『「選択的シングル」の時代』

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エルヤキム・キスレフ

人々の生き方が変われば、住まい方や消費も変わる。当然、それに伴ってビジネスも変わります。
30カ国以上のデータを分析してわかった、「結婚神話」の真実と、「シングル」という生き方の可能性。

結婚したからといって、幸福になるわけではないし、配偶者と子どもが面倒を見てくれるわけでもない。
たとえ結婚したとしても、離婚・死別(どっちかは確実に先に死ぬ)で結局シングルになる。
離婚した人の場合、その70~80%が再婚するが、二度の離婚をする確率は一度目より高い
幸福の秘訣は「世間」に流されないこと
私たちの生きる年月が長くなったということは、離婚した後や、配偶者に先立たれた後にひとりで生きる年月も長くなるということだ
離婚は人の幸福を危うくする一方、結婚はそれほど幸福を約束してくれるわけではない
リスクを回避する傾向によって、結婚を完全に拒否はしないが、遅らせようとする人たちも多くなる。しかし、皮肉なことに、結婚する時期を遅らせる人たちのほうが、はるかに離婚率が高い。32歳以降の結婚の場合、結婚年齢が1年上がるたびに離婚の可能性は5%高まる。
誰かと一緒に暮らすことによる金銭的なメリットが少なくなっているから、若い人たちはあえて結婚を選ばない伝統的な価値観や家族を重視する価値観は、ほとんど大量消費主義にとって代わられているグローバル化された世界では、機動性と地理的な柔軟性を必要とする職業もある孤独感に対する結婚の効果は時間がたつにつれて低下していく年をとる前に自分が作りあげたコミュニティーこそが、最良の社会保障(50代のシャノンの言葉)カップルの人たちよりも積極的に社会的交流をおこなっているシングルの人たちは、幸福指数でカップルの人たちを追い越すことができる幸せなシングルが実践している6つのワーク・ライフ・バランス維持戦略1.仕事と健康的な楽しみのバランスを保つ2.学びの時間をもつ3.心身の健康に投資する4.家事と賢く向き合う5.自分のための家族を上手に「選択」する6.職場を社交的な環境に変えるTENOR

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『運のつくり方』

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藤木相元

外国語を習得する秘訣は、とにかく声に出して音読することです。これは、はっきり口で発音することによって、その響きが五感を通して脳に伝わり、言葉の意味やニュアンスまでまるごと脳に刻みこまれるからです。“体で覚える”とは、まさにこのことなのです。目読だけでは、脳に刻みこまれる力が弱く、生きた言葉のセンスがなかなか身につかないわけです。この「声に出すこと」は、外国語を学ぶときだけでなく、運をつかもうとする場合にも、ひじょうに大事になってきます。

自分のほしい運がはっきりしたら、ことあるごとに「私はこういう運がほしい」と口に出してみるのです。人に話してもいいし、人に話すのが恥ずかしかったら、自分一人でいるときに言ってみる。とにかく、実際に言葉にし、声に出してみることです。
近ごろよく、大脳生理学の面から、胎児教育ということが言われています。胎児は成長しはじめて間もなく聴覚が発達し始めるので、母親や父親がやさしく話しかけたり、いい音楽を聞かせてやると、感受性が豊かで頭のいい子に育つというわけです。母親の胎内にいるときに、いつもやさしい言葉をかけてもらっていれば、おのずと柔和な相がつくられていき、逆に、たえず両親のケンカする声などを聞かされていると、目も眉もつりあがった相になって、この世に誕生してくることになるのです。この脳相は、3歳から10歳くらいまでのあいだに、明か暗かに分かれ、運のよし悪しを左右することになるのですが、たとえ幼少期に暗の相になってしまった人でも、成人してからでも、いくらでも明の相に変えることは可能です。その方法の一つが、ほしい運や願望を口にすることで、脳にしっかりと、その願望を刻みこむことなのです。これを続けていると、その言葉の“明”の面が脳相に刻まれ、顔の相や、ひいては行動までを運をつかむ“明”に変えるわけです。

私のこれまでの体験でも、一家が繁栄する“明”の家庭に共通していることは、毎朝の「おはよう」という挨拶がしっかりしていることです。そこには、おのずと、今日もお互い明るく生きよう、という願いがこめられています。家族のあいだで“明”を与えあっているともいえます。
企業も同じで、どんどん発展する会社では、かならず朝の挨拶がしっかりしています。職場のみんなが“明”をもたらす言葉を口に出すことで、自然とその会社に運も近づいてくるのです。
スポーツの世界でも、個人競技にしろチーム競技にしろ、気合のはいった選手は、控え室などでひとりで精神を統一したあと、大きな声を出して「よし、やるぞ!」と気合を入れますが、こうした声がよく出て、しかもその声が大きい人やチームほど強いとよくいわれます。これも、「勝つ」という願望をしっかりと自分に植えつけることで運を呼び込んでいるわけです。

ダスキンでは、毎日、全員が「損と得の道があるとすれば、損の道を歩もう…」と、大きな声で社訓を唱えています。ダスキンに入ったばかりの人は、最初は驚き、大きな声で唱えるのを恥ずかしがったりするそうですが、そのうちに、自然と大きな声が出るようになるそうです。
これは、唱えることを強制された結果そうなるのではなく、大声で唱えることで、自分が変わり、明になっていくことを無意識のうちに感じとっているからでしょう。こうして、そこで働く一人ひとりの人が明になっていけば、会社全体が明になり、運のつく会社にもなってきます。

自分の口に一番近いのは、自分の耳。自分の発した声は、自分の耳が一番最初に聞き、次にそれは脳に刻み込まれる。
中村天風師は、特に夜寝る前と朝起きたときに“明”になる言葉、すなわち、「明るくなる言葉」、「元気が出る言葉」、「勇気が出る言葉」、を唱えた方がいいという。さらに、鏡の前で自分に向かって、“明”を宣言すれば、それは強く脳に浸透する。家族間での朝の挨拶や、会社における朝礼での社是や社訓の唱和は、場を“明”にし、運を引き寄せる。

口にした言葉は、言った通りになるからだ。だから運を引き寄せる言葉を声に出す。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『運を呼ぶ自己投資』

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杉山大輔

自分が自分のことを信じていなければ、誰が自分のことを信じてくれるでしょうか?根拠のない自信でもいいのです。自信のための自己投資ほど自分に返ってくるものはありません。誰よりも自分で自分を応援しましょう。
好きなアイドルのために、徹夜してライブに並んで、すべての曲を購入して、ファンクラブに入り、情報をネットで集めたりする人もいます。このエネルギーを自分自身に使うことが大切です。

当たり前ですが、自分の人生の主人公は自分です。自分を応援して、時間を自分の人生のために振り分けたほうがいい。自分の財産は自分自身です。そのための自己投資を365日毎日、生きている年数、続けることで、たとえどんなことが起きても自分で対応することができるようになります。
そして、仲間も自分の財産の重要な一部です。所属している会社から離れたときに自分にどれだけの人がついてくるのか?それがポイントです。地位をなくしても、肩書がなくなっても、自分というブランドと特徴があればまた頑張ることができる。そこに仲間が加われば、怖いものはありません。そのような人は世界中のどこに行っても、どんな職種・職業でも怖いものはないはずです。

物質的なものよりも、学んで頭の中に入れた知識や、体験を通して得た経験こそが最も重要な財産になります。

『多くの成功した先輩方と会うと気づくのですが、とてもシンプルなコンセプトだけれど、誰もが続けていることがあります。
みなさん自分を信じ、自分に投資することを当たり前に続けているのです。年齢問わず、常に新しいことを学ぼうとする姿勢が大事です。自己投資をやめた瞬間に自分の成長は止まります。年齢に関係なく、貯金よりも自分にどれだけ投資しているかがポイントです。
そうして自己能力を鍛えれば、お金は後からいくらでもついてきます。貯金があっても能力を鍛えないと成長はありません。女性も男性を選ぶ時、貯金通帳にいくら入っているかよりも、どれだけ自己投資しているかで判断した方がいい』

事業においては、素晴らしいお店や繁盛店を見て感動することはとても大事だ。しかし、ただ感動するだけで終わってしまったら、それは素人。プロなら、感動させる側にまわらなければならない。どこかのお店や、誰かのファンになって応援することはとても楽しいし尊い。しかし、プロを目指すなら、ファンという自分を応援してくれる人をつくらなければならない。
プロはお金を稼げる人。プロになるためには、自己投資が必要だ。それは、プロである限り、死ぬまでずっと続く。
「自己投資は運を呼ぶ」自己投資し続ける。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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芸に遊ぶ

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安岡定子

《道に志し、徳に拠(よ)り、仁(じん)に依(よ)り、芸に遊(あそ)ぶ。》(述而七・じゅつじ)
(人は正しい道を求め続け、それによって得た徳という高い品格を拠り所とし、また仁という人間愛を頼りとし、その上で豊かな教養の世界を気ままに楽しむ。これこそがまさしく君子の姿なのだ。)

これは、実に端的に孔子の考えを表しています。
まず志を持つ。それを実践する時には高い品格がなければいけない。しかもそこには情愛もなくてはいけない。かなりレベルの高い生き様が要求されます。窮屈な感じがするかもしれませんが、よくよく考えてみれば、当たり前の原理・原則を述べているにすぎません。

この言葉の最後には「芸に遊ぶ」とあります。芸と聞くと、お稽古事などを思い浮かべる方もあるでしょう。
しかしこの芸は六芸という当時の六つの必修教科のことを指します。書・数・礼・楽・御・射の六つです。書は古典、数は数学、礼は礼節、楽は音楽、御は馬術、射は弓道です。
これらを学ぶ時にも心に余裕を持って、それぞれの世界を逍遥(しょうよう)できるくらいのおおらかさがないといけないと言っています。

「芸に遊ぶ」の一言が加わっただけで、ずいぶん趣きが変わります。六芸を仕事に置き換えてみれば、誠実にひたむきに取り組むことももちろん重要ですが、そこに心の余裕が加われば、仕事の仕上がりも違ってくるでしょう。客観的に全体像を観られる、予定外のことが起こっても上手く切り抜けられる、まさに臨機応変に事に臨めます。

〇茨城県水戸市にある旧水戸藩の藩校・弘道館には「游於芸(げいにあそぶ)」という扁額がかかって います。これは水戸藩九代目藩主・徳川斉昭公によるものですが、この「論語」からとられています。文武に凝り固まることなく、悠々と身を修めるという意味です。

〇「之(これ)を知る者は、之を好む者に如(し)かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」(『論語』雍也篇)物事を単に知識として知っているだけの者は、これを好きな者には勝てない。好きでやっている者は、それを心から楽しんでいる者にはかなわない。「芸に遊ぶ」とはまさに、それと同じで、芸を楽しんでいること。

〇小林正観
「人生は楽しむためにある」人生は、「喜ばれるための場」であり、「感謝をする場」であり、「楽しむための場」であって、修行の場ではない。
それを楽しむ人は、時間のたつのも忘れて、それに没頭できる。そこには、苦労や努力や頑張る、という修行のような概念はなく、ただひたすら「楽しくて仕方ない」という気持ちだけ。

昨今は学校だけでなく、あらゆる場所に、学びのコミュニティがある。社会人になってからや、リタイアしてからの学びほど楽しいものはない。強制ではなく、自発的に好きなことを学ぶからです。それが、悠々として身を修めることになっていきます。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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「笑い」の力が人生をひらく

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櫻木健古

ユーモア精神を身につけよ、とは、必ずしも、ジョークをポンポン飛ばしたり、ユーモア・パフォーマンスをしたり、といったことだけではない。
第一義的に大切なのは、「ユーモアに対する感性」を身につけよ、ということである。「笑いがわかる人間になれ」ということである。

落語についていえば、これを鑑賞できる人間になりましょう、ということ。それさえできるなら、落語的なユーモアへの感性は身についている。みずから落語を演じることは、必ずしも必要ではない。ただし、やりたい人、その才のある人は、大いになさるとよい
駄ジャレ一つ飛ばすことができなくても、それはそれでけっこうである。ただし、ユーモリストたちの言行を、「おもしろいな」と思える人にはなりなさい。それが、ユーモアへの感性があるということ。

「くだらんこと言ってやがる」としか思えないなら、あなたは笑いがわからず、“あそび”ができない、味もそっけもないクソマジメ人間ということになる。「笑わせ屋」になる必要は必ずしもないが、「笑い屋」にはなりなさい、ということ。双方ともになれるなら、もちろん、それに越したことはない。

人が笑わせようとしたのに笑ってやらないのは、ヘソ曲がりに非ずば、笑いの感性に欠けているのであり、どちらにしても欠陥人間なのであって、そのような人の人間関係はうまくゆかない。

ユーモアのセンスを磨き、人前でジョークを言って笑わせたりすることは、かなり難度が高い。
しかし、自分を笑い飛ばすとか、自分の欠点をさらけ出したり、失敗をネタにする、というようなことは、比較的難度が低い。ただし、プライドを捨て、恥をかく覚悟を決めなければならない。

「およそ恥ということを打ち捨てて、世の事は成るべし」坂本竜馬
一緒にいて楽しい人は、よく笑う人だ。ちょっとした話に、大げさに驚いたリ、笑い転げたりしたら、また会いたくなってしまう。笑いの感性が高い人だ。

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「失敗とは成功の前兆」

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コリン・ターナー

業種に関係なく、あなたは常に無限のチャンスがある。型にハマった考え方を捨て、新しいものとかかわろうとする人々は、物質的に満たされるだけではなく、自分の仕事のなかに多大な喜びと満足を見出す。

もしあなたがチャンスを待って、言い訳に言い訳を重ねているのなら、いずれは「もう年をとりすぎた」という最後の言い訳にたどり着く。
この世を去るその日まであなたは、世界は自分に背を向けていて、自分の才能はふさわしい評価を得ず、成功した人たちは「運」や「まわりの力」に恵まれていただけなのだと考えつづける。

億万長者とあなたとの間にあるただ一つの差異は、「自身の姿勢」なのだ。
あなたは自分自身にとって、最も質が悪く手ごわい敵になり得る。「この世のどんな力も、あなた自身ほど、あなたの成長を妨げることはない」
自分の無限の可能性を理解し、チャンスをつかむことは自分の当然の権利なのだと気づいたなら、ただ前に進めばいい。

〇1809年、ケンタッキーにある赤ん坊が生まれた。父親は貧しいうえに、浮浪者であった。母親は子どもが9歳のときに他界した。すべてのチャンスは待っているだけではなく、自分で探さなければいけないと言い残して。父親が反対し、彼は本を読むことも許されなかった。
彼の名はアブラハム・リンカーンといった。「探せ、さらば見つけられるだろう」という言葉は、人は何であれ、まず探さなければそれを手に入れることはできない、という意味である。待て、されば訪れるだろうとは意味が違う。

〇『ある父親が息子の通信簿を見て、そのあまりの劣等生ぶりに愕然とした。父親は息子に法廷弁護士になってもらいたいと考えていたが、校長はその可能性はまったくないと断言した。少年は落伍者だった。
この人物こそウィンストン・チャーチルである。彼は法廷弁護士にはならなかった。ただ英国史上最も偉大な指導者の一人となった。
挫折は彼に大志を抱かせた。奇妙に聞こえるかもしれないが、失敗とは人間を立ち止まらせ、その人生を考えさせ、チャンスを探させる、成功の前兆なのだ。失敗の数が多いほど、未来の成功への可能性は高くなるのだ』

〇松下幸之助翁は、「子どもの頃は貧乏で一家離散、 病気がちで体が弱く、学歴もない(小学校中退)人だった。でも、だから成功できた」と言われる。
貧乏、病気がち、無学歴、という3つの困難があった。それを乗り越えたがゆえに、大きな仕事を成し遂げた。これは、リンカーンも、チャーチルも同じ。
だからこそ、人はみな、無限のチャンスを持っている。「失敗とは成功の前兆である」

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『楽しい人生を生きるには』

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小林正観

「毎日がむなしい」という方がいました。仕事で言うと、「毎日がむなしい」「同じことの繰り返しで楽しくない」「やめようと思う」との内容が多いのですが、私はそういうとき、この質問をしてきました。「あなたは自分で自分のことが好きですか」。多くの人は、まずびっくりします。そして考えます。多くの場合、「私は私が嫌いです」との答えです。

「どうしたら自分で自分を好きになるんでしょう」実はそこにこそ、日常生活のなかのむなしさと縁を切る方法があるのです。結論的には、馬鹿なことをたくさんすること。「馬鹿なこと」というのは(金銭的・経済的に)全く、あるいはほとんどプラスにならないこと、です。
たとえば、会社に30分早く行く。そのときに自分のお金でバラを1本買って飾る。人の机でなく、自分の机でいいのです。自分のために自分のお金で机に花を飾るわけ。あるいは、廊下に落ちている紙くずを、歩くついでに拾い、近くのくずかごまで持っていって捨てる。トイレ掃除も有効です。

こういう提案をすると、必ずこういう言葉が帰ってきます。「花は会社の費用で買うことになっており、私が買っていかなくてもちゃんと飾られてます」。「廊下やトイレの掃除は掃除のおばさんがやることになっています」。そんな答えをしているうちは自分で自分を好きになることはまずないでしょう。「一銭にもならないことをどれだけできるか、するか」が、自分で自分を好きになるポイント。

馬鹿なこと、一銭にもならないこと、誰からも評価されないことを一生懸命やってみてください。そいう馬鹿なことをしている自分が、いつの間にかとてもかわいらしく、いとおしく、思えてきます。「自分で自分を好き」になってきます。「馬鹿な奴だ」と思いながら、でも自分の心に温かいものを感じるはず。

「自分で自分を嫌い」なら、それは「仕事」の問題ではなく、あなたの生き方の問題です。「嫌い」な自分をどこに連れていっても、どこに勤めさせても、どんな職業を選んでも、「むなしい」だけです。仕事の内容や待遇の問題ではありません。

一銭にもならないことや馬鹿なことをたくさんするのはいいのですが、「自己満足」の心も50%は必要です。自分の生活を犠牲にしてまで「人のために尽くす」のは勧められません。
「人のためにする」「人に喜んでもらう」50%、「それで自分も楽しく嬉しい」50%というのが、最も健康で、長続きするような気がします。
70対30だと辛くて自己嫌悪ですし、30対70だと自分中心のエゴイストに思えて、またまた自己嫌悪です。

もちろん、自分の心のありようが変わると、人が「どうしてあんなに人のために自分を犠牲にするんだろう」と思っても、自分は満足で楽しく、幸せに思いつつ生きることができます。
「人のために」しているのではなく、「自分が楽しいから」「幸せだから」「嬉しいから」したい、と思えるようになるのです。

自分のことを好きになれない人は、自分に劣等感があったり、自信がなかったり、いつもクヨクヨしたり、心配したり、という自己肯定感のない人が多い。

一銭にもならないことや、馬鹿なことをたくさんやると、自己肯定感が湧いてくる。自己肯定感がある人は、失敗してもすぐに立ち直れるし、他人のミスや失敗にも寛容になれる。そして、心に余裕ができる。大事なことは、一銭にもならないことを長く続けること。長く続ければ続けるほと、自己肯定感は増してくる。それは…
「 毎月、神社やお寺にお参りに行く」「社内や近所の掃除を毎日黙々とやる」「PTAや近所や公的な役職などを、頼まれたら快く引き受けるが、出処進退を誤らない」「講演会やイベントなど、人数が足りなくて困っているから来て等、頼まれたときには、支障のない限りできるだけ出席する」「人のためになるようなブログを書き続ける」等々。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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《素直な心になるために》

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松下幸之助

幕末のころ、土佐の檜垣清治(ひがきせいじ)という人が、そのころ土佐で流行していた大刀を新調し、江戸から帰ってきた坂本龍馬に見せたところ、
龍馬は、「貴様はまだそんなものを差しているのか。俺のを見ろ」と言って、やさしいつくりの刀を見せました。そして、「大砲や鉄砲の世の中に、そんな大刀は無用の長物だよ」と言いました。

清治は「なるほど」と気が付きました。そこで、龍馬のと同様の刀をこしらえて、その次に帰ってきたとき見せました。
すると龍馬は、「このあいだは、あの刀でたくさんだと言ったが、もう刀などは要らんよ」と言いながら、ピストルを取り出して見せたというのです。

またその次に帰ったときには、「今の時勢では、人間は武術だけではいけない。学問をしなければならない。古今の歴史を読みたまえ」と勧めたということです。
さらにそのつぎに会ったときには、「面白いものがあるぞ。万国公法といって、文明国共通の法律だ。俺は今それを研究しているのだ」と語ったそうです。

清治は、「そのように龍馬にはいつも先を越されて残念だった」と人に語ったそうです。坂本龍馬という人はいつも先々を見ていたから、そういう姿も出てきたのではないかと思われます。
そしてそういう、現状にとらわれない、たえず先を見るというような姿は、やはり素直な心が働いているところから生まれてくるものではないでしょうか。

「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」『三国志演義』
真の男子たるもの、死に物狂いで勉学や修練すれば、 三日も会わなければ、 見違えるように成長しているものだ。さあ、目をこらしてよく見るがよい、と。反対に、三日どころか、一ヶ月たっても、一年たってもまったく進歩のない者もいる。現状を変えようとしない人だ。
世の中が凄まじいまでに変化しているのに、自らを変えようとしない人は必ず時代から取り残される。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『対等で謙虚な姿勢』

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山崎武也

小さな子供に話しかけるとき、立ったまま見下ろすような姿勢でしたのでは、きちんとしたコミュニケーションは成立しない。一方的に上から下へという威圧感が、子供を無意識のうちに押さえつけているからである。
コミュニケーションは対等の足場に立ってのみ可能である、という原則が忘れられている。まず、物理的に対等な状態をつくり出さなくてはならない。

すなわち、子供に対しては膝を折って姿勢を低くして、目線の高さを同じにするのである。そうすると、子供に対する気持ちの持ち方も、自然に謙虚なものになる。物理的に対等なかたちをつくれば、精神的にも対等な心理状態になれるのである。子供に対しても、友人に対するがごとくに話すことができるようになる。そのような状況に対しては、子供は敏感に反応する。威圧的な大人ではなく、自分よりは経験深い人生の先輩が、自分のことも考えてくれながら自分に話しかけてくれていると感じる。

好意を持って、大人のいうことを聞こうとする姿勢になるのである。子供に限らず大人に対する場合でも、例えば車椅子の人と話をするときは、やはり、しゃがんでからにする必要がある。
講義や講演をするときは、講師は一段と高くなった壇上から話すことが多い。もちろん昔から顔が見えるようにという配慮もある。しかし、押しつける話ではなく、人の心に訴えかける話をする場合は、講師の目線が学生や聴衆のとできるだけ同じ高さになるように配慮する。そのほうが、話の内容が聞く人の頭の中にスムーズに入っていく。それだけ理解の度合いが高まる。

人に対する場合は常に謙虚にという心掛けが重要なことは、誰でも知っている。高ぶることを戒め、身を低くする心構えである。
しかし、物理的に身を低くすることは、意外に忘れがちな点である。平身低頭はいきすぎであるが、身も頭も相手と同じ高さに保って話をする
「並身低頭」を肝に銘じる。そこから優しい人柄が滲み出てくる。

「上から目線」という言葉がある。相手の発言や態度が上から見下ろして、モノを言っているように聞こえるときに言う言葉だ。
「偉そうに見える」、「威張っているように見える」、ということ。上から目線でモノを言われると、たいていの人はカチンとくる。偉そうな態度を改める一つの方法が、身を低くするということ。

言志四録の中に、「志は高く、身は低く」という言葉がある。身は低くとは、腰を低くすることであり、謙虚な姿勢のこと。また、レストランなどでも、膝を折ってしゃがんで注文を聞くスタイルをとっているところがある。膝を折って注文を取るスタイルにすると、苦情が圧倒的に減る、という話を聞いたことがある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『言葉は魔法』

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斎藤一人

《困ったことが起きたら「面白いことが起きた!」と言ってみな。奇跡が起きるから。》

人間を「成功に導く階段」があります。それは「困ったこと」なんです。「困ったこと」が起きたときは、「困ったなぁ」って言わないこと。
なぜなら、階段を一歩降りてしまうことになるから。だから、困ったことが起きたら、「面白いことが起きたぞ!」と言ってごらん。階段をひょいと飛び上がることができるから。

「面白いことが起きたぞ!」と言えた時点で、世間にも神様にも「こんなことで困っていないよ!」という宣言になるんです。このひと言で「あなたの勝ち」が決定するんですよ。

《「おいしい」って、言って食べると「おいしい料理」。黙って食べると「ただの料理」。》『まずいときは、「まずい」って文句を言うくせに、おいしいときに、「おいしい」って、言わない人がいるんだよね。
おいしいときは、「おいしい」って言おうよ。いっしょに食べてる人も、作った人も嬉しくなるんだよ。それだけで人生、ずいぶん違うよ』

「言葉は魔法」といわれる。自分の言った通りになるからだ。困ったことでも、嫌なことでも、つまらないことでも、それを「面白い!」と言えば、自分の脳はそこから面白いことを探し始める。
「おいしい!」も同じ。そして、「面白い」も「おいしい」もまわりが明るくなり、喜ぶ言葉だ。まわりが明るくなって喜び、自分も明るくなって喜ぶ言葉を、どんな時も言うようにする。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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