人生は、好奇心に始まって好奇心に終わる

Pocket

精神科医、斎藤茂太

モーツァルトは、35歳という若さで亡くなりましたが、ベートーヴェンなどの、他のどんな作曲家よりも、熱烈なモーツァルト・ファンが、圧倒的に多いのはよく知られたことであります。私も、モーツァルト解説本の「推薦文」を書いたことがありますので、どうしてこんなにモーツァルトの曲は多くの人を魅了し続けるのか、私なりにわかってはいるつもりです。
そんなモーツァルトを、50代の私の友人は、いみじくもこう言ったのです。「クラシック音楽は、モーツァルトに始まってモーツァルトに終わる」と。そう言えば、「釣りは、フナに始まってフナに終わる」という言葉もありました。「釣りバカ」には常識の名言だそうです。そこで、これらのふたつの言葉になぞらえて、私は次のように言いたいと思います。「人生は、好奇心に始まって好奇心に終わる」と。

人生を面白くするか、つまらなくしてしまうか、それは、時代のせいでも国のせいでも、また他人のせいでもありません。自分の心の持ち方ひとつで、どちらにも変わってしまうということです。ですから、自分の不幸を誰かのせいにしたがる人は、生涯、心から納得できる幸せは得られない。生涯にわたって幸せを感じる心の持ち方とは何か、を考えてみたとき、私の心に浮かぶ言葉は、やはり「好奇心」の一語です。

好奇心をひとつのキッカケにして、何でもプラス方向に、目を向けることを教えてくれた最初の人は、母・輝子でした。父・茂吉もまた、同じく、超のつくくらいの好奇心の持ち主でしたから、こと好奇心にかけては、私は生まれながらにして、恵まれていた。
「好奇心のかたまり」という、人間としての品格を感じさせない言葉もありますが、それは好奇心そのものにあるのではなく、その人間の問題です。私が、あえて好奇心とモーツァルトを同じ舞台に乗せたのは、極めたい最高の対象として、同列に考えてみたいと思ったからです。

■城山三郎
「大病にせよ、大失敗にせよ、人生のすべてを観察というか、好奇心の対象として眺めるゆとりを持つ限り、人は必ず再起できるものなのだ」
何か大きな問題が自分に降りかかってきたとき、自分を客観視できる人は、その問題に押し潰されることなく、いつか必ずそれを解決できる。反対に、それを主観的にしか見られない人、ひとりよがりで、独善的な見方しかできない人は、表面的で狭い視野になってしまい、問題を本質的で深い所まで掘り下げることができない。好奇心のある人は、面白がって考えることができ、柔軟で幅広い見方ができる。

■手塚治虫
「好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる」

好奇心とは、新しいことや、知らないこと、珍しいことなどに対して、興味や関心を抱き、それをもっと知りたい、手に入れたいと思う心。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

相手を思う心は、人を動かす。

Pocket

赤根祥道

人間の行動は、心によって大きく左右される。新車を購入しようとディーラーに足を運んでも、販売員がなかなか出てこないで、散々待たされたあげく、無愛想な表情で応対されたら、購買意欲も薄らいでしまう。
逆に、それほど買う気持ちはなくても、接客してくれた人が明るく礼儀正しく、丁寧に説明してくれると、買いたい気持ちになってっくる。今すぐというわけではなくとも、買うときには是非この人からという気にさせられる。

藤堂高虎は、人は俸禄だけで動くものではないとこう教えている。
「およそ臣僕を使うに、禄のみを以てせば、人いまだ必ず深く感戴(かんたい)せず、その禄仕する者、もとよりまさに受くべきところのみ。ゆえに人を使うに必ず情を以てす。人生意気に感ず、義ここにおいてか合し、命を棄て以て恩に酬(むく)ゆ。いやしくも情を以てせずんば、すなわち禄また、いたづらに損(す)つるのみ」
さらに、高虎は、次のような興味深い言葉を残している。「妻に薄き者、おそらくは薄からざるところなし。以て恃(たの)みとなすに足らず」

人生のパートナーである妻に対して、冷たい人間というのは、本質的に冷たい人間であって頼りにはならない。社会生活においても家庭生活においても、重要なのは、相手を思う心である。心ない人間は、心ある人間によって駆逐されてしまうのである。人は金や命令によって動くのではない。相手の心に感動して動くのである。自分が孤立するような状況をつくる姿勢は今すぐ改めるべきだ。そして、人の和の中に積極的に飛び込んでいき、偽りのない心で接することを心がけるべきである。

「人生意気に感ず」とは、 唐時代の詩選集から引用された言葉。その後に続くのが、「功名(こうみょう)誰れか復た(また)論ぜん」。人は時として、相手の心意気に感動すると、金や名誉とかではなく、利害をこえて、助けてくれたり動いてくれるものだ。
感動という言葉は、感じて動くと書く。感じるから動くのであって、理屈で何時間説明されたとしても、感じなければテコでも動かない。理論や理屈は、相手の心を揺さぶることはない。なぜなら、理屈には、相手の気持ちを察したり、気持ちをくむという「情」がないからだ。
情のない人は、「冷たい人間」「心ない人間」「相手を思うことのできない人間」。

フォードの創業者のヘンリー・フォードは、「成功に秘訣があるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることの出来る能力である」と言っている。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

『めちゃくちゃツイてる人』

Pocket

(五日市剛&矢山利彦)

誰でも、「人生最悪!」と叫びたくなる体験を一度や二度しているものです。泥沼の離婚、タチの悪いリストラ、車で人をはねたとか。「もう、最悪だ!」とそのときは思うでしょう。
でも、「ツイてる人」や「ツキはじめている人」というのは、時が経って振り返ると、つぎのようなことが腑に落ちて感謝で満たされます。「あれがあったから、いまの俺があるんだよな」「あの事があったから、いまの幸せがあるのよね」

それでは、「まったくツイてない人」というのは最期の最期まで、つまり「死ぬまでそのことが分からない人」のことです。ツイてない人の究極でして、ライフステージがとんでもなく低いことは言うまでもありませんが、なんのご縁も生かせない、もっとも気の毒な方です。
逆に、「とんでもなくツイてる人」というのは「最初からそのことを知ってる人」です。だから、見かけ上、嫌なことがあても弱音を吐かず、「ニヤッ」と笑って行動!
「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という日本電産の永守重信社長の言葉が有名ですが、まさにそれができる人のことです。我々は、そのとき「ありがとう」とすぐ発信できる言葉の武器をもっています。どんな嫌なことがあっても、すぐに「ありがとう」。そして、これをやった方がいいという客観的な対処策が思いついたら、すぐやる、必ずやる、できるまでやる。いまさら遅いかなと思っても、「ダメもとでやる」。8割以上はうまくいくでしょう。そしてうまくいったら、みなさんのライフステージは高いところまで上がっていきます。

先生に、「あなた、とんでもない病気にかかっていますよ」と言われたら、すぐに「ありがとう」と言って病気に感謝してください(笑)。先生に「ありがとう」ではありませんよ(笑)。自分の体が病気を通して伝えてくれるメッセージに気づくことに感謝するわけです。そして、謝罪してください。「ごめんね。いままで自分の体をいじめてたね」原因があるから結果(病気)があるので、その原因は何かを医師と一緒に真剣に考え、こうした方がいいと思うことを即実行です。

病気という結果だけにとらわれるのではなく、原因を改善していかなくてはなりませんね。とにかく、めちゃくちゃツイてる人というのは、どんなピンチな状況に陥っても、すぐにプラスの言葉が言えて、笑顔も出せる。…苦笑いでしょうがね(笑)。
それを乗り越えると、高いライフステージに上がれることが分かっているから笑えるんです。「ピンチがチャンス」という言葉の本当の意味を知っていて、実践できている方々が「めちゃくちゃツイてる人」なわけです。

■「不幸の顔をして幸せはあらわれる」
一見すると不幸だと思うようなことでも、時間がたつと、「あのおかげで今の私がある。感謝しかない」とか、「あれがあったから今頑張れる」というようなことだ。
しかしながら、その感謝に気づけない人がいる。運のない人であり、ツイてない人だ。日頃、不平不満や、グチ、泣き言、文句が多い人は、感謝できないし、感謝することを見つけられない。そのマイナス言葉の習慣で、心の状態もマイナスになっているので、プラスのこと、明るいこと、元気のでること、嬉しいこと、楽しいことを見つけることができない。
「 めちゃくちゃツイてる人」は…ピンチをチャンスに変えられる。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

ケチな人は運を落とす

Pocket

野村克也

人柄がいいというのは、得難いことだ。私は人柄を褒められたことはほとんどないし、自分でも人柄がいいとは思っていないが、人柄がいい人を見ると、応援したくなる。人柄がいい選手は、野球の実力はともかく、みんなをいい気持ちにさせてくれる。それがチームの雰囲気をよくする潤滑油になる。チームの雰囲気がいいというのは、試合の流れをよくする働きがある。それが勝利に結びつくこともあるのだ。人柄がいい監督というのも、チームにいい作用を及ぼすことがある。
早い話が、監督の人柄のおかげでチームが勝つことがある。「この監督を勝たせてあげたい」選手たちに自然にそう思わせる監督の人柄が、チーム力となって優勝するということがある。さほど指導力があるようにも見えないし、卓越した野球理論や戦術を備えているという訳でもない。ただいつも穏やかな顔でベンチに立っている。たったそれだけなのに、その人の存在感が選手に大きな力を与えている。

そして、その反対にケチな人というのは、人望がなくなる。プロ野球の世界は、高い給料を得ている人が多いのに、昔も今も、意外なほどケチな人が多い。私の現役時代にもそういう同僚がいたし、各球団にもケチで有名な人たちがいた。みんな立派な成績をあげて地位も名誉も金もあるはずなのに、なぜかケチなのだ。たとえば、私の南海時代の先輩の中にも「ミスターケチ」とでも呼ぶべき人がいた。名前も実績もある選手なのに、絶対に他人にものをあげたり、御馳走したりしない。反面、人からものをもらったり、御馳走してもらったりすることは大好きだった。
その後も、他球団の選手を見て、「あんなにいい選手なのにチームで人望がないのはなぜだろう」と思っていたら、やはりケチな人だというのを知って、貧乏な家に生まれ育った私でさえ「ケチはよくない」と肝に銘じた。

プロ野球選手は、遠征先などで、みんなで連れ立って焼き肉を食べに行ったり、さまざまな料理屋さんに出かけたりすることが多い。体が資本の職業だから、みんなよく食べる。そういうときは、高給取りの先輩たちが若い選手たちを連れていく場合が多いが、たいてい先輩たちが何人か持ち回りで自腹を切るものだ。「でも、あの人が払っているのは一度も見たことがないんですよ。他の先輩が払ってくれることはあっても、あの人が払ったことはありません」後輩たちは、そういうところをよく見ているものだ。「きょうは俺が払うから」と誰が言うのかちゃんと見ている。「あの人はケチだ」そういうことが分かると、その人の人望はなくなっていく。選手の時はそれでも押し通せたかもしれないが、そんな人がチームの生え抜きで監督やコーチになったら、誰がついていこうとするだろう。

いつもいつも気前よく大盤振る舞いをする必要はないが、みんなで楽しく飲み食いしょうというときには、たまには財布の紐を開くこともまた上に立つ者の気づかい気配りなのである。せっかくそこまで頑張って選手として成功し、せっかく監督にまでなったのに、ケチが災いして人望が薄れるなんてもったいない。
ケチのおかげで損をするなんて、目的と手段がまちがっているとしか思えない。ケチのおかげで、せっかくのチャンスを棒に振っている。ケチとは、一時は得をしたような気になるかもしれないが、結局は自らのチャンスや運を手放すことになりかねない。

ケチとは、何もお金ばかりのことではない。何かの情報を知っている人が、異常にもったいぶってなかなかそれを教えないようなことがある。もちろん会社の機密事項などは教えなくて当たり前だが、そうではなくて自分で得た情報や、ちょっとしたノウハウやコツなどだ。貴重な情報やノウハウなどを気前よく人に教えていたら、もったいないし、損してしまう、と出し惜しみする。しかし、多くはその程度の情報など、とっくに誰かが発表していて、たいしたことがないものであること多い。自分だけがスゴイ情報だ、と思っているだけ。
本当は、情報などは出せば出すほど、他の人から別の新しいものが入ってくる。なぜなら、何かの施しを得た時に、それにお返しをしなければいけないという、返報性の原理が働くからだ。これはお金も同じ。いつか必ず、お金でなくとも、別の何かで返してくれたり、応援者になってくれたりする。
ちょっとしたことを出し惜しみする人はケチくさい。「ケチな人は運を落とす」気前のいい人は人望が集まり、運がどんどんよくなる。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

法然上人、中道の教え

Pocket

■『徒然草』より
法然上人は、わが国、浄土宗の開祖である。ある人が法然上人に尋ねた。「念仏をしているとき、どうも眠くなって困ります。どうしたらよいのでしょうか?」すると、法然上人はこう答えられた。「それなら、目が醒めたときに念仏をされるとよい」これは私には嬉しい答えだ。『徒然草』でも、この法然上人の言葉を「いと尊かりけり」と評している 。

■『一百四十五箇条問答』法然上人の問答集より
「酒を飲むのは罪でしょうか?」 といった質問に対して、「本当は飲まない方がよいのですが、世の中の習いです《真には飲むへくもなけれとも、この世の習ひ》」 と答えられた。

修行中、睡魔におそわれたら、股に錐を突き立てて睡魔と闘い、猛烈な修行をつづける人もいる。その態度は立派だ。また、仏教では飲酒が戒律で禁じられているから、絶対に飲まない人もいる。その人もまた立派な修行者である。
しかし、普通の人には、そのような道は歩けない。とうてい、私にも無理だ。そんな私たちには、法然上人の言葉が安らぎになる。ちょっと居眠りをして、目が醒めたらまたお念仏を唱える。そんな姿勢で、人生を歩みたい。

ゼロかイチかという極端な考え方とは別に、その中間の考え方もある。それが、仏教でいう「中道」の教えであり、「いい加減」な生き方と捉える。何が何でも前に進む必要はない。それが、「いい加減」な「良い加減」の生き方。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

『「日経平均10万円」時代が来る!』

Pocket

藤野英人

あなたは、日本の未来をどんなふうにイメージしているでしょうか?
「少子高齢化がどんどん進んでいるし、最近は物価が上がってきて不安だし、明るい未来を思い描くのは難しい」
「そもそも30年もの間、バブルのピークの株価も超えられていないのだから、日本株にはあまり期待できないのではないか」
一方で、2023年は日本株がずいぶん上昇しましたから、
「新NISAも始まったし、 投資に挑戦してみようか」
「でも、ここまで相場が上がったところで投資を始めるのはタイミングが悪いかもしれない」などと逡巡している方もいるでしょう。

ここで皆さんにはっきりとお伝えしたいのは、今の日本と世界の状況をさまざまな角度 から深く分析した結果として、私が本気で「日経平均10万円時代」が来ると確信しているということです。
私はファンドマネージャーとして30年にわたり日本株を中心に運用を行ってきました。2003年に創業した運用会社レオス・キャピタルワークスは、運用資産残高1兆円を超え、投資信託 「ひふみ」シリーズはのべ126万人以上のお客様に保有していただくまでに成長しています。この間、私は日本の株式市場と対峙し続け、バブル崩壊からのデフレ経済への転換、リーマン・ショック、東日本大震災、コロナ禍などの中で多くの相場を経験しました。また、大きく伸びていく新興企業も、一時は栄華を誇りながら淘汰されていった会社も、数多く見てきました。その知見を総動員し、今、日本が30年ぶりのインフレ経済に突入しつつあるという状 況、そして足元で起きているテクノロジーの急速な進化や地政学的な問題なども考え合わ せたとき、「日経平均10万円」は必然だという結論に達したのです。

『2023年の日本の株式市場を牽引したのは、海外投資家です。「オマハの賢人」として知られる著名投資家のウォーレン・バフェット氏が来日し、日本を代表する商社株を買い増すと発表したことがきっかけで、大型株や割安株を中心に大きく上昇。皆さんの中には、このような動きを「どうせ一時的なものだろう」と考えている人もいるでしょう。これまで私たちは「失われた30年」とも呼ばれる時代を過ごしました。

しかし、今の日本株市場の動きの背景に日本企業の本質的な変化があると考えています。海外投資家による日本株への注目は一時的なものではなく、長期的に見れば今後の日本株式は右肩上がりに上昇すると見ているのです。』
現在(2月9日現在)、日経平均は、3万6800円を超えている。今まさに、1989年のバブル期につけた「3万8915円」を最高値を超えようとしているのだ。人口減で人手不足、円安で海外へも行けない、等々のネガティブなニュースであふれている。しかし、今まさに、日経平均はあのバブルの時代を超えようとしているのだ。

「日経平均10万円」になる。今こそ、株式市場に関心を持ち、一人ひとりが、さらに多くの情報を集めることが必要だ。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

ぼくたちは習慣でできている

Pocket

佐々木典士

スポーツで成果を出そうと思ったら、何より高いレベルのチームに所属することが重要だ。競泳の選手を6年間にわたり、練習に同行しインタビューしたダニエル・チャンブリンスという社会学者がいる。彼は、偉大な競泳選手になるには、偉大なチームに入るしかないと主張する。
「周りの誰もが4時起きして練習に行くような環境にいたら、自分だって自然とそうなる。それが当たり前になるんです。習慣になるんですよ」と言っている。

レベルの高いチームに所属すると、その集団と足並みを揃えようとし、切磋琢磨し合うようになる。これは一般の人も同じで自分のレベルに応じたチームを見つければいい。皇居ランをするなら、一緒に走る相手を見つけると続けやすくなる。

実際のコミュニティだけでなく、SNSのコミュニティも有効だ。ぼくは初めてフルマラソンに参加しようとした時、参加表明をツイッターでつぶやいた。かなり意識的にそうした。フォロワーは当時5000人ほどだったろうか。マラソンの結果もまたツイッターで報告するつもりだった。那覇で行われた初参加のマラソンは高温で、半数しか完走できないという苛酷な大会だった。両足のふくらはぎがつり、足はむくんで靴のなかでパンパンだ。しかし「ここでリタイアすれば5000人の人間に、情けない人間と思われるぞ」という思いが完走の達成にも役立ったように思う。誰にも言わずにこっそり参加していれば、途中でリタイアしていたかもしれない。

部屋を片づけてモノを減らす時に使えるのは「未来日記」。SNSで「これを手放しました」と手放す前に書いてしまう。そうするとSNSと現実を矛盾させる気持ち悪さが罰則になって実行しやすい。

武井壮さんは忙しい芸能生活の中で、毎日1時間のトレーニングと、1時間自分が知らないことを調べることを習慣にしているそうだ。なぜそれができるかといえば「自分のためじゃないから」「フォロワー(現在は130万)をがっかりさせたくない」という意識があるから。

そして何も武井さんのようにフォロワーが多くなければいけないというわけではない。人は数十人の小さな群れや村をコミュニティの単位としてきたのだし、相手は1人でも効果的だ。
最近は「ペア読書」という仕組みを使っている人もいる。30分など時間を決めておいて2人で同じ本を読む。そしてその内容について議論する。
同じ人でも、自分の行いが誰かに見られているかどうか、その行いの結果が誰かに伝わるかどうかで恐ろしく振る舞いが変わる。

■誰かに見られていると思うと姿勢を正したり、マナーに気をつける
■カフェや図書館などまわりに人がいたほうが仕事がはかどり、家だとダラダラする
■匿名だと悪口を言いやすくなる
■密室的な車の中だと気が荒くなったり、大声で歌える人の目を気にしてしまう。

コミュニティ内での評判が気になるということは、ともかく人間の本能に近いものだ。それに翻弄されてしまうのは苦しいものだが、それを意識的に取り込んで使うと、絶大な力を発揮する。

人は誰かが見ていると頑張れる、という法則がある。高校野球など、スタンドで応援してくれる応援団やチアリーダーやブラスバンドなどの人たちがいるから頑張れる。観客が誰もいなかったら力も半減してしまう。
これは、スポーツだけの話ではなく、仕事でも勉強でも同じだ。工場などで、見学コースを設けているところは、誰かに見られているということで、モチベーションも上がり、立ち居振る舞いもしっかりとしてくるという。

現代では、それがSNSによってかなり簡単に設定できる。自分を駆り立て、自分に仕掛けることができるということ。つまり、習慣化できる。ダイエットも、片付けも、運動も、勉強や読書も、仕事の効率化も、習慣化しなければならないテーマはいくつもある。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

イライラしない

Pocket

小林正観

ストレスで毎日イライラするという人がいます。電車の中でも「押した」「押された」ということで朝からけんかをする人たちもいます。私もよく「ストレスを減らしたい」という質問を受けます。そういうときは、次のような話をします。今、私の横をある人が通り過ぎて行くとします。この人が通り過ぎて行くときに何か私に言ったとします。そのとき私がこの人の言ったことに何も感じなかったら、この人は単に通り過ぎるだけの人です。さらに次の人が来て、この人が私に何か言ったとします。そのとき私がイライラしたとすると、私がイライラした瞬間に、私をイライラさせる人が地球上に生まれたのです。

「ちょっと待ってください、それではイライラさせる人というのはいないのですか。自分が勝手にイライラしたからイライラさせる人が生まれるのですか?」…答えはそのとおりです。自分がイライラしなければ、自分をイライラさせる人はどこにもいない。これが宇宙の原理です。
さらにもう1回説明します。目の前にすごく嫌な人が(嫌な人というのは本当はいないのですが)来たと私が思ったとする。私が嫌な人と思った瞬間に、この人は嫌な人になります。私が嫌な人だと思わなかったら、この人は何も関係ない人として通り過ぎて行きます。

ある人が私の目の前を通り過ぎて行くときに、面白い人と私が思ったとする。私が面白い人と思わなかったら、この人は私にとって関係のない人で、単に通り過ぎるだけの人です。「それではイライラさせる人も、嫌な人も、面白い人も、結局、宇宙には存在しないのですか。全部自分が決めた瞬間に生まれたのですか?」…まったくそのとおりです。全部自分が産み落としているのです。

出来事についても同じです。ある現象が私の前を通り過ぎて行くとき、私が何の感情も抱かなかったらこれは単に通り過ぎるだけのことです。ある現象が私の目の前に来たとき、この現象が私にとって不幸だと思ったとします。私が不幸だと思った瞬間にこの現象は不幸になりました。私が不幸だと思わなかったら、これは何の関係もなくただ通り過ぎるだけのことです。
次に来たときに、この事について私が幸せだと思ったとする。思った瞬間にこれは幸せな事となったのです。そして私が思わなかったら、これは単に通り過ぎるだけの関係ない現実です。

「正観さん、では幸せも不幸も全然宇宙にはないのですか。自分が勝手に決めるのですか」…その通りです。通り過ぎる現象は自分に関係がないと思ったら関係がなく、それを心地いい、幸せだと思ったら幸せなことになります。しかし、それを不幸だ、不幸せだ、辛い、悲しい、悲劇だと思ったら、この人がそう決めた途端に悲劇になるのです。
ですから自分が思わなかったら、自分の前に幸福な現象も不幸な現象も実は存在しません。あまりにも簡単すぎて、みなさんがっかりしていませんか?自

分の意に沿わないできごとには、それが飲食店であろうが、コンビニであろうが、怒鳴りつけたり大声で文句を言ったりする人はいる。反対に、少しぐらいのミスや間違いは何の問題にもせず、「ありがとう」と、ニコニコと明るく機嫌よく帰って行く人もいる。同じできごとでも、ある人は「自分をイライラさせた」と思い、別の人はそれが「何にも気にならない」。転んで骨折しても、この程度ですんでよかった「ありがたい」と思う人もいれば、なんてツイてないんだ「不幸」だと思う人もいる。

事実は一つだが、とらえ方は人によって180度違う。嫌なことが気にならない人は、満ち足りて余裕があって、機嫌のいいポジティブな人。そして、他人は他人、と思っている。嫌なことにすぐに反応したりイライラする人は、日頃、人から認められていなくて、いつもいっぱいいっぱいで、すぐに不機嫌になったり、ネガティブな考え方をする人。だから、他人やまわりのことが気になって仕方がない。

「イライラさせる人は、実はいない」

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

『得する人』

Pocket

 無能唱元

世の中には健康を願い、成功を願い、富を欲しながら、もうガリガリするほどそういうものを欲しながら得られない、ということは運が悪いわけでもなく、神様がそうさせてるわけでもない。

実は、自分自身がアラヤ識の入口で失敗している、ということを知らなくちゃいけないんです。

「因果は同類にしたがう」、この法則をよく知る必要があるんです。
このことを知らずにいて、アラヤのなかに毎日、毎日、何かをインプットしつづけているのが我々の人生なんです。


日常、私ぐらい不幸な人間はいない、生まれつき自分は恵まれなかった、親が悪いとか先祖が悪いとか、私はまっ正直なもので、人にしょうっちゅう利用されるばかりで、いつまでたっても芽が出ないんだというような、マイナスのことばかり考えている人がいる。

そういう人がお金持ちになりたい、健康になりたいと願っても、アラヤのほうではそういうふうには働いてはいかないんです。


この世の中は、プラスとマイナスの二種類の性質しかないんです。
健康があって病気がある。
金持ちがいて貧乏人がいる。

成功があって失敗があり、夜と昼、高いと低い、おいしいとまずい、我々にとって利益のあること、ないことも含めて全部二種類の性質です。

頭で考えたことが、それと同類の感情が結び合わない限り、「念」にならない。
アラヤにインプットされないんです。
これは重大な秘密です。

つまり、この世の中に金持ちになりたいと思う人は大勢いるし、成功したいと思う人は大勢いる。
それなのになぜ得られないかという最大の原因は、日常の感情がマイナスになっていることが多いからです。

私の話をきいてるはなから、「念ずるだけで実現するなんて、世の中そんなに甘くないよ」なんてね。
否定的に思っている人がいるでしょう。
これはマイナスの考えです。

私はこの仕事をはじめてから、いろいろなスーパー成功者にお会いしたが、彼らに共通することの
第一は、過去のグチ話をけっして話さないこと。

第二は、未来の希望についてのみ話すこと、そして自分はつねに運がよかったし、これからもよいに違いないと思っていることです。

知って知らずか、プラスの感情でプラスのこときり考えていないから、成功しちゃう。
まさに「因果は同類にしたがう」なんです。

我々は、いいことを願い、そして、それを暗い感情で打ち消さないかぎり、必ず成功、陽気のほうに向いて歩いていくことになるんです。


無能唱元氏は、願いを叶えるビジュアリゼーション(映像化)について本書の中でこう述べている。

『ビジュアリゼーションには大切な次の二つの条件がある。

1. くり返し考えること
2. できるだけ細部まで、絵のように心に思い描くこと

たとえば、家が欲しいと思っている人はいるけれでも、どのような家が欲しいか細かく設計図を書き、見取り図を書く、そういう人はあまりいないんです。
このやり方が一番効き目があります。

絶えず図を書いて、絶えず人に夢を語る。
そして、夢が叶った風景を、うっとりと頭に描く。
この「うっとり」が大事です。

イライラとしていては、いくら考えても夢は叶わない。

このとき忘れてはならないことは、日常の感情をつねにプラスにしておくということです。

「無能先生、私は先生の言われるとおりに一生懸命ビジョンを思い浮かべて、三年やっているけど、ちっとも叶ってこない。どうしてくれますか」なんて言う人がいる。

「どうしたらいいでしょうか」これに対して私は「それはね、私のところに、そいう文句を言ってくるのをやめれば良くなるよ」と言ったんです。
これは冗談みたいだけど、本当のことなんです。

人にクレームをつけるなんて、そういう心掛けでは、頭に思っていることと、感ずることは、プラスとマイナスの相殺作用になってしまう。

日常の感情のあり方が大事なんだと』


後ろを向きながら前に進むことはできない。
文句をいいながら笑うこともできない。

マイナスの感情を持ちながらでは、プラスの発言や発想をすることはできないのだ。

ビジュアリゼーションは「うっとり」が大事。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket

『下方比較の法則』

Pocket

内藤誼人

いろいろな心配を抱えすぎると、ツキが逃げてしまう。しかし、心配症な人に向かって、「心配しすぎないほうがいいよ」とアドバイスしても、実は、それほど効果はない。それと同じく、後悔しがちな人に向かって、「さっさと忘れるんだよ」とアドバイスしても、なかなか実行することはできない。
なぜなら、当人自身も心配症や後悔しがちな性格を直そうと努めてはいるから。心配しすぎないように、後悔しないようにとはするものの、なかなかできないからこそ、彼らは悩んでいる。

そこで、日常の些細な出来事で思い煩ないようにするための、ひとつの心理技術を教えます。それは、「もっと悲惨な人」に目を向ける、という方法です。
世のなかには、探せば、あなたよりもずっと悲惨な人がいるはずです。そういう人に目を向けると、自分の方がはるかにマシだということに気づき、胸をなでおろせることが分かっている。
「俺はプロジェクトで失敗したけど、クビにならないだけマシだ」
「俺は営業成績が全然よくないけど、降格された〇〇さんに比べたら、ずっとマシだ」
「ベンチャーの経営に失敗して自殺した人に比べたら、生命があるだけマシだ」「子どもが素直に育ってくれているだけ、家族崩壊している人よりマシだ」

このように、自分よりももっと悪い状況に陥っている人に目を向けると、つまらないことで悩んでいる自分が小さい存在であることに気づく。このテクニックは、心理学でいう、“下方比較の法則”に基づいています。
自分よりもツイていたり、成功している人と自分を比較すると、自分のことがイヤになってしまうのですが、逆の人と比較すると、なんとなく晴れやかな気分になれる。

アメリカの心理学者トーマス・ウィルズは、「自分よりもっと悲惨な人と比べるのは、自信を取り戻す上でも有効な方法だ」とさえ述べている。
落ち込んでしまったり、後悔ばかりしているときは、自分よりも、もっと悲惨な状況にある人のことを考えてください。そうすると、より客観的に自分の立場を判断できるようになり、結果として、後悔しないでするようになる。
くれぐれも、成功者やお金持ちと自分を比較しすぎないようにしましょう。比較すると、自分がつまらない存在に思えて、ガッカリするのがオチです。比較するなら、自分より惨めな状況にある人にして下さい。それが、心理学的にも、気持ちを落ち着かせるいい方法なのです。

究極の比較は、生きるか死ぬか。どんな心配ごとや嫌なことでも、死ぬこととくらべたら大したことはない。生きてさえいれば、何とかなる可能性は必ずあるのだから。
だからこそ、「生きているだけでありがたい」。身近な人が亡くなったときや、自分が大病や大きな事故をしたとき、多くの人は「生きているだけでありがたい」と感じる。しかしながら、往々にして、普段はそのありがたさを忘れてしまっている。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket