣き言、悪口や文句のタネを播き続けるなら、また次に生まれ変わったときに、それをやり直さなければならない。だからこそ、我々が生きているうちにやらなければならないことは、「喜び」や、「おかげ様」や、「感謝」のタネを播き続けること。

「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くのだ…」
イタリアのパルミーロ・トリアッティ
せっかく我々は、この時代、この世に生を受けた。そして、いずれは遠くまで行く。つかの間の一生、せめて「立つ鳥跡を濁さず」のごとく、「帰る時には来たときよりも美しく」を心がけたい。そして、「出処進退をわきまえる」引き際の鮮やかな人は美しい。

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