ゼロ戦の最強神話

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日米の当時の兵器を比べてみる。
日本陸軍の兵隊を見ると、衣服から小銃、機関銃その他の個人装備のほとんどすべてが質的に劣っていた。
歩兵のみならず、戦車や大砲も含めた火力も、日本が劣っていた。
ジープやトラックで機械化された兵站(補給能力)についても、雲泥の差があった。

航空機でも、それは同様だった。
ゼロ戦の圧倒的な優位性は、開戦から、せいぜい半年で終わっていた。
開戦当時の日本海軍のパイロットの技量は、世界最高の水準だった。
ベテランたちは、混戦の中でも大局を掴んで、最大の効果を生む術を知っている。
軽快な操縦性を持つゼロ戦は、良くも悪くも個人の力量をフルに発揮できた。
その反面、パイロットの力量に依存せねばならない戦闘機だった。

ゼロ戦の空冷星型14気筒950馬力の「栄」エンジンは、
アメリカのプラット&ホイットニー社の技術を使っている。
プロペラは、米ハミルトン社のライセンス品。
機関砲は、スイスのエリコン社のライセンス品。
無線帰投装置も米国製。海外製品のコピーを集めて作られていた。

エンジンの潤滑に必要なオイルは、作れなかった。
米国製品のストックが無くなったら、お終い。
再生油を使ったが、エンジンの性能は低下した。
大戦の後半に至るまで、ゼロ戦の防弾装備は無かった。
パイロットの育成には、手間と時間がかかる。
この為に、米軍機は飛行性能を落としてでも、
防弾装備をつけてパイロットの命を守っている。

日本軍機は、一撃で簡単に火を噴くことから、「ワンショット・ライター」と敵味方から揶揄されていた。
徹底した軽量化で極限までの運動性能を追求したゼロ戦も、甚だしく人命を軽視した戦闘機だった。
大戦中期以降になると、高高度性能、急降下性能などの機体性能が著しく米軍機より劣ってきた。
米軍機のエンジンは、ゼロ戦の2倍の馬力を持つようになった。
無線通信能力が劣っており、編隊空戦は困難だった。
レーダーとも連携できなかった。
様々な面で見劣りするようになり、
緒戦の無敗神話は、完全に色あせてしまった。

ゼロ戦は、最高でも最強でもなかった。しかし、極めて日本的な戦闘機だった。ちっぽけな島国が、大国と戦争しようと思うなら、他を犠牲にしてでも、最大限の性能を引き出さねばならない。
パイロットの錬度も極限に高めて、乾坤一擲、短期決戦で勝負を決めるしかなかった。
その意味では、ゼロ戦は最適解の一つだった。
日本海軍は、長期戦など想定していなかった。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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