『斎藤一人 そのままの自分でいいんだよ』

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宮本真由美

この世の中にはね、ざっくり分けると《立派タイプ》と
《すごいタイプ》の人がいるの。
この2つのタイプはぜんぜん生き方がちがうんだよ。

《立派タイプ》というのは、「私は英語が苦手なので
がんばって勉強します」とか、
「遊びに行くのはやめて年中無休で仕事をがんばります」
とかって、いちいち立派なことを言って生きている。
そして、やりたくないこともムリして、
がんばってやっちゃうタイプ。

もう1つの《すごいタイプ》というのは
立派に生きることができないの(笑)。
立派に生きるとこわれちゃうんだよ(笑)

《すごいタイプ》は、自分のできる範囲内のやれることをやる。
そして、やりたいことを1個やって、
やりたくないことを1個やめる。

とにかく、真面目に生きてて機嫌が悪いなら、
不真面目でも明るい笑顔で機嫌がいいほうが
よっぽどいいんだよ。

そう思ったら月1回は映画を観に行こうとか、
年に1回は海外旅行しようとかって、
やりたいことをやっているほうが、
いつもごきげんだし、うまくいくんだよ。
それでしあわせに向かっていくのが
《すごいタイプ》の生き方なの。

《立派タイプ》は、できないことをできるようになろうと、
いっしょうけんめい努力する。
ところが《すごいタイプ》は努力しない。
その代わり、できる人にお願いするの。

《すごいタイプ》は、上に立てば立つほど力を発揮する。
なぜかっていうと、《すごいタイプ》とは“他力(たりき)”なの。
その逆に、他力はいけないとおもって、
何でも自力でやろうとするのが《立派タイプ》なの。

だけど、エジプトのピラミッドだろうが、
万里の長城だろうが、自力でできたものなんて1つもないんだよ。
ぜんぶ他力なの。
この世の中というのは、自分が頑張ってできることは、
せいぜい人の倍。
ところが、他力を集めると、1000倍でも1万倍でもできるの。

オレは人生でこんなにもすごい成功をおさめたけれど、
自分でやった努力は1%以下かもしれない。
いろんなものはひらめきでくるけど、
このひらめきですら他力なんだよ。

ただし、他力だけで生きようとおもっても、
人は誰にでもホイホイと他力を出してくれる
わけじゃないんだよ。

だって、人のために何もしないヤツのために、
やってやろうなんて気が起きるわけがないんだよ。
人はだれでも、そういうヤツはキライなの。
だから、笑顔で「ありがとう」「感謝しているよ」って言う。
そして、自分が得意なことはやってあげる。
そうやって助けたり、教えたり、補いあっているから、
自然と他力が集まってくるんだ。

21世紀は「魂の時代」だから、
頭で考える《立派タイプ》よりも、
ハートで考える《すごいタイプ》のほうが、
なぜかうまくいくんだよ。

仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、
人生がうまくいかないという人は、頭で考えちゃっているの。

ここで特別の「1%の努力で100%の効果を出せる」
すごい人の極意を教えるよ。
1%の努力ってなんだと思う?
たった2つのことなんだよ。

1つ目は、顔に愛嬌があること。
2つ目は、人から愛されることを、言葉にして言っていること。

なんですかっていうと、笑顔でいるとか、愛想がいいとか、
人の肩の荷がおりることを言うとか、
人が喜ぶようなことを言うとか、そういうことだよ。
それで、この「1%の努力」だけは、
絶対に自分がやるしかないの。

《すごいタイプ》の人は、人の力を結集することができる。
そういう人は、いくつになっても、
人から可愛がられるような可愛げのある人。
人から愛される人望のある人。
言葉に愛がある人。

この反対の《立派タイプ》の人は、
エラそうだったり、威張ってたり、理屈っぽかったり、
冷たかったりするような、人から好かれない人。
言葉に愛がない人。

我々がこの世に生まれてきた大きな目的の1つは、
人間関係を学ぶため。
人との接し方を通じて、自分を少しでも高めていくこと。
いつも人が喜ぶことを考えている人は、人に与えている人。
だから、人が助けてくれたり、動いてくれたりする。
《すごいタイプ》がイイですね。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『幸せはあなたの心が決める』

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渡辺和子

女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、
この年頃の人たちの多くが、愛に必要なのは、
すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

それも決して間違いではないのですが、
その対象が「すばらしさ」を失った時にも、
果たして愛し続けることができるかどうか、
ここに「愛の本質」が問われています。

健康だった相手が病気になってしまった時も、
前途を嘱望されていた相手が挫折にあった時にも、
その人を愛し続けることができるかどうかは、
私たちが自分の中に、「愛する力」を
養い育てているかどうかに、かかっているのです。

エーリッヒ・フロムが
『愛するということ』という本の中で、
「愛するということは、単なる熱情ではない。
それは一つの決意であり、判断であり、約束である」と
きびしい言葉を述べているのも、
この愛の本質を指摘したものと言えるでしょう。

ふだんからピアノの練習もせずに、
立派なピアノを見つけさえすれば、上手に弾けると思ったり、
絵を描く練習もせずに、
ひたすら美しい景色を探している人にも似て、
ふだんから「愛する」練習をしないで、
すてきな人との出会いを待っていては、いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で
「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、
感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

マイナスの価値しかないと思えることや、
不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、
これまた「有り難い」と感謝できる時、
私たちは愛すべきものを随所に持ち、
愛し難い人さえも、その人の存在そのものの価値を認める、
愛深く幸せな人間になれるのです。

〇昔の人は、「一緒に苦労してくれないか?」と
プロポーズして結婚した。
今の人は、「一緒に幸せになろう」と言って結婚する。

一緒に苦労するのが前提なら、
二人で苦労することは何ともない。
しかし、幸せになろうと言って、
苦労することになってしまったら
「話が違う」ということになる。

昨今、離婚が増えているのは、
こんな理由もあるからでしょうね。

日常の中で、当たり前の幸せに気づける人は、
普段から苦労することを厭わない人。
苦労が前提だから、ちょっとした幸せにも気づくことができる。

物事はうまくいかなくて当たり前、と肚をくくると、
ほんの少し成功しただけで感謝できる。
満足するレベルを低くとることはとても大事だ。

マイナスの価値しかないと思えることさえにも、
意味を見出して感謝できる人は既に幸せの境地にいる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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分断が招くスタグフレーション(景気後退とインフレの同時進行)

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世界経済をスタグフレーションの影がおおう。
引き金は新型コロナウイルス禍とウクライナ戦争だが、
主因は米中覇権争いによる分断だ。

スタグフレーションは構造的危機だ。
米中対立はグローバル経済に冷水を浴びせ、
世界経済を鈍化させた。
安全保障優先の規制が市場経済をゆがめ
自由貿易を後退させた。
供給網の分断による供給規制で
家計は物価上昇に苦しみ、
企業はコスト増に悩む。
米国のIT大手の人員削減はコスト増に対する対策だが
景気を下押しする。

米中分断は半導体分断に象徴される。
バイデン米大統領の対中半導体規制や
台湾TSMCの囲い込みで
半導体分断が世界を巻き込んだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『人生の教養が身につく』

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ライフネット生命保険会長、出口治明

《よく笑い、よく眠る。悩みの7割はそれで解決》
…笑いこそ、人間の持つ「唯一、かつ強力な武器」。

たとえば、今の日本において、とくに仕事や公式の場では、
ひたすら「真面目」が尊ばれ、
「笑い」や「おふざけ」や「いたずら心」などの
遊び心はタブー視される傾向があります。

しかし、あらゆるイノベーションの生まれる素地は、
じつはこうした遊び心からなのです。

逆に、青筋を立ててひたすら「真面目にせなあかん!」
となったら、ロクなことになりません。
視野が狭くなり、四角四面な発想しかできなくなります。

いい例が、東日本大震災のときのわが国の首相の対応です。
あのとき、首相は官邸のソファに寝泊まりをして、
飲まず食わずで指揮をとっていた。
非常事態においては、大将は、しっかり眠り、
たっぷり食べて、
心身ともに健康な状態でいなければならない。
でないと、適切な判断ができません。

ところが、彼はその真逆をやっていたのです。
「みんなががんばっているのだから、
俺もがんばらなあかん」と思ったのかもしれませんが、
発想が逆です。
睡眠不足で、食事もロクにとらなければ、
イライラしますし怒鳴りたくもなるし、
判断もブレやすくなります。
それで国を左右する判断をしようとしていたのですから、
恐ろしいものです。

仕事でもプライベートでも、深刻にならないほうがいい。

落ち込むことがあったら、仲のいい友達や、
あるいはパートナーとおいしいものでも食べて、
ゲラゲラ笑って、あとはぐっすり眠れば、

悩みの7割くらいは解消できます。

講演会などで、「人生落ち込んだときの過ごし方を
アドバイスしてください」という質問には
いつもこう答えているのですが、
質問者の肩からは「僕は真面目に質問しているんですよ」と
言われたりします。

でも、これは私の真面目な答えなのです。

疲れていたら本すら読めません。
本を読むにも体力が必要なのです。
それより、たくさん食べて、大いに笑って、
ぐっすり眠ったほうがいい。
そして、スッキリしたら、
翌日からまたゼロクリアして一所懸命働くほうがいい。

真面目に考えすぎるのは不幸の元なのです。

真剣さと深刻さは違う。
真剣さは必要だが、深刻さはいらない。

深刻になった途端、柔軟さがなくなり、
物事の判断が鈍(にぶ)るからだ。

同様に真面目なのはいいが、真面目過ぎるのはダメ。
ルールを守るとか、誠実であるとか、嘘をつかないという
真面目な資質はとても大事だ。
しかし、それが行き過ぎると、ゆるしや、寛容さ、といった
「しなやかさ」がなくなってくる。

笑いは、ゆるしであり、共感であり、肯定だ。
状況が厳しければ厳しいほど、ユーモアや笑いが必要だ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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THE ONE THING

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ゲアリー・ケラー

クリスマスをはじめ、
人々に幸せをもたらすあらゆるものを嫌悪している、
無慈悲で、しみったれで、どん欲で、
守銭奴の代名詞のようにいわれる男スクルージ。
チャールズ・ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』の
主人公、エベニーザ・スクルージだ。

あるクリスマスイヴのこと、スクルージのもとに
かつての共同経営者ジェイコヴ・マーレイの亡霊が現れる。
マーレイは嘆き悲しんで言う。

「私が今夜ここに来たのは君に警告するためだ。
君にはまだ私のような運命を免れるチャンスも希望もある。
いずれ3人の精霊が君のもとに現れるだろう」

やがて精霊たちがやってきて、
スクルージの過去、現在、未来を見せる。
それはぞっとするような経験で、
翌朝目覚めても、彼の動揺はおさまらなかった。
めまいを感じながらも、
彼はまだ運命を変えるだけの時間があることに気づく。

通りに飛び出すと最初に出会った少年に、
市場で一番大きな七面鳥を買って、
彼のたった一人の使用人ボブ・クラチットの家に
名前を伏せて届けるように頼む。

また、以前貧しい人のための施しを懇願されて
はねつけた紳士に会うと、
すぐに許しを乞い、多額の寄付を約束する。

最後に甥の家に行き、
長いあいだ自分が愚か者だったことを詫び、
祝祭の晩餐の招待を受け入れる。
甥と妻と客たちは、彼が心から喜んでいる様子にひどく驚く。

翌朝、クラチットが遅刻して出勤してくると、
スクルージが待ちかまえていて、いつものように怒鳴る。
「こんな時間に来るなんて、どういうつもりだ?
もう我慢ならない!」
しかしスクルージの次の一言を聞いて、
クラチットは耳を疑う。
「だから、君の給料を上げようと思う!」
その後もずっと、スクルージはクラチット一家の力になる。

クラチットの末息子で病弱なティムのために医者を見つけ、
ティムの第二の父ともいえる存在になる。
彼は残りの人生を他人につくすことに
時間とお金を費やしながら生きていく。

マーレイの亡霊が現れたあとスクルージはどうなったか?
彼の目的は変わり、それが最優先事項を変え、
その結果、生産力を向ける対象が変わった。

マーレイのおかげで、スクルージは
新たな目的の力、変化を引き起こす力を
身をもって知ったのだ。

物語が終わるころには、スクルージの目的は
もはやお金ではなく、人間になっている。
人との交わりに幸せを感じ、
なんとか救いの手を伸ばそうとする。

お金をため込むことより人を助けることに価値を見出し、
お金は人のために役立ててこそ、のものだと考える。

どんな人間か、どこへ行こうとしているのかによって、
その人が何をし、何をなしとげるかが決まる。
目的を持って生きる人生は、
どんな人生よりも力強く幸せである。

人の生き方にとって、もっとも大事なことは、その方向性だ。
どちらを目指して進んで行くかによって、
人は全く違った道を歩んでしまう。
己の欲のために生きるのか、人の喜びのために生きるのか。

意欲が強ければ強いほど、間違った方向性を目指すなら、
その崩壊のスピードは早まる。

我々はいったい、どこを目指しているのか、
どんな人生を歩もうとしているのか。
人の喜びのために生きている人は幸せだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『幸せを感じるには』

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小林正観

生れてからずっと目が見えていない人は、
「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、
親の顔を見てみたい」
「結婚した相手の顔を見てみたい」
「子どもの顔を見てみたい」と
思いながら生きているそうです。

私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた
目が見えないことなどないにもかかわらず、
目が見えるということに対して、
感謝することなどまずありません。

それどころか、「あれが欲しい」「これが欲しい」
「あれをよこせ」「これをよこせ」と
現状に対して不満ばかり口にしています。

私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、
それを手にいれなければ幸せになれないと
教え込まれています。
そのように洗脳されているのです。
それを、「夢と希望に満ちあふれた生活」といいます。

それに対して、私は「夢と希望もない生活」を送っています。
夢も希望もない代わりに、
悩みも苦しみも煩悩もありません。

私は酒もタバコも麻雀も、娯楽といわれるものは
何もしませんし、休みもほとんどありません。

「何が楽しくて生きているのですか?」と
ときどき尋ねられることがありますが、
「ただ幸せをかみしめて」生きている。

「自分がいかに恵まれているか」「自分がいかに幸せか」
「自分がいかにありがたい状況に生きているか」
ということに気づいたら、
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の「五戒」など
口から出てきません。

願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、
というのは、本当の感謝ではありません。
何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、
いま目の前にあるものをありがたく味わう。
それこそが、本当の「感謝」なのです。

人は、自分がいかに幸せな状況のなかで
生きているかに気がつきません。
それは、海で泳いでる魚は、海を見ることができません。
それで「自分も海をみてみたい」と思い、
釣り人が垂れている釣り糸にガブリ!とかぶりつくのです。

すると海の上に引っ張り上げられる。
それで初めて、魚は海というものを見ることができるのです。

釣り上げられた魚が「私」なら、釣り上げた人とは「神さま」。
釣り上げられた状態は何かといえば、「事故、災難」。
海とは、「幸せ」そのものです。

神さまに「幸せというものを見せてください」と言うと、
神さまは「わかりました」と言って、
災難や事故というものを起こして、
私たちを釣り上げてくれます。

かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、
かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆが
とてつもなくおいしく感じられるでしょう。
元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかり食べていたら、
おかゆのおいしさはなかなかわからないでしょう。

では、かぜで丸1日食べられなかったことは、
はたして不幸なことだったのでしょうか?
そうとはいえないでしょう。
その体験があったからおかゆのおいしさ(幸せ)を
味わうことができたのです。

私たちが「幸せ」を感じるためには、
その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」と
いわれる状況が起こるようです。
そういう構造になっている。

そのことに気づいたら、私たちはつらいこと、苦しいこと、
大変なことに遭遇したときも、
一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。

人は、「失って初めて、その大切さに気づく」
という習性がある。
それは、両親だったり、恋人だったり、健康だったり、する。
当たり前の日常が、いかに大切な日々だったのか、
いかに有り難かったのか。
やっかいなことに、それを失ってみないと気づかない。

「ありがとう(有り難う)」の反対は、
「当たり前」だと言われる。
目が見えることも、耳が聞こえることも、
話しができることも、本当は、当たり前ではない。
有ることが最も難しいことなのだ。
奇跡のようなこと。
そのことに気づいたとき、当たり前のように過ぎていく
日常には感謝しかなくなる。

それは、自分の体に対しても同じ。
寝ている間も動いてくれている心臓や肺、
ありとあらゆる臓器は文句もいわず
365日休みなく動いてくれている。

自分がいかにありがたい状況に生きているか、に
気づける人でありたい。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『チャンスを掴む』

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内藤誼人

会社はわざわざお金を出して
、みなさんに教育を施そうとしてくれる。
新人訓練、社内訓練などの名目で、
いろいろな訓練をしてくれる。
そういう訓練への参加を嫌がる人がいる。

自分はまったくお金を出していないのに、
いや身銭を切っていないからなのか、
真剣に訓練を受けようという気がない人がいる。
もしそういう訓練をしてくれるのなら、積極的に参加したい。

たとえそれが、自分の仕事とは無関係であるように思えても、
それでもムダな訓練というものはない。
必ず、何かしら役に立つ。

どんな訓練にも積極的に参加する人ほど、
仕事はうまくいくのである。
どんな技術でも、知識でも、貪欲に吸収してやろう、
という人が伸びていくのである。

オーストラリアにあるクィーンズランド大学の
フィリス・タレノーは、あるオーストラリア企業で働く社員
(男性501名、女性513名)を対象に、
会社での地位、給料、部下の数、の3つの指標を
「キャリア・サクセス」とし、
どういう人ほどサクセスの度合いが高いのかを
調べてみたことがある。

そこで明らかにされたことは、“訓練への参加度”であった。
成功している人は、「会社で行われる訓練に
何回参加しましたか?」という項目と、
「社外のセミナーや訓練を何回受けていますか?」
という項目で回答頻度の高かったのである。

私は社会人向けのセミナーの仕事も受けるが、
会社からムリヤリ行かされたような人は、
まったくやる気がない。
そういう人に教えるのは、講師である私も
遠慮させていただきたい。
他の人まで悪影響を与えるからだ。

たかが、社内訓練。
されど、社内訓練だ。
訓練をナメてはいけない。
どんな訓練にも本気で取り組めるような人になろう。

どのようなスポーツにおいても、
監督に認められない選手は試合には出してもらえない。
だから、誰に対してアピールしなければいけないかというと、
それは間違いなく監督。

社内訓練やセミナーへの出席も同じで、
その出席率は上司や社長が一番よくみている。
そんな素晴らしいアピールの場を逃がす人は、
チャンスや運も逃がす人と言っていい。
上司や社長はそれをよく見ている。

また、わざとらしくてミエミエだから、
セミナー出席などではアピールしない、
などと妙にひねくれて言う人がいるが、
そういう人には可愛げがない。
素直でない人は、まわりから可愛がられない。

人は、死ぬまで勉強を続け、
少しでも自分を高めていくことが必要だ。
どんな勉強もムダなものはない。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね

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斎藤一人

しあわせを見つけるのがヘタな人は、
商売の成功の仕方を見つけるのもヘタです。
うまくいってない人って、しあわせも成功も、
「見つけるもの」だと思ってないの。

「与えられる」か「偶然入ってくる」ものだと
思っているんです。
チャンスも「来るもの」だと思っていて、
「見つけるもの」だと思っていません。
ようは、日ごろから“見つけグセ”がないんだよ。

「ご飯が食べられてしあわせ」とか
「仕事ができてしあわせ」とか、
しあわせを探すクセが日頃からあるかどうかなんです。

ちょっと自分にイヤなことがあっただけで
「最悪だ!」って言っている人生と、
「今日も朝起きられてしあわせ」って言う人生では違います。
「しあわせのタネ」を見つけられる人って、
「商売のタネ」を見つけるのも上手です。

しあわせな人って、いいところを見つけるのが上手なんだよね。
そういう人が「売れているお店・人気のお店」に行ったら、
その店のいいところをたくさん見つけます。
そしてその中で、自分でマネできることをするんです。
逆に不幸な人って、悪いところを見つけるのが上手なんです。

「売れているお店・人気のお店」に行っても
「あそこがダメだ」「ここがなってない」とか言って、
いちいち“重箱の隅をつつく”ようなことをするんです。

人を雇うのでも、
しあわせな人は、その人のいいところを見つけて、
そこをほめて伸ばそうとします。
でもうまくいってない人って、
悪いところを見つけてはそこを指摘して、
直させようとするんだよね。

「仕事の成功論」と「心のしあわせ論」は同じなんです。

《毎日の生活の中で「しあわせのタネ」を探してごらん。
じつは毎日、
たくさんのタネをいただけていることに気づくから》

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『メンタルが強くなる』

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中谷彰宏

メンタルを強くしたいと思うなら、マナーをよくすることです。

たとえば、クルマを運転していて窓からタバコを捨てる人は、
眉間にシワが寄って、不機嫌な顔をしています。
もともと不機嫌でイライラしている人が、
クルマの窓からタバコを捨てるのではありません。
窓からタバコを捨てるというマナーの悪いことをするから、
不機嫌になるのです。

新幹線で黙ってリクライニングシートを
いきなり倒してくる人も、不機嫌な顔をしています。
うしろの人が不機嫌になるのは当たり前です。

原因は、行動の側にあります。
感情がもとで行動が起こるのではなく、
行動がもとで感情が湧いてくるのです。

お弁当を食べている最中、前の人がいきなり
シートを倒したためにお茶が倒れた時、
その人の行動は2通りに分かれます。

1. 前の人に仕返しができず、うしろの人に仕返しをする。
2. 前の人に文句を言うかわりに、うしろの人に超感じよく
「すみません、椅子を倒していいですか」と言う

そうすると、突然、感じの悪い人の次にあらわれた
神様のような人になります。
前の人のおかげで、自分が神様になれるのです。

「うしろの人に仕返しをする」は、メンタルが下がります。
マナーの悪い人に感染してしまうのです。

「超感じよく言う」はメンタルが上がります。
この時、「なんだ前のヤツ」と、ムッとしないことです。
ムッとする人は、視野が狭いのです。

ふだんから負のオーラを出している人と
かかわり合わないことです。

ただし、会社の中では接する人を選べません。
上司が怒鳴った時は、
いきなりリクライニングシートを倒してくる人と同じです。
その時にムッとして、自分が勝てる相手に怒りをぶつけると、
自分のメンタルはもっと下がります。

上司にいきなりリクライニングシートを倒された時は、
「チャンスボールが来た」と思えばいいのです。
うしろの人に感じよく
「すみません、椅子を倒していいですか」と
キムタクのような顔で言うと、自分のメンタルが上がります。

メンタルが下がるような事態が起こった時は、
メンタルを上げるチャンスなのです。

五日市剛
「嫌なことがあったら、自分に『ありがとう』といい、
また、いいことがあったら、『感謝します』というといい」

嫌なことやツライことがあったときは、
ついイライラしてグチや泣き言や文句といった
マイナスの言葉が出てしまう。
すると、マイナスの言葉がまたマイナスを呼び寄せ、
悪循環になってしまう。
その負の連鎖を断ち切る言葉が、「ありがとう」だ。

誰かに嫌なことをされた時も同じ。
嫌なことをされたから、そのウップン晴らしに、
自分より弱い立場の者にそれをぶつける。
それが負の連鎖となる。

しかし、「ありがとう」と同じで、嫌なことをされたら、
反対に、他の人には超絶いい感じで接する。
それが自分のメンタルやパフォーマンスを上げることになる。

嫌なことをされたときは、
「メンタルを上げるチャンス」と捉える。

エンジオイル、OEM仲間の経営塾より

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『雑菌主義宣言!』

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明治大学教授、齋藤孝

このシビアな時代を生き抜くのにもっとも必要な力は何か、
それは精神の強さだ。

わが身にふりかかる不愉快な刺激や
わずらわしい事柄などの“雑菌”に対して免疫をつけ、
簡単にはへこたれないメンタル面のタフさをもつ。

自分にとって不愉快な雑菌的なものを拒否し、
排除して生きるのでなく、
あえて積極果敢に自分の中に取り込んで、
自己免疫力を高める。
そのような“心の免疫力”を、今から習慣づけよう。
これを私は“雑菌主義”と名づけたい。

大学生を教えていてしばしば感じるのは、
純粋であること、感じやすく傷つきやすいこと、
ナイーブであることを美徳のように思って、
今の自分を守ろうとする人が多いことだ。

面倒くさいこと、わずらわしいこと、理解しにくいこと…
自分にとって不愉快な刺激となるあらゆる物事を、
極力避けようとする。
そのために物事の判断を間違えやすい。

本当にすべきことではなく、
楽な方、より不快でない方を選んでしまうばかりに、
結果として不利益を被っていることがしばしばある。

善悪の判断が誤っているというよりも、
経験値の乏しさを感じることが非常に多い。

私自身、20歳前後の頃を振り返ってみると、
やはり経験も心の耐性も足りなかった。

あの当時の自分と今の自分とのあいだで
何がもっとも変化したのか。
エネルギーでいえば20歳頃のほうが
はるかにエネルギッシュだった。
しかし人間としての強さでいえば、
今の私のほうが何倍もタフだ。

あの頃よりも今のほうが
はるかに多い量のさまざまなストレスや壁にぶち当たっている。
にもかかわらず、日常的にこなせている。

自分自身で心の安定感をコントロールできている自信がある。
20有余年の間にいろいろな経験を積み、自己免疫力がついた。
それらが抗体となっていて、対応が速やかにできるからである。

現代日本人は、菌の繁殖に非常に神経質だ。
巷で流行っている抗菌・除菌グッズの豊富さをみても
それはよくわかる。

近年、アレルギーの症状を抱える人の数が
たいへん増えているそうだが、
親が神経質になりすぎて、
赤ちゃんのときに
細菌を極力排した
クリーンな環境で育っていると、
かえってアレルギー体質になりやすいともいわれる。

人間も、置かれた環境下で自己免疫力を高めながら
生きていくことがもっとも自然で望ましい。

微生物などいてほしくないと思うところにいるのが
「雑菌」であるとするならば、
私たちの日常生活には、「こんな厄介なこと、
不愉快なことは起きないでほしい」と
願うようなことばかりだ。
社会で生きていくことそのものが、
いわば雑菌生活なのだ。

だが、自分にとって厄介でわずらわしくて
不愉快なことから学ぶものは実に多い。
そもそも、仕事というのはわずらわしさの連続だ。

種々さまざまなわずらわしさが、
わらわらとふりかかってくるが、
それを無視するわけにはいかない。
その雑菌に慣れることで、仕事ができるようになっていき、
人間として成熟していく。

成熟するとは、資格試験に通って
次のステージにレベルアップする、といった
分かり易いものではなく、
地道な抵抗力の蓄積によって培われる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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