『ハーバード日本史教室』

Pocket

佐藤智恵

日本文化は、西洋の知識人の好奇心を刺激しました。日本は政治、経済よりも、芸術、文化、思想で海外に影響を与えてきた国なのです。思想でいえば、新渡戸稲造の『武士道』についても教えています。1900年にアメリカで出版された『武士道』は、セオドア・ルーズベルトに感銘を与えました
(アンドルー・ゴードン)

1900年代初頭、岡倉と弟子たちが羽織・袴という装いでボストンの街を闊歩していると、地元のアメリカ人から「お前たちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? ジャワニーズ?」(中国人? 日本人? ジャワ人?)とからかわれました。すると岡倉は「私たちは日本の紳士です。あなたこそ何キーでしょうか? ヤンキー? ドンキー? モンキー?」(アメリカ人? ロバ? 猿?)と流暢な英語で言い返したそうです
(アンドルー・ゴードン)

江戸幕府は「村請制」を農政に導入していました。村請制とは、領主が村に対し年貢の村総量を賦課する仕組みです。この制度では領主が村の農民の仕事内容にまで介入することはありません。そのため農民は副業も自由にできましたし、どんな商売でもできたのです。村に決められた年貢さえ納めていれば、副業の商売に対して税金がかかることもありませんでした。また村請制度は、村の誰かが年貢を出せなくなると、村の他の者が助けてくれる仕組みなので、村の結束力は高まっても、制度そのものを否定することにはつながりませんでした。江戸時代は百姓一揆が頻発しましたが、農民の闘争の相手は領主や代官であって、幕府ではありませんでした。幕府が直接領土を統治する仕組みではなかったために、システムの中に他国にはない柔軟性があったのです
(デビッド・ハウエル)

薩摩も長州も江戸幕府から遠く離れていたがために、独自の経済政策をとることができた
(佐藤智恵/アルバート・クレイグとの対談)

日本は江戸時代、なぜこれほど短期間に近代化を推進することができたか。それを読み解くキーワードは「石炭」です。もし九州地方に鉱山がなければ、日本が急速に近代化を進めるのは不可能だったと思います
(イアン・ジャレッド・ミラー)

渋沢が理想として掲げていたのは、倫理的な責任感を伴った株主資本主義です(ジェフリー・ジョーンズ)

「日本は中国に抜かれた」「日本より中国のほうがすごい国だ」と言う人もいますが、ちょっと考えてみてください。東京で大気汚染を心配することはあるでしょうか。レストランで出された料理を見て「何か変なものが入っていないだろうか」と不安に思うことはあるでしょうか。経済的な成長と、文明的な成熟度は別物なのです
(ジョセフ・ナイ)

リーダーに必要なのは、楽観でも悲観でもなく、現実を冷静に直視し、問題解決をすること。そのために、歴史は多くを教えてくれます。日本人の書く日本論は、とかく悲観/楽観どちらかに偏る傾向があります

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

Pocket