シェルパと道の人類学 

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古川不可知

ヒマラヤなどの山道は危ない。踏み跡の小道はたやすく崩れ、風雪にかき消される。登山客を案内するシェルパたちは、消えた道筋を見出し、歩きながら道を作り出す。そんなシェルパたちの営みと、彼らの身体と山の接触から生まれる道のダイナミズムがある。

流動的な山の天候や地形の変化に合わせて、シェルパはその都度、道を探さねばならない。彼らは周囲に注意を向け、その中に身を浸しながらも、環境に飲み込まれないよう、道を歩む自分を覚醒させておく。過酷な山岳地帯で道を見失うことは、死を意味する。そんな彼らの姿勢の中には変転する自然への恐れと、その中で生命を維持するための実践的な知がある。
それは堅固なインフラを整備することで人間にとっての平常を保とうとする一般人の態度とは違う。より柔軟な自然との関わり方だ。

いくら最新装備を身に着けても、いざ山に入れば環境と自己の身体が織りなす関係性の中で一歩一歩、即興的に道を見出していくしかない。そこにはシェルパとしての自負やアイデンティティに先んじて、生命を維持するために環境に飲まれまいとする本能的な自分の立ち上がりがある。
自然に打ち勝とうとするのではなくて、自己を超える自然を恐れ、その変転に注意を払うこと。それは山に入る人がおのずと身に着ける姿勢だ。この私がいとも簡単に自然に飲まれる存在であると知っているからこそ、本能的に立ち上がって来る私の働きに身を委ねる。そのために、人は山に行くのだろう。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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