【糸井重里さん「理念経営」を語る】

Pocket

「遅刻しない人が『遅刻した人』を責めない会社をつくりたい」

【対談・糸井重里×佐宗邦威】
佐宗邦威、株式会社BIOTOPE代表/チーフ・ストラテジック・デザイナー/多摩美術大学 特任准教授
糸井重里、株式会社ほぼ日代表取締役社長

「渡り鳥の群れ」のような会社をつくるにはどうすればいいのだろうか? 強烈なリーダーに「統率」されるのではなく、それぞれが個として「自律」していながら、同時に群れをバラバラに崩壊させないためには、なにが必要なのだろうか──?

■ぼくたちは「ルールを守るため」に群れているわけではない
佐宗 会社が群れとして行動することに関して、糸井さんは「群れが守れる範囲のギリギリのところで一致していることが大事なのでは?」とおっしゃっていましたね。「ギリギリのところ」というのは、具体的にはどんなことを指すのでしょうか?
糸井 たとえば、誰かが特定の人のことを「あの人はダメだ」と言い出したら、みんなからの「ダメ」という意見はすぐに集まります。逆も同じで、「あいつ、すごいね」という意見だってすぐに集まる。そのぐらい、評価というものには振れ幅がある。 だからぼくは、「遅刻をしない人」が「遅刻をする人」を責めていたりするのを見ると、それはちょっとちがうと言いたいんです。もちろん、「あいつ、こちらに攻撃を仕掛けてきます」って人だとOKとは言えないけど、「あいつ、もう、しょうがないね(笑)」って言っていられる人はまあOKなくらいに、とにかくハードルを下げる方がいいと思っているんですよね。
佐宗 なるほど。いろんな人がいることを受け入れる、いわば「コミュニティとしての群れ」という感覚ですね。
糸井 ルールを守ることは、その気になれば誰にでもできる。そして、ルールを守っていない人を発見することは、誰にでもできるんですよ。こういうことをどんどん進めても「ルールを守れる会社」ができ上がるだけです。それでは何も稼ぎ出さないし、楽しくもないんです。僕はそういう会社にはしたくないんですよ。
佐宗 なるほど。コロナ禍のときにみんながリモートでバラバラに働くようになってから、「なぜ会社として群れる必要があるんだっけ?」というのをずっと考えてきたんです。今のお話を聞いていて、糸井さんのお考えを聞きたくなりました。
糸井 「内」と「外」の関係だと思っているんですよね。「これは内輪だけの話。人に言うなよ」っていうのを留めておけるのが「内」。それぞれの人が判断するので境界は曖昧だし、ある程度なりゆきに委ねちゃっていいと思っています。 でも、本当に困った状況が起きたりすると、内と外というのは、はっきり見えてきたりする。たとえば東日本大震災のとき、ぼくは「ほぼ日」の乗組員に対して「すべての判断が正しいと思う」と宣言したんです。東京から出ていくことも、ここに留まることも正しい、と。 リモートワークかオフィス勤務かというのは、群れの内/外とは関係なかったんですよね。幸い、2年間は一切の仕事をしなくても社員みんなが食べていけるだけの備蓄があったので、「3年目から何をしていくかをこの2年で考えよう」と話し合って、そのときに会社として一つになれたと感じたんです。こういう感じに、「内」を感じられるのが、群れなのかなと思います。 東日本大震災の当日には、「内」の広がりを感じられることもありましたよ。帰宅が難しくなった社員に、「ほぼ日」には食べ物や寝具などがたくさんあるから、みんなここに泊まっていいよと話したんです。すると社員が「妹も帰れないんですけれど、泊まっていいですか?」というようなことを言い出したんですね。「内」が広がっていく感覚。ああ、そういうことを言い出せる会社にできたんだなあ、と嬉しくなりました。

■できるかぎりでいいよ」と言えるのが健康的な組織
佐宗 ほぼ日は行動指針として「やさしく、つよく、おもしろく。」を掲げていますよね。自分たちのBeingを定めることで、「群れの内」と「群れの外」を分けているように思ったんです。
糸井 そうですね。最近、「内」と「外」の感覚に関して、ちょっと考え始めたことがあるんですよ。たとえば、フェスをやりますよね。そのフェスに5万人が集まったとき、そこに参加した人は、みんなどこかで「その5万人、俺が集めたんだ」って感じていると思うんですよ。だから、同じ日に2000人規模のフェスがあったことを知ると、「俺は5万人の方にいたんだ。こっちの方がすごいぞ」と言いたくなる。 でも一方で、2000人のフェスの方に参加した人は、「俺はあの2000人の場に居合わせたんだ」って言いたくなる。どこか主催者的な感覚を持つようになって「5万人フェスよりも、こっちの2000人フェスの方でよかった!」という気持ちになるんです。
佐宗 たしかにそういう感覚は分かりますね!
糸井 この感覚って大いに僕らにも関係するところなんです。「ほぼ日」手帳を持っている人同士が会議などで出会うと、「あ、「ほぼ日」手帳!」と喜び合うという話を聞くんですよね。ヴィトンのバッグやエルメスのバーキンだと、そんなことは聞かないでしょう?(笑)
佐宗 そう考えると「内」となるものが、かなり広くなってきますね。糸井さんの言う「群れが守れる範囲のギリギリのところ」の意味が見えてきました。
糸井 そう。僕はあんこが好きなんですが、よく「つぶあん派かこしあん派か」みたいな議論がありますよね。時にはこしあん派が、「つぶあんは、よく噛めばこしあんになるだろ」って屁理屈言ったりして。そんなふうに好きなものについて議論するのって楽しいし、時には「評判のわりにあの店のあんこはおいしくなかった」なんて、失敗が楽しみになるようなことまである。 こういうことを僕らはやりたいんです。となると、失敗したときに相手に謝ることと、しょうがないメンバーも守ることの両方が必要なんです。ただ、「しょうがないメンバーも守る」といっても、お客さんを危険な目に遭わせるようなことはダメですよね。そこは定量的なコントロールが重要です。でも、それ以外は「『できるかぎり』でいいんじゃない?」って考えるのが健康的な組織だと思っています。

■「相田みつを的なもの」を受け入れ続ける意味
糸井 この発想のヒントになったのが、免疫学者である故・多田富雄(東京大学名誉教授)さんです。多田さんは「アレルギーとは過剰防衛だ」と言うんですね。たとえば甲殻類アレルギーの人の身体は、エビを食べたときに「身体のなかにエビが来たぞ、エビが来たぞ」と攻撃してしまう。その戦いの痕跡が蕁麻疹などの症状として出てくるというわけです。 これは自己と非自己の問題、つまり内部と外部の問題ですよね。その多田さんが最期に残した言葉が「寛容」だというんですよ。額に入れておきたいぐらい。人も組織も、デメリットや被害があるかもしれないことまで含めて、寛容であることが大事なんだよなあと思うようになりました。
佐宗 なるほど。ぼくの会社はBIOTOPE(ビオトープ)という名前なんです。いろんな生物がいて、いろんな植物が生えていて、ときに新しい外来種がやってきて、その影響で変化が起こったりする。新しい人を採用したり、いろんなお客さんと仕事をしたりするなかで、生態系のなかに撹乱が起こったりする。それを観察しておいて、必要な時には介入するという感覚で、組織を考えてきました。ぼくも糸井さんと似た感覚で組織を見ているんじゃないかと感じましたね。
糸井 似ていますね。こういう寛容さについて、僕がよく考えるのが「相田みつを作品をどう捉えるか問題」。
佐宗 あの相田みつをさんですか? 相田さんといえば、大変売れている書家であり、詩人であり、丸の内に私設の「相田みつを美術館」が設置できるほど人気ですよね。
糸井 そうです。けれど、なぜか相田さんの作品に対しては、書道界からも現代詩業界からもどこか距離がある状態で。お笑いの人なんかも「おまえ、それじゃ相田みつをだよ」なんて、オチにされちゃうくらいです。「相田みつを的なもの」をポピュリズムみたいに考える風潮は、世の中のいろんなところにありますよね。 そういうものを取り除いて、雑味のない吟醸酒みたいな群れをつくることもできます。頭のいい人だけを集めた上澄みみたいな組織でも人は動けてしまいます。「頭がいい」ということには商品価値がありますし、それは知的ゲームとしては面白いかもしれない。 でも、僕は自分たちのなかに「相田みつを的なもの」も入れるように意識しているんですよ。相田みつをの言葉に対して、「本当にそうだなあ」としみじみ頷くおばあさんの感覚。もいだばかりのリンゴの美味しさみたいな、素朴で洗練されていない感じを大事にしたいと思うんですよね。相田みつをの表現に頷ける人がいなければ、どんなに群れを理屈できれいにつくり上げても、カルトやテロ組織のような危険な状態に陥ると思うんですよ。佐宗 糸井さんのお話を聞いていると、会社の「内」は、もっとゆるやかに開かれていていいんだなと感じますね。

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾

Pocket