『吉田松陰 武教全書講録』

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川口雅昭

まず武士としてふみ行うべき道というものは、礼儀をわきまえず道理を外れるとか、乱暴で本心を失い道にそむくという、偏った武であってはいけない。
また、文章などを覚えるだけとか、外面は華やかだが実質のない精神の弱々しい文学であってもいけない。
本物の武、文学を学び、身を修め、心を正しくし、国家を治め天下を平和にすること、これが士道である

身体は父母からいただいたものであり、それを傷つけないのが孝行の出発点である。一人前の人物となり、なすべき道を勤め行って、後世にまでその名を残すことにより、父母の名を世に顕すのが孝行の終着点である
朱子「学問をすることで友と会合するならば、道は益々明らかになる」
誠実であって自らを偽らず、常に武士としての正義を考えて己を励ますこと、
これが他者との交際をいつまでも続けていく方法である
そもそも武士の一日というものは、多くの同僚と会い客に応対する以外には、
武芸の稽古、軍隊・武士のあるべき姿についての論考、武器の点検の三つのことに過ぎない。
武士が本当にこの三つのことを日々のなすべき職務とするならば、立派な武士になろうと願わなくても、必ず心ある立派な武士になれる
そもそも武士の言語が正しくない時には、その行動も必ず礼に外れるものである。弱々しい言葉、賤しい言葉などを口にすることは、最も慎むべきである

「敬・備・覚悟」というものは、ただ一人の武士の身を守る為だけのものではない。昔の立派な君主や賢明な武将はこれによってその身を守り、また、その近臣や大臣を教え諭し、更にはその国民をも戒めた
もしも財宝を惜しみ、器物を翫ぶのであれば、武義は自ずと欠けることとなり、大事に臨んで自分の家を忘れてほとんど道に従うことはできない
日々の飲み食いから男女の寝室の行為に至るまで、一瞬たりとも武士の家業を
忘れないことである(自分のためだけに)とにかくお金を貯めて増やすことばかりに努め、士卒を育て養わなければ、いくら高禄の武士といっても、戦場に臨む際には、わずかな士卒さえ付き従う者はおらず、いわゆる裸の王様となる
武士の本分と国家の御恩を知らないという者はいないが、心を尽くしてその本分に励む者と、その御恩に報いる者は、昔から現在に至るまでめったにいないのである
百姓・職人・商人は天下の三つの宝である。武士は農工商のような技能もないのに、これら農工商の長であるのは、他でもない、武士はよく身を修め心を正しくして、国家を治め天下を平和にするからである

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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