『小に徹して勝つ』

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田中真澄

イギリスの作家チャールス・キングスレー
「毎朝、床から起きたら、たとえ好きであろうと嫌いであろうと、何か一つやるべき仕事があることを神に感謝しよう」
この言葉は日々仕事に追われているサラリーマンにはピンとこない。

ところが、全く仕事がない状態が続き、経済的な不安を感じながら過ごしていると、自分の仕事を持ちたいという気持ちが湧いてきます。とくに日本人は仕事をすることを生き甲斐としてきた民族ですから、何もやるべき仕事がなくなると、自分が世の中から取り残され、必要とされていない人間になったと感じてしまう。

企業には「経営目的」(経営理念)があるように、個人にも「生きる目的」があります。その「生きる目的」とは、「生涯、自分の心を磨き続け、死ぬまで世のため人のために尽くす(働く)こと」、「生涯学習、生涯現役(終身現役)」ということです。
企業が経営目的からはずれたことをやれば世の批判を浴びるように、人間も生きる目的から逸脱した行動をとれば、同じく世の中から批判を浴びて当然のはず。

つまり、生きる目的からすると、定年を迎えたら仕事から解放されていいという考え方は、今日では間違っている。それは人生が50年か60年で終わっていた昔には許されたが、今は人生が昔よりもおよそ2倍になったのだから、働く年数も2倍でなければならない。
そうでなければ世の中の仕組みがうまく作動しない。この事実を、日本ではほとんど誰も指摘しない。むしろ老人福祉の思想の下に、高齢者の自律・自助を促すことよりも、高齢者保護に関心を寄せ、政府もその方向に政策を展開するばかりだ。国民の88%がサラリーマンとして働いている日本社会では、人々は仕事よりも趣味や個人生活に関心が強くなっているからだ。その普段の仕事への関心の弱さが、老後の仕事に対する準備の無いことにつながっている。

だから自分が無職になって心細さを痛感するようになって、やっと仕事を持つことの重要性に気付く。これから年々、老後ミゼラブル・老後貧困・老後破産・老後危機・下流転落といった高齢者層の困窮状況が増えていく。多くのサラリーマンは自分を中流と考えているが、このまま老後対策をしないで手をこまねいていれば、定年後には下流階級に転落する高齢者が増加する。

高齢者の3大ミゼラブルは「孤独死」「認知症」「犯罪」だ。サラリーマンが勤め先を離れて組織の一員でなくなることによって心理的には孤独感を感じ、それがこうじると「孤独死」に追い込まれる。また職場の仲間との交流がなくなり、コミュニケーションの場や機会が激減していくと認知症になりやすくなる。さらに経済的に困窮することで、やむを得ず窃盗や詐欺などの「犯罪」を犯すようになる。
こうした老後のマイナス現象に巻き込まれないためには、とにかく定年後も何かの仕事を持つこと。何の専門的な技能も知識もなければ、まずはお手伝い的な仕事を専門にすればいい。

〇「1.引、2.運、3.力」
人生の成功要因の第一は他人様からいただく「引き」。すなわち「〇〇さんに頼みなさい」「あの人は信用できるから相談してみたら」といった紹介をいただくこと。この紹介のご縁ができない人は、どんなに知識や技術が優れていても仕事の注文が少ないことから事業は長続きしない。
我々がこの世に生まれてきた目的は、生まれたときよりも、少しでもましな人間になって、この世を去ること。つまり、生涯、勉強し、魂を磨き続け、人に喜んでもらい、人の役に立つ人間になること。
反対に、この世にいるうちに、悪いことばかりをして、人に嫌われ、世に害をなす人間になったら、生まれてきた意味はない。
日頃から頼まれごとを気持ちよく引き受けてきた人は、定年後もまわりから「引き」がある。しかし、頼まれたとき「嫌な顔」をしたり、「自分が損することはやらない」という姿勢の人には、やがて頼まれごとはやってこなくなる。
するとまわりからの「引き」もなくなる。つまり、運がなくなる。
定年後に、孤独等の「老後ミゼラブル」に陥るかどうかは、若いうちからの生き方や姿勢によって決まる。定年になって、急にその生き方を改めようとしても、それは時すでに遅い。若いうちから、勉強し続けたか、魂を磨き続けたか、人に喜んでもらい、人の役に立つ生き方をしてきたか。『朝起きたらやるべき仕事があること』それは「生涯学習、生涯現役(終身現役)」を実現するためには必要なことだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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