『誰も知らない、萩本欽一。』

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萩本欽一

■アイデアは、気づくこと。

それ自体は、才能があるからできることではないよね。
だって、気づいたことが当たりかハズレかは、
その時点では五分五分なんだから。
それも、運なんだ。

だから、気づいたことがたまたま当たるように思ってさ。
正月、お盆、人が休む時に考えるわけね。
神様が運をくれるような気がするから。

■こういう平日の昼間に考えても、
いい案は出てこないような気がしちゃうんだね。

この日テレでも、フジでも、テレ朝でも、
どこでもみんな考えている時間だから。
おれは「いいこと考えた」とは言わないの。
「いい時に考えた」って言うんです。

■いま、ゴールデンウィークの最中でしょ?

だから、カメラを回して考えてみる。
いまなら、神様が「どこに運をあげようかなぁ」っての
候補になりやすいもん。

だから、人が遊んでいる時に必死に考えると、
トクすることが多い気がするのね。

欽ちゃんは、「運は一つ」だという。

たとえば、仕事が順調にいって、
運が仕事に来すぎているときは、
家族が病気になるかもしれない、と。

だから、そういう時は、金魚とか犬とか猫とかの、
ペットを増やした。

欽ちゃんほど、「運の神様」に対して、「恐れを持って」、
「謙虚に」、「低姿勢」で向き合う人はいない。

テレビの収録でハワイに行ったときも、
欽ちゃん以外のスタッフやタレントさんが遊びに出掛けるなか、仕事で行ったのだからと、ホテルの室内にこもって、
泳ぎに行ったりとか、バカンスを楽しんだりは
一切しなかったという。

〈仕事の運が落ちるから〉だそうだ。

「人が遊んでいる時に必死に考える」

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『笑顔で光って輝いて』

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小林正観

スポーツ・芸能・芸術は、人を癒すために
存在しているジャンルです。

結果や成績を追い求めるのではなく、
それを通してひとりでも多くの人に、
安らいだ気持ちになってもらうために存在しています。
順位を競うためではなく、心地よく、気持ちよく、
楽しそうにやること。

たとえば、成績がよいと有頂天になって、
成績が悪いと落ち込むような人を、
私たちはあまり歓迎しないでしょう。
そういうように気分が上下している人を、
神も応援しないので、よい成績を残さないようです。

年間に、5回6回と有頂天になる人は、
必ず同じ分だけ落ち込みます。
そして、有頂天になる高さと、落ち込む高さが一緒です。

人の論評や評価に対して、一喜一憂する人が、
有頂天になったり落ち込んだりしています。

成績の善し悪しに関わらず、淡々としている人に、
神や宇宙が応援、支援をしているようです。

あることについて、比べて競って順位を争うより、
神や宇宙を味方にすることが、近道なのかもしれません。

カッコいい人、あこがれるような人、魅力ある人は、
いつも、「心地よく、気持ちよく、楽しそうに」生きている。
だから一言も言わずとも、その生き方を見て、マネしたくなる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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リーダーシップとは言葉の力

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齋藤孝

大人になると、知識やノウハウを身につけるにつれて
感性を失ってしまう。
“色眼鏡”をどんどん濃くした結果、
視界不良に陥るようなものである。

しかし、そういう大人ばかりではないことも事実だ。
例えばピカソは、老年になってから
「絵をうまく描くことは子どもの頃からできたけれど、
この歳になって、ようやく子どものように
絵を描けるようになった」と述べている。

晩年のシンプルな作品は批判の対象にもなったが、
子どもの絵のような力強さもある。
あのピカソが子どもの絵を一つの到達点としたのは、
そこに素朴な表現力を感じ取っていたからだろう。

あるいはニーチェは、人生には三つの段階があるとして、
それぞれの時期を「ラクダ」「獅子」そして「子ども」と
命名している。
「ラクダ」の時期に義務を果たし、
「獅子」の時期にさまざまなことに「ノー」と言って
自由を獲得し、
そしてやがて「子ども」の時期を迎え、
おおいに遊び、自分で価値を創造していく。

人生で最終的に目指すのが「子ども」というわけだ。

いずれにせよ、好むと好まざるとにかかわらず
背負ったものを降ろせるのが、「子ども」の魅力だろう。

ピカソのような才能はないとしても、
少なくとも自分の中にある子どもの部分を忘れないように
することはできる。

もっとも手っとりは早いのは、軽くジャンプすることだ。
可能なら、小学三年生時代を思い出してみていただきたい。
意味もなくピョンピョン飛び跳ねていたのではないだろうか。

それを見習うと、気分が軽くなってすべてが遊びに思えてくる。
つまりは、子どもの身体に戻すということだ。

身体が子どもになれば、大人の良識を持ちつつ、
子どもの素直さも多少は取り戻せる。

「すなほなる をさな心を  いつとなく  忘れはつるが 
惜しくもあるかな」 (明治天皇)

大人になると、素直な幼心(おさなこころ)を 
いつとはなしに忘れてしまうのは、本当に惜しいことだ。

幼心とは…
ワクワクドキドキする。
何をみても驚いたり、感動したりする。
冒険心や、好奇心あふれる。
無邪気に遊んだり、くったくなく笑ったりする。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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リーダーを生み出す教育 

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ヘンリー・キッシンジャー
(なんと、今年100歳です)

リーダーシップは、現在を乗り切ると同時に、
未来を作る戦略を練り上げる能力、
社会をより高邁な目的へと近づける技量、
そして、社会の欠点を正す勇気である。

偉大なリーダーたちに共通していたのは、
未来への確信だ。
リーダーシップの芯は、より良き明日を創るとの
信念である。

リーダーは他国のリーダーに自分の思想と言葉をぶつけ、
真剣勝負の対話をすることで政治と地政学の
深い洞察を学ぶのである。
そうした洞察を磨くには歴史や哲学や宗教といった
人文を学び、教養を身に着ける教育が欠かせない。

現在の得点主義の大学教育は、
アクティビストとテクニシャンだけを生み出し、
将来の政治指導者となる市民を
生み出しにくくなっている。
指導者としてのキャラクターを教え、
学ぶことがこれまで以上に重要だ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『こころのチキンスープ』

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ジャック・キャンフィールド

メアリーは5歳の患者。
台車に載せた彼女を、MRI(磁気共鳴装置)の検査室に
運びながら、この子は今どんな思いでいるのだろうと思った。

メアリーは卒中で倒れて半身不随となり、
脳腫瘍の治療のために病院生活を送ってきた。
そのうえ、最近父親を、続いて母親を亡くし、
帰る家もなくなってしまった。

そんなメアリーがこの検査をいやがるのではないかと、
私たち医療スタッフは気がかりだった。
MRIの装置の中に、メアリーは文句も言わず、
素直に入れられた。

検査が始まった。
初めの5分間、患者は完全に静止していなくてはならない。
これは、誰にとってもかなり苦痛だ。
とりわけ不幸の連続だった5歳の幼い少女にとっては。
撮らなくてはならないのは、頭脳の画像だった。
だから、どんなにわずかでも、喋ったりして顔が動くと
画像がブレてしまう。

2分たった。
と、モニターにメアリーの口が動いているのが映った。
何かモゴモゴと喋っているのも聞こえてくる。
スタッフは検査を中止し、メアリーに優しく注意した。
「メアリー、いい子だから、お喋りやめましょうね」
メアリーは微笑むと、二度とお喋りしないと約束してくれた。

スタッフはふたたび装置を作動させ、初めからやり直した。
ところが、また顔が動いている。
声もかすかに聞こえる。
なにを言っているのかは分からないが、皆イライラしてきた。
ほかの患者も待っている。
メアリーのために、予定をやりくりして検査しているのだ。

私たちは検査室に入っていき、メアリーを装置から出した。
メアリーはいつものひしゃげたような笑顔で私たちを観たが、
いっこうに悪びれた様子がない。

検査技師はやや不機嫌になって言った。
「メアリー、またお喋りしていたね。
お喋りすると画像がブレちゃうんだよ」
メアリーは笑顔のまま、答えた。

「お喋りなんかしてないわ。歌ってたの。
お喋りしちゃダメっていうから」
私たちはあっけにとられた。

「それ、どういうこと?」スタッフの一人が尋ねた。
「“主われを愛す”」蚊の泣くような声だった。
「幸せなときは、いつもこの歌を歌うの」
検査室の誰もが言葉を失った。

幸せ?
まさか?
どうしてこの幼い少女が幸せだなって言うのだろう?
検査技師と私は、思わず涙ぐんでしまい、
涙を見せまいとしていったん部屋を出た。

それ以来、私は気持ちが滅入ったり、落ち込んだりするたび、
メアリーのことを思い浮かべるようになった。
メアリーのことを思えば、謙虚になれる。
そして勇気が湧いてくる。

逆境にあっても幸せを感じ取る心こそ、
神からの贈り物なのだ。
進んで受け取る気持ちさえあれば、
誰にだって与えられる贈り物なのだから。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「自戒」

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石川洋

辛いことが多いのは 感謝を知らないからだ。
苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるからだ。
悲しいことが多いのは  自分のことしか分らないからだ。
心配する事が多いのは 今を懸命に生きていないからだ。
行きづまりが多いのは 自分が裸になれないからだ。

まわりの誰がみても不幸せだと思える状況で、
その中から幸せを見つけ出せる人がいる。
そんな人に出会うと…
謙虚になれる。

自分に甘えがあることに気づかされる。
自分勝手なことに気づかされる。
今ここ、に生きなければと思う。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『「成功」と「失敗」の法則』

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稲盛和夫

企業経営において、長く繁栄を続ける企業を
つくりあげていこうとするなら、
「徳」で治めていくしか道はない。

欧米の多くの企業では一般に、
覇道つまり「力」による企業統治を進めています。
例えば、資本の論理をもって
人事権や任命権をふりかざしたり、
または金銭的なインセンティブ(誘因)をもって、
従業員をコントロールするのです。

しかし、権力によって人間を管理し、
または金銭によって人間の欲望をそそるような経営が、
長続きするはずはありません。
一時的に成功を収めることができたとしても、
いつか人心の離反を招き、必ず破滅に至るはずです。

企業経営とは永遠に繁栄を目指すものでなければならず、
それには「徳」に基づく経営を進めるしか方法はないのです。

実際に、経営者の人格が高まるにつれ、
企業は成長発展していきます。
「経営はトップの器で決まる」のです。

会社を立派にしていこうと思っても、
「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」というように、
経営者の人間性、いわば人としての器の大きさにしか
企業はならないものなのです。

例えば、小さな企業の経営で成功を収めた経営者が、
企業が大きくなるにつれ、
経営の舵取りがうまくとれなくなってしまい、
会社を潰してしまうということがよくあります。
それは、組織が大きくなっていくにつれ、
その経営者が自分の器を大きくすることが
できなかったからです。

企業を発展させていこうとするなら、
まずは経営者が人間としての器、
言い換えれば、自分の人間性、哲学、考え方、人格
というものを、絶えず向上させていくよう、
努力を重ねていくことが求められるのです。
しかし近年、日本ではそのようなことを
理解する経営者が少なくなっています。

少しばかり事業で成功を収めただけで、謙虚さを失い、
傲岸不遜(ごうがんふそん)に振る舞い、
私利私欲の追求に走ることで、
せっかく手にした成功を失ってしまう経営者が続いている。

いまこそ賢人、聖人たちの知恵に学び、
「徳」ということの大切さを改めて理解することが大切です。

そうすることが、単に一つの集団の発展を導くのみならず、
荒(すさ)みいく日本社会の再生にあたっても、
大きな貢献を果たすのではないでしょうか。

「徳とは無類の明るさのことである。安岡正篤

知識や技術は徳ではない。
明るく、人好きで、世話好きで、
人に尽くすことができる人こそ、徳のある人なのである
(行徳哲男)

徳とは、相対したとき、自然と頭が下がるような
人のことをいう。
利他の心を持ち、けっして偉ぶらず、謙虚で、
人から好かれる人。
それが、無類の明るさ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「成功おじさん」の最優先ルール

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チャーリー・ジョーンズ

生きることを学ぶには、ポジティブな姿勢と心の眼、
この2つを育てることから始めよう。

《第一に、誰に対しても、どんなときでも、
何かポジティブなことを言う》

わたしは、そうしなければならないと言っているのではなく、
そう努めるようにと言っているのだ。
達成はできないにしても、
常に「成長の途上にある」ことはできるのだから。

へたをすると、わたしたちの会話の99パーセント近くが
ネガティブなものになる。
誰かをほめるのではなく、ネガティブなことを
口から出したくて、うずうずしている人もいる。

わたしが言っているのは、皮肉交じりのお世辞とか
余計なひとこととかではなく、
正真正銘の厭世主義(ペシミズム)のことだ。

仕事の場でも、教会や家庭でも、
他人に何かポジティブな言葉をかけようとする人こそ、
その場の雰囲気をいちばん明るくする。

何についても、誰に対しても、いつも何かポジティブなことを
口にするというのは、そう望めばできることだ。
わたしはそう信じている。

次のふたつのせりふが、どんな差をもたらすか、考えてみよう。
「この雨で何もかも台なしだ!」
「あのきれいな虹を見てごらんよ!」

誰に対しても、何かポジティブなことを言う習慣を
身につければ、全員に話しかけなくてもすむようになる。
どこに行っても、あなたのイメージが、
その場の雰囲気をポジティブにするからだ。

たった一言で、相手の気持ちを冷やしてしまったり、
シュンとさせてしまう名人がいる。
悪口、非難、不平不満、グチ・泣きごと、文句などのような、
ネガティブなことを言ったり、相を否定したり、
ゆるさなかったりする人だ。

反対に、たった一言で、相手の気持ちをあたたかくしたり、
明るく元気にさせてしまう達人もいる。
ありがとう、感謝します、ツイてる、うれしい、たのしい、
しあわせ、というようなポジティブなことを言ったり、
心から相手をほめたり、認めたりする人だ。

自分の口から出た言葉が、
相手を明るくするのか、暗くするのか。
毎日毎日の、ポジティブな言葉の積み重ねが
自分の人生を形づくる。

仕事や家庭で実践するのはもちろんだが、
コンビニや、レストランといった
自分がお金を払ってお客になるところでも、
相手を喜ばせる言葉は必要だ。

ポジティブなことを言う習慣が身につけば、
ポジティブなイメージが定着し、
その人が入ってきただけで、
話をしなくても、その場は明るくなる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『斎藤一人さんの奇跡を起こす定めの法則』

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(舛岡はなゑ)

定めの話ってすごく難しいんだけど、簡単に言うとね、
私たちはあの世にいるときに、
自分で自分のストーリーを決めてくるんだよね。
生れてくる前に、神様と相談して、
今世(こんせ)どういうふうに生きていくかを決めてくるの。

運命っていうのを決めてきちゃってるんだよね。
これを「定め」って言うんです。

その定めのなかで今世、魂の修業を通して自分を高めていくの。

もちろん、この世にきてしっかり魂を磨いて
良くなる人もいれば、
うまく修業できずに悪くなっちゃう人もいるんだよね。

同じ出来事でも、肯定的にとらえる人と
否定的にとらえる人がいるからね。

それによって、人生ってあらかじめ描いてきたものとは
違ってきちゃうんです。
良くも悪くも変えることができるの。

強い意志を持てば、決めてきたストーリーよりも
うんと良くなるし、その反対もあるってことだよね。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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やりたいことをやれ

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本田宗一郎

私も、酒は雰囲気で飲む方だ。
うれしい時や、憂いを払いたくなる時、と
条件はいろいろだが、
好きじゃないけど飲みたくなるのである。
酒に飲まれちゃうようなお酒飲みは嫌いだし、軽蔑する。

芸者を呼んで、彼女らが踊りや歌で座敷をつとめているのに、
ほどよく注目してやれない人も私の友人ではない。

遊びにいくのはモテにいくことだと私は信じている。
縄のれんや、煮干しをかじって立ち飲みする酒屋の店先に
いくのだって、どこかしらモテるためにいくのである。

「ああ、よくモテたな。今夜も楽しかった」という
満足があれば、仕事にもまた精が出るというものである。

私の人生は仕事で明け暮れはしたが、
遊ぶのもまことによく遊んでいる。

芸者の踊りや歌などに対して、
私はなるべくきちんとした態度で注目する。
彼女たちはそれを心から喜ぶのである。

これは、私のささやかな人生哲学たる、
相手の身になることの初歩なのだ。

金を出すのはオレだというので相手を無視したところで、
そこに何の楽しさがあるだろうか。
遊びというのは、大切なものである。

遊びのへたな人間は好かれないし、商売もできない。
またとない時間を、その場にいる人たちとみんなで、
より楽しく、よりほがらかに、共感の笑いとともに
過ごさずして、何の遊びだろう。

私はずっとそう思って遊びをしてきた。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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