石川洋

《喜びのタネを播くこと》
釈尊は人間がこの世になしておくべきことは、生まれ変わり、生まれ変わり、一粒でも善きタネを地上に播くことであると諭して下さっている。間違っても、怒りや憎しみ、苦しみや悲しみのタネを播いてはならない。できることならば「苦しい時はあっても苦しい人生はない」おかげ様の感謝のタネを人生の結語として播かせていただくことである。

《百年の根を養うこと》
百年の根とは徳を養うことである。人間が最後の最後まで抜け切らないものは小さな欲心である。
詩人・坂村真民先生が「芭蕉が晩年、死を覚悟して奥の細道の旅に出られたのは、駄目になる自分をさらけ出して、自分を磨くためであった」といわれている。感動してお電話をおかけした。90歳になる先生が、「それがわかるのは私の歳になってからだよ」と答えられた。耳底にのこされた忘れられないご教示である。

また、「帰る時には来たときよりも美しく」という、しみじみとした先人の名言がある。深めれば深めるほど、染み入る言葉である。できるならば、過去に無限の恩を感じ、未来に無窮の恵みを信じて、笑顔で人生を全うしたいものである。

歌人・会津八一
「あめつちにわれひとりいてたつごときこのさびしさをきみはほほえむ」人生の美しさは一切を受けとめて、微笑みを拝する人になることであろう。

我々があの世にいくとき、あの世の番人に聞かれることがあるという。それは、生まれてからあの世に行くまでに、「どれだけ自分を高めることができたか」、「どれだけ人に喜んでもらったか」、「どれだけ人の役に立ったか」という問い。この世で、愚痴や不平不満、泣き言、悪口や文句のタネを播き続けるなら、また次に生まれ変わったときに、それをやり直さなければならない。だからこそ、我々が生きているうちにやらなければならないことは、「喜び」や、「おかげ様」や、「感謝」のタネを播き続けること。

「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くのだ...」
イタリアのパルミーロ・トリアッティ
せっかく我々は、この時代、この世に生を受けた。そして、いずれは遠くまで行く。つかの間の一生、せめて「立つ鳥跡を濁さず」のごとく、「帰る時には来たときよりも美しく」を心がけたい。そして、「出処進退をわきまえる」引き際の鮮やかな人は美しい。

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