イライラしない

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小林正観

ストレスで毎日イライラするという人がいます。電車の中でも「押した」「押された」ということで朝からけんかをする人たちもいます。私もよく「ストレスを減らしたい」という質問を受けます。そういうときは、次のような話をします。今、私の横をある人が通り過ぎて行くとします。この人が通り過ぎて行くときに何か私に言ったとします。そのとき私がこの人の言ったことに何も感じなかったら、この人は単に通り過ぎるだけの人です。さらに次の人が来て、この人が私に何か言ったとします。そのとき私がイライラしたとすると、私がイライラした瞬間に、私をイライラさせる人が地球上に生まれたのです。

「ちょっと待ってください、それではイライラさせる人というのはいないのですか。自分が勝手にイライラしたからイライラさせる人が生まれるのですか?」…答えはそのとおりです。自分がイライラしなければ、自分をイライラさせる人はどこにもいない。これが宇宙の原理です。
さらにもう1回説明します。目の前にすごく嫌な人が(嫌な人というのは本当はいないのですが)来たと私が思ったとする。私が嫌な人と思った瞬間に、この人は嫌な人になります。私が嫌な人だと思わなかったら、この人は何も関係ない人として通り過ぎて行きます。

ある人が私の目の前を通り過ぎて行くときに、面白い人と私が思ったとする。私が面白い人と思わなかったら、この人は私にとって関係のない人で、単に通り過ぎるだけの人です。「それではイライラさせる人も、嫌な人も、面白い人も、結局、宇宙には存在しないのですか。全部自分が決めた瞬間に生まれたのですか?」…まったくそのとおりです。全部自分が産み落としているのです。

出来事についても同じです。ある現象が私の前を通り過ぎて行くとき、私が何の感情も抱かなかったらこれは単に通り過ぎるだけのことです。ある現象が私の目の前に来たとき、この現象が私にとって不幸だと思ったとします。私が不幸だと思った瞬間にこの現象は不幸になりました。私が不幸だと思わなかったら、これは何の関係もなくただ通り過ぎるだけのことです。
次に来たときに、この事について私が幸せだと思ったとする。思った瞬間にこれは幸せな事となったのです。そして私が思わなかったら、これは単に通り過ぎるだけの関係ない現実です。

「正観さん、では幸せも不幸も全然宇宙にはないのですか。自分が勝手に決めるのですか」…その通りです。通り過ぎる現象は自分に関係がないと思ったら関係がなく、それを心地いい、幸せだと思ったら幸せなことになります。しかし、それを不幸だ、不幸せだ、辛い、悲しい、悲劇だと思ったら、この人がそう決めた途端に悲劇になるのです。
ですから自分が思わなかったら、自分の前に幸福な現象も不幸な現象も実は存在しません。あまりにも簡単すぎて、みなさんがっかりしていませんか?自

分の意に沿わないできごとには、それが飲食店であろうが、コンビニであろうが、怒鳴りつけたり大声で文句を言ったりする人はいる。反対に、少しぐらいのミスや間違いは何の問題にもせず、「ありがとう」と、ニコニコと明るく機嫌よく帰って行く人もいる。同じできごとでも、ある人は「自分をイライラさせた」と思い、別の人はそれが「何にも気にならない」。転んで骨折しても、この程度ですんでよかった「ありがたい」と思う人もいれば、なんてツイてないんだ「不幸」だと思う人もいる。

事実は一つだが、とらえ方は人によって180度違う。嫌なことが気にならない人は、満ち足りて余裕があって、機嫌のいいポジティブな人。そして、他人は他人、と思っている。嫌なことにすぐに反応したりイライラする人は、日頃、人から認められていなくて、いつもいっぱいいっぱいで、すぐに不機嫌になったり、ネガティブな考え方をする人。だから、他人やまわりのことが気になって仕方がない。

「イライラさせる人は、実はいない」

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『得する人』

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 無能唱元

世の中には健康を願い、成功を願い、富を欲しながら、もうガリガリするほどそういうものを欲しながら得られない、ということは運が悪いわけでもなく、神様がそうさせてるわけでもない。

実は、自分自身がアラヤ識の入口で失敗している、ということを知らなくちゃいけないんです。

「因果は同類にしたがう」、この法則をよく知る必要があるんです。
このことを知らずにいて、アラヤのなかに毎日、毎日、何かをインプットしつづけているのが我々の人生なんです。


日常、私ぐらい不幸な人間はいない、生まれつき自分は恵まれなかった、親が悪いとか先祖が悪いとか、私はまっ正直なもので、人にしょうっちゅう利用されるばかりで、いつまでたっても芽が出ないんだというような、マイナスのことばかり考えている人がいる。

そういう人がお金持ちになりたい、健康になりたいと願っても、アラヤのほうではそういうふうには働いてはいかないんです。


この世の中は、プラスとマイナスの二種類の性質しかないんです。
健康があって病気がある。
金持ちがいて貧乏人がいる。

成功があって失敗があり、夜と昼、高いと低い、おいしいとまずい、我々にとって利益のあること、ないことも含めて全部二種類の性質です。

頭で考えたことが、それと同類の感情が結び合わない限り、「念」にならない。
アラヤにインプットされないんです。
これは重大な秘密です。

つまり、この世の中に金持ちになりたいと思う人は大勢いるし、成功したいと思う人は大勢いる。
それなのになぜ得られないかという最大の原因は、日常の感情がマイナスになっていることが多いからです。

私の話をきいてるはなから、「念ずるだけで実現するなんて、世の中そんなに甘くないよ」なんてね。
否定的に思っている人がいるでしょう。
これはマイナスの考えです。

私はこの仕事をはじめてから、いろいろなスーパー成功者にお会いしたが、彼らに共通することの
第一は、過去のグチ話をけっして話さないこと。

第二は、未来の希望についてのみ話すこと、そして自分はつねに運がよかったし、これからもよいに違いないと思っていることです。

知って知らずか、プラスの感情でプラスのこときり考えていないから、成功しちゃう。
まさに「因果は同類にしたがう」なんです。

我々は、いいことを願い、そして、それを暗い感情で打ち消さないかぎり、必ず成功、陽気のほうに向いて歩いていくことになるんです。


無能唱元氏は、願いを叶えるビジュアリゼーション(映像化)について本書の中でこう述べている。

『ビジュアリゼーションには大切な次の二つの条件がある。

1. くり返し考えること
2. できるだけ細部まで、絵のように心に思い描くこと

たとえば、家が欲しいと思っている人はいるけれでも、どのような家が欲しいか細かく設計図を書き、見取り図を書く、そういう人はあまりいないんです。
このやり方が一番効き目があります。

絶えず図を書いて、絶えず人に夢を語る。
そして、夢が叶った風景を、うっとりと頭に描く。
この「うっとり」が大事です。

イライラとしていては、いくら考えても夢は叶わない。

このとき忘れてはならないことは、日常の感情をつねにプラスにしておくということです。

「無能先生、私は先生の言われるとおりに一生懸命ビジョンを思い浮かべて、三年やっているけど、ちっとも叶ってこない。どうしてくれますか」なんて言う人がいる。

「どうしたらいいでしょうか」これに対して私は「それはね、私のところに、そいう文句を言ってくるのをやめれば良くなるよ」と言ったんです。
これは冗談みたいだけど、本当のことなんです。

人にクレームをつけるなんて、そういう心掛けでは、頭に思っていることと、感ずることは、プラスとマイナスの相殺作用になってしまう。

日常の感情のあり方が大事なんだと』


後ろを向きながら前に進むことはできない。
文句をいいながら笑うこともできない。

マイナスの感情を持ちながらでは、プラスの発言や発想をすることはできないのだ。

ビジュアリゼーションは「うっとり」が大事。

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『下方比較の法則』

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内藤誼人

いろいろな心配を抱えすぎると、ツキが逃げてしまう。しかし、心配症な人に向かって、「心配しすぎないほうがいいよ」とアドバイスしても、実は、それほど効果はない。それと同じく、後悔しがちな人に向かって、「さっさと忘れるんだよ」とアドバイスしても、なかなか実行することはできない。
なぜなら、当人自身も心配症や後悔しがちな性格を直そうと努めてはいるから。心配しすぎないように、後悔しないようにとはするものの、なかなかできないからこそ、彼らは悩んでいる。

そこで、日常の些細な出来事で思い煩ないようにするための、ひとつの心理技術を教えます。それは、「もっと悲惨な人」に目を向ける、という方法です。
世のなかには、探せば、あなたよりもずっと悲惨な人がいるはずです。そういう人に目を向けると、自分の方がはるかにマシだということに気づき、胸をなでおろせることが分かっている。
「俺はプロジェクトで失敗したけど、クビにならないだけマシだ」
「俺は営業成績が全然よくないけど、降格された〇〇さんに比べたら、ずっとマシだ」
「ベンチャーの経営に失敗して自殺した人に比べたら、生命があるだけマシだ」「子どもが素直に育ってくれているだけ、家族崩壊している人よりマシだ」

このように、自分よりももっと悪い状況に陥っている人に目を向けると、つまらないことで悩んでいる自分が小さい存在であることに気づく。このテクニックは、心理学でいう、“下方比較の法則”に基づいています。
自分よりもツイていたり、成功している人と自分を比較すると、自分のことがイヤになってしまうのですが、逆の人と比較すると、なんとなく晴れやかな気分になれる。

アメリカの心理学者トーマス・ウィルズは、「自分よりもっと悲惨な人と比べるのは、自信を取り戻す上でも有効な方法だ」とさえ述べている。
落ち込んでしまったり、後悔ばかりしているときは、自分よりも、もっと悲惨な状況にある人のことを考えてください。そうすると、より客観的に自分の立場を判断できるようになり、結果として、後悔しないでするようになる。
くれぐれも、成功者やお金持ちと自分を比較しすぎないようにしましょう。比較すると、自分がつまらない存在に思えて、ガッカリするのがオチです。比較するなら、自分より惨めな状況にある人にして下さい。それが、心理学的にも、気持ちを落ち着かせるいい方法なのです。

究極の比較は、生きるか死ぬか。どんな心配ごとや嫌なことでも、死ぬこととくらべたら大したことはない。生きてさえいれば、何とかなる可能性は必ずあるのだから。
だからこそ、「生きているだけでありがたい」。身近な人が亡くなったときや、自分が大病や大きな事故をしたとき、多くの人は「生きているだけでありがたい」と感じる。しかしながら、往々にして、普段はそのありがたさを忘れてしまっている。

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企業の不正を滑りやすい坂道論で捉える

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ダン・アリエリー

不正は、滑りやすい坂道論で説明できる。一度悪い行動をすると、人はそれを正当化する。その為に次のステップに進む時にハードルが低くなる。私たちは不正からでも自己満足と利益を得たい。それを少しずつでも実現する道を見つけて、次々とエスカレートする。最初の不正は、ほんの些細なことでも、どんどん坂道を滑り落ちてしまう。なんて酷いことをしたんだと思うが、ストレスなどの条件が揃えば、誰でも、このステップを踏む可能性がある。

私たちは、他の人が何をしているのかを見て、何が普通なのかを機判断する。悪い文化を持つ企業なら、働いている人は周囲を見て、どこまでズルが許されるのかと不正を正当化し、一緒に滑りやすい坂道を作るようになる。滑りやすい坂では下に向かって滑っていくが、上に向かうことはできない。不正を容認するような社内文化を放置したまま、少しだけ改善しても、根本的には何も変わらない。

車内の文化を変えるためには、徐々にではなく劇的な変化が必要だ。悪習を把握したうえで、企業の体質をリセットし、正直に働く文化を持つようにしなくてはならない。正直さが鍵だが、これは努力を要する。
米グーグル社では会議中の発言などが倫理的がどうか確信を持てない時に、これはグーグリー(グーグルらしい)かと、常に問う文化が根付いている。このように常に倫理的に考える習慣を植え付けなければ、不正をする文化は無くならない。

人々が不正な行為に誘惑される前に、節目ごとに正直に行動するよう誓約させる。西洋の裁判では、証言する前に聖書に誓わせる。これは証言者を事後ではなく、事前に正直な状態に導くための行為だ。正直でないといけないと意識させることで、重要な判断局面に来た時に不正する意識を抑制することは可能だ。

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『言霊を信じる』

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浜松医大名誉教授、高田明和

「すべては良くなる」。この言葉は「困ったことは起こらない」より積極的な響きをもっています。では、「因果の法則」と言霊はどのように関係しているのでしょうか。

こんな疑問が浮かびます。もし、悪いことをしていたなら、いくら良い言葉を使ってもどうしようもないのではないでしょうか?言葉などは意味がないのではないでしょうか。私も長い間この疑問に答えられませんでした。しかし、現実に「困ったことは起こらない」とか「すべては良くなる」などと口ぐせのようにつぶやくと、ほんとうに問題が解決してしまうのです。

最近、この謎が解けたのです。つまり、悪行をもっている人にこのような言葉を教えても、そもそも信じないのです。「バカらしい」と実行しないのです。このような言葉を信じ、実行する人はもともと善業をもっている人たち、あるいはその資格がある人たちなのです。心に受け皿のある人なのです。ですから、言霊は善業をもっている人にこそ、もっとも有効に働き、幸せをもたらすのです。
だいたい自分の人生を真摯に受け止め、「困ったことは起こらない」を信じて口ぐせのようにつぶやいている人が悪いことをするでしょうか。もちろん、人間ですから間違ったことをいろいろしてしまうのは仕方がないのです。しかし、そもそも人を殺したり、詐欺をしたり、いじめたりして他人の心を平気で傷つける人は、言霊を信じていないものです。信じない人に言霊の効用をいくら説いても、信じないのです。そのような人の行いを見ると、皮肉屋で人の心を傷つけて平気な人、悪いことをしてもそれに気づこうともしない人がほとんど、いや全部です。

言霊を信じ、良い言葉を使い、それを自分に言い聞かせている人なら、その人が徳を積んでいることがわかるのです。そのような人が「すべては良くなる」と自分に言い聞かせていれば、すべてが良くなるのは当然ではないでしょうか。

あなたは言霊を信じるでしょうか。信じているということ自体が、あなたがこれまで徳を積んでいるということになるのです。無宗教といわれる人も言葉を信じているかぎり、大丈夫です。正しいことをする人たちは宗教を信じようが信じまいが、言葉の力は信じ、それを用いているのです。いい言葉、いい考えを自然におこなう人は言霊を信じることで得られる力を、じつは、知らない間に得ているといえます。

■松下幸之助翁。「素直な心というものは、誰に対しても何事に対しても耳を傾ける心である」
どんなに、いい言葉やいい話を聞いても、素直にそれを聞かず、またそれを実行しなかったら、人としての成長や進歩はない。

■万葉集日本は、「言霊の幸(さきわ)ふ国」
言葉の力によって、幸福がもたらされる国。言葉の力を信じなければ、残念ながら、幸福はもたらされない。

■ キリストの「アブラカダブラ」もそうですね。
初めに言葉ありき。私は私の言葉通りに、この世を変えてみせる。

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「幸せな結婚の仕方」

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ジェームス・スキナー

「結婚すると幸せになれる」と多くの人が思っている。結婚がゴールになっていると思っている。しかし、結婚してみるとなかなかパートナーが自分を幸せにしてくれない。不幸な結婚をしたと感じている人のほとんどは、「何で幸せにしてくれないんだ?こんな筈じゃなかった。幸せになれるって思ったから、この人を選んだのに」と言っている。これは、相手にすごく依存した状態ですね。

本当にうまくいく結婚は違う。まず、自分一人でも幸せになってしまうこと。「結婚なんかしなくても、自分一人で幸せ!」それができたら、次に同じように、一人でも幸せに生きている異性を探す。そして、その人と結ばれると「幸せな結婚生活」がやって来る。これが「幸せな結婚の仕方」だ。

幸せは他者から与えられるものではなく、自分で完結すべきものなのだ。一人でも幸せを完結できている者同士が、一緒に二人の幸せを完結する。いずれにせよ、幸せな結婚の極意は「結婚なんかしなくても、自分一人で幸せ!」を体感すること。
自分以外の何かに頼って幸せになろうというのではなく、自分の力で幸せになれる人であること。今、自分の手元にあるさまざまなものに感謝し、それを楽しみ、愛おしみ、満たされた心を持つ。
「幸せ」っていうスポーツのソロ競技を嗜んだ二人が、次はデュエットでその競技を究めていく。結婚はゴールではなく始まりなのだ。

■小林正観
今すぐに、一瞬で幸せになる方法がある。それは、「今、幸せだ」と感じること。「幸せという状態」があるのではなく「幸せを感じる自分」がいるだけなんだ。何気ない日常でそれを感じるかどうか。健康で食事ができて「幸せ」。夜眠れる家があって「幸せ」。
幸せは、与えてもらうものではなく、自分で感じるもの。他者に依存している自律していない人は、自ら幸せを感じる力が弱い。だから、不平不満が多い。
結婚だけでなく、人間関係も、自律している者どうしの方が長く続く。

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