『AIに振り回される社長 したたかに使う社長』

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長尾一洋

最新のテクノロジーが戦い方を変えるというのは、何も現代に限ったことではありません。発想を柔軟にしてもらうために、時代を変えて説明しましょう。

戦国時代には鉄砲という新しいテクノロジーが登場し、戦い方を変革させました。その象徴的な場面が、甲斐の武田軍と織田・徳川連合軍が戦った長篠の合戦です。有名な合戦なのでご存じの方も多いでしょう。
武田勝頼率いる武田軍は、数では劣るものの騎馬隊が強くて強敵です。そこで、織田信長は、騎馬隊の動きを封じるために馬防柵を設け、その後ろに3000もの鉄砲隊を用意して待ち受けました。武田軍には、信玄亡き後とはいえ、騎馬武者、すなわち、馬上で槍や刀を使いこなす技術を持ったプロの武士がたくさんいたと言われています。それに対して織田も徳川も兵の数は多いものの新興勢力だけにかき集めてきた農民兵(足軽)が多く、武士としての個のスキルでは劣っていたはずです。そこで、織田・徳川軍は、鉄砲という最新のテクノロジーを大量導入し、馬防柵の後ろで一斉射撃するという戦法をとったわけです。

一説には、鉄砲隊が3列になって順番に撃つ三段撃ちで、装填に時間がかかり連射のできない火縄銃の弱点を消したとも言われています。
ここで大切なことは、最新テクノロジーである鉄砲の存在を武田方も知っていたし、鉄砲も持っていたということです。武田軍も織田・徳川軍もともに最新テクノロジーを導入していたのです。しかし、そのテクノロジーの使い方、活用法が違ったのです。この戦いを見た人は、「さすが信長殿は、いいこと思い付くなぁ。柵の後ろで鉄砲をうつのはいいアイデアだぁ」と思ったでしょうか?
戦国時代に「武士業界」があったとすると、長篠での織田信長の戦い方は、業界内で、武士として卑怯なやり方であり、武士なら武士らしく刀か槍で堂々と戦うべきだと非難されたのではないでしょうか。武士の戦いは刀か槍でするもので、鉄砲はあくまでも補助的に使うべきであり、柵の後ろで隠れていないで、正々堂々と戦うのが武士のあるべき姿との考えです。

しかし、それを現代から見てみると、敵の強みである騎馬隊の、まさにその強みを消すために馬防柵を作り、プロ武士の少ない自軍の弱みを鉄砲という最新テクノロジーで補おうとした織田信長の判断は合理的に思えますし、こうした戦い方のイノベーションを実現した改革者として織田信長の「したたかさ」を認めないわけにはいかない。

これがテクノロジー(の導入や活用)がビジネスモデル(や戦略)を変えるということです。
AIだから特別なわけではありません。ここで面白いのは、ほかの戦国武将も最新テクノロジーである鉄砲を知っていたし、所有もしていたということです。鉄砲を知っていたのが織田だけで、ほかの武将は知らなかったのであれば、織田信長が天下を取る寸前までいったのは鉄砲のおかげだと単純に考えられます。しかし、そうではありません。武士業界の常識やしがらみにとらわれてしまって、新しい武器を取り入れる意識変革ができなかったことで、武田家は滅亡したのです。

この鉄砲を現代のAIに置き換えて考えてみればよくわかるはずです。これだけマスコミでも騒がれていのだから、AIの存在を知らない経営者はいないでしょう。少なくともスマホやお掃除ロボの存在くらいは知っているはずです。織田信長は鉄砲の可能性に気付き、大量に確保し、その活用に独自の工夫を加えました。
AIも、その存在を知り、どんなものかを研究するだけでなく、その活用の可能性を考え、それを自社ビジネスにどのように応用できるかを考えるところで差が付くのです。当時の鉄砲にも問題があったでしょう。弾を込めるには時間がかかるし、何しろ製造技術も未熟だったはずです。火薬の確保にも苦労があったでしょうし、鉄砲隊が鉄砲を撃つ技術も不十分だったはずです。そのマイナス面ばかりに目を向けると、「鉄砲はまだ使えない」「鉄砲は不完全な武器であり、それなら慣れている刀や槍のほうが優れている」などと否定的な判断がもっともらしく聞こえたかもしれません。

これは、今のAIの議論でも同様です。AIと言ってもそのレベルはさまざまであり、人間に勝ったと言っても囲碁や将棋の世界であって、実社会ではどこまで通用するかわかりません。AIを搭載したロボットと会話をしてみたことがありますが、ちょっと突っ込んだ話をすると答えられなくなりました。問題はたくさんあります。だからといって、慣れている従来のやり方のほうがいいと考えるなら、21世紀の織田信長となるのか、武田勝頼となるか、もう明白ですよね。

新しい機械や、IT機器はもっと改良されて完全なものになったら使う、と言っていた人がいた。「後進の先進」と言って、後になればなるほど、最新の情報機器ができるから、安くなったら買う(導入する)と言う人だ。
『草履片々(ぞうりかたがた)、木履片々(ぼくりかたがた)』という言葉がある。慌てて家を出たとき、片足に草履、もう片足は下駄というような状態であったとしても、人は、とにかく走り出さなければならない時があるということ。明智光秀が本能寺にいた織田信長を急襲したとき、秀吉は、全行程200kmをたったの5日で移動するという、伝説の「中国大返し」を実行した。本能寺の変の情報を聞いたとき、黒田官兵衛が秀吉にささやいた言葉だと言われる。

AIもITも自分に合う最高のものができるまで待っていたら、その頃には自分の会社がなくなっているかもしれない。人には、走り出さなければならない時がある。人と企業は、新しいテクノロジーをどんどん取り入れねばならない

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