噺は生きている

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広瀬和生

多くの人は、古典芸能は同じ事を繰り返すものだと思っている。
形の決まった正しいモノが、変わらず伝えられる事にこそ値打ちがあって、
そうして今に残った貴重なものが古典と呼ばれる。

この考え方は、半分正しく、半分間違っている。芸は、古典籍や美術品の様に、一度そこに置けばそのままジッとしていてくれるものではない。時代により、演じ手により、アメーバのように常に微妙に形を変化させ続ける。その振れ幅をひっくるめて古典芸能と言う。
まさに芸は生きている。落語の演目とは、あくまでも器に過ぎない。その器に、それぞれの演者が魂を吹き込むことで、初めて生きた噺になる。この辺は、料理に似ている。

全く同じ材料とレシピでも、出来上がりの味は、料理人の腕によって驚くほど変わってくる。落語のネタが、噺家の料理の塩梅によってどんな味になるか。
あらすじこそ共通だが、そこに描かれる人間像は、演者の個性と工夫によって大きく変わる。つまり百人百様。古典と言えども演者の数だけ物語がある。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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