『自分の目、耳、頭を変えて受け止める』

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正法寺住職・愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董

久々に中学時代の同級会に出席しました。かつてそれほど美しくなかった友が、深いしずけさをたたえた美しい人になっていました。反対に美しかった友があまり目だたなくなっていました。何十年か会わなかった間の、一人ひとりの友の生き方に思いをはせました。深い美しさをたたえた友の人生は、必ずしも幸せなものではなかったようです。“上手に苦労をした人だな”。不幸なできごとを肥料と転じて、人生を深く豊かなものにしてこられたのだな”と思えました。

沢木興道老師「仏法とは、此方の目や耳や頭を変えることじゃ」沢木老師は幼くして両親や、預けられた叔父さんを失い、最後に遊郭街の裏町にある沢木家にもらわれていきました。ある日、廓遊びをしながら死んだ男の姿を見て、「いつなんどきお迎えがくるか分からん。内緒ごとはできんわい」と悟られ、「両親や叔父が相ついで死んでも目がさめない私のために、菩薩がこのような活劇を見せてくれた」と悟り、出家されました。廓通いをしながら死んだ男さえも菩薩の化身と拝むことができたとき、沢木少年の心には菩薩として、光として刻みこまれてゆくのです。

一般世間では嘲笑ものでしかないことも。問題は向こうにあるのではなく、どこまでも受けとめる側、自分にある訳です。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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