『楽しい人生を生きるには』

Pocket

小林正観

「毎日がむなしい」という方がいました。仕事で言うと、「毎日がむなしい」「同じことの繰り返しで楽しくない」「やめようと思う」との内容が多いのですが、私はそういうとき、この質問をしてきました。「あなたは自分で自分のことが好きですか」。多くの人は、まずびっくりします。そして考えます。多くの場合、「私は私が嫌いです」との答えです。

「どうしたら自分で自分を好きになるんでしょう」実はそこにこそ、日常生活のなかのむなしさと縁を切る方法があるのです。結論的には、馬鹿なことをたくさんすること。「馬鹿なこと」というのは(金銭的・経済的に)全く、あるいはほとんどプラスにならないこと、です。
たとえば、会社に30分早く行く。そのときに自分のお金でバラを1本買って飾る。人の机でなく、自分の机でいいのです。自分のために自分のお金で机に花を飾るわけ。あるいは、廊下に落ちている紙くずを、歩くついでに拾い、近くのくずかごまで持っていって捨てる。トイレ掃除も有効です。

こういう提案をすると、必ずこういう言葉が帰ってきます。「花は会社の費用で買うことになっており、私が買っていかなくてもちゃんと飾られてます」。「廊下やトイレの掃除は掃除のおばさんがやることになっています」。そんな答えをしているうちは自分で自分を好きになることはまずないでしょう。「一銭にもならないことをどれだけできるか、するか」が、自分で自分を好きになるポイント。

馬鹿なこと、一銭にもならないこと、誰からも評価されないことを一生懸命やってみてください。そいう馬鹿なことをしている自分が、いつの間にかとてもかわいらしく、いとおしく、思えてきます。「自分で自分を好き」になってきます。「馬鹿な奴だ」と思いながら、でも自分の心に温かいものを感じるはず。

「自分で自分を嫌い」なら、それは「仕事」の問題ではなく、あなたの生き方の問題です。「嫌い」な自分をどこに連れていっても、どこに勤めさせても、どんな職業を選んでも、「むなしい」だけです。仕事の内容や待遇の問題ではありません。

一銭にもならないことや馬鹿なことをたくさんするのはいいのですが、「自己満足」の心も50%は必要です。自分の生活を犠牲にしてまで「人のために尽くす」のは勧められません。
「人のためにする」「人に喜んでもらう」50%、「それで自分も楽しく嬉しい」50%というのが、最も健康で、長続きするような気がします。
70対30だと辛くて自己嫌悪ですし、30対70だと自分中心のエゴイストに思えて、またまた自己嫌悪です。

もちろん、自分の心のありようが変わると、人が「どうしてあんなに人のために自分を犠牲にするんだろう」と思っても、自分は満足で楽しく、幸せに思いつつ生きることができます。
「人のために」しているのではなく、「自分が楽しいから」「幸せだから」「嬉しいから」したい、と思えるようになるのです。

自分のことを好きになれない人は、自分に劣等感があったり、自信がなかったり、いつもクヨクヨしたり、心配したり、という自己肯定感のない人が多い。

一銭にもならないことや、馬鹿なことをたくさんやると、自己肯定感が湧いてくる。自己肯定感がある人は、失敗してもすぐに立ち直れるし、他人のミスや失敗にも寛容になれる。そして、心に余裕ができる。大事なことは、一銭にもならないことを長く続けること。長く続ければ続けるほと、自己肯定感は増してくる。それは…
「 毎月、神社やお寺にお参りに行く」「社内や近所の掃除を毎日黙々とやる」「PTAや近所や公的な役職などを、頼まれたら快く引き受けるが、出処進退を誤らない」「講演会やイベントなど、人数が足りなくて困っているから来て等、頼まれたときには、支障のない限りできるだけ出席する」「人のためになるようなブログを書き続ける」等々。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

《素直な心になるために》

Pocket

松下幸之助

幕末のころ、土佐の檜垣清治(ひがきせいじ)という人が、そのころ土佐で流行していた大刀を新調し、江戸から帰ってきた坂本龍馬に見せたところ、
龍馬は、「貴様はまだそんなものを差しているのか。俺のを見ろ」と言って、やさしいつくりの刀を見せました。そして、「大砲や鉄砲の世の中に、そんな大刀は無用の長物だよ」と言いました。

清治は「なるほど」と気が付きました。そこで、龍馬のと同様の刀をこしらえて、その次に帰ってきたとき見せました。
すると龍馬は、「このあいだは、あの刀でたくさんだと言ったが、もう刀などは要らんよ」と言いながら、ピストルを取り出して見せたというのです。

またその次に帰ったときには、「今の時勢では、人間は武術だけではいけない。学問をしなければならない。古今の歴史を読みたまえ」と勧めたということです。
さらにそのつぎに会ったときには、「面白いものがあるぞ。万国公法といって、文明国共通の法律だ。俺は今それを研究しているのだ」と語ったそうです。

清治は、「そのように龍馬にはいつも先を越されて残念だった」と人に語ったそうです。坂本龍馬という人はいつも先々を見ていたから、そういう姿も出てきたのではないかと思われます。
そしてそういう、現状にとらわれない、たえず先を見るというような姿は、やはり素直な心が働いているところから生まれてくるものではないでしょうか。

「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」『三国志演義』
真の男子たるもの、死に物狂いで勉学や修練すれば、 三日も会わなければ、 見違えるように成長しているものだ。さあ、目をこらしてよく見るがよい、と。反対に、三日どころか、一ヶ月たっても、一年たってもまったく進歩のない者もいる。現状を変えようとしない人だ。
世の中が凄まじいまでに変化しているのに、自らを変えようとしない人は必ず時代から取り残される。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『対等で謙虚な姿勢』

Pocket

山崎武也

小さな子供に話しかけるとき、立ったまま見下ろすような姿勢でしたのでは、きちんとしたコミュニケーションは成立しない。一方的に上から下へという威圧感が、子供を無意識のうちに押さえつけているからである。
コミュニケーションは対等の足場に立ってのみ可能である、という原則が忘れられている。まず、物理的に対等な状態をつくり出さなくてはならない。

すなわち、子供に対しては膝を折って姿勢を低くして、目線の高さを同じにするのである。そうすると、子供に対する気持ちの持ち方も、自然に謙虚なものになる。物理的に対等なかたちをつくれば、精神的にも対等な心理状態になれるのである。子供に対しても、友人に対するがごとくに話すことができるようになる。そのような状況に対しては、子供は敏感に反応する。威圧的な大人ではなく、自分よりは経験深い人生の先輩が、自分のことも考えてくれながら自分に話しかけてくれていると感じる。

好意を持って、大人のいうことを聞こうとする姿勢になるのである。子供に限らず大人に対する場合でも、例えば車椅子の人と話をするときは、やはり、しゃがんでからにする必要がある。
講義や講演をするときは、講師は一段と高くなった壇上から話すことが多い。もちろん昔から顔が見えるようにという配慮もある。しかし、押しつける話ではなく、人の心に訴えかける話をする場合は、講師の目線が学生や聴衆のとできるだけ同じ高さになるように配慮する。そのほうが、話の内容が聞く人の頭の中にスムーズに入っていく。それだけ理解の度合いが高まる。

人に対する場合は常に謙虚にという心掛けが重要なことは、誰でも知っている。高ぶることを戒め、身を低くする心構えである。
しかし、物理的に身を低くすることは、意外に忘れがちな点である。平身低頭はいきすぎであるが、身も頭も相手と同じ高さに保って話をする
「並身低頭」を肝に銘じる。そこから優しい人柄が滲み出てくる。

「上から目線」という言葉がある。相手の発言や態度が上から見下ろして、モノを言っているように聞こえるときに言う言葉だ。
「偉そうに見える」、「威張っているように見える」、ということ。上から目線でモノを言われると、たいていの人はカチンとくる。偉そうな態度を改める一つの方法が、身を低くするということ。

言志四録の中に、「志は高く、身は低く」という言葉がある。身は低くとは、腰を低くすることであり、謙虚な姿勢のこと。また、レストランなどでも、膝を折ってしゃがんで注文を聞くスタイルをとっているところがある。膝を折って注文を取るスタイルにすると、苦情が圧倒的に減る、という話を聞いたことがある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『言葉は魔法』

Pocket

斎藤一人

《困ったことが起きたら「面白いことが起きた!」と言ってみな。奇跡が起きるから。》

人間を「成功に導く階段」があります。それは「困ったこと」なんです。「困ったこと」が起きたときは、「困ったなぁ」って言わないこと。
なぜなら、階段を一歩降りてしまうことになるから。だから、困ったことが起きたら、「面白いことが起きたぞ!」と言ってごらん。階段をひょいと飛び上がることができるから。

「面白いことが起きたぞ!」と言えた時点で、世間にも神様にも「こんなことで困っていないよ!」という宣言になるんです。このひと言で「あなたの勝ち」が決定するんですよ。

《「おいしい」って、言って食べると「おいしい料理」。黙って食べると「ただの料理」。》『まずいときは、「まずい」って文句を言うくせに、おいしいときに、「おいしい」って、言わない人がいるんだよね。
おいしいときは、「おいしい」って言おうよ。いっしょに食べてる人も、作った人も嬉しくなるんだよ。それだけで人生、ずいぶん違うよ』

「言葉は魔法」といわれる。自分の言った通りになるからだ。困ったことでも、嫌なことでも、つまらないことでも、それを「面白い!」と言えば、自分の脳はそこから面白いことを探し始める。
「おいしい!」も同じ。そして、「面白い」も「おいしい」もまわりが明るくなり、喜ぶ言葉だ。まわりが明るくなって喜び、自分も明るくなって喜ぶ言葉を、どんな時も言うようにする。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『幸せなんて、自己申告。』

Pocket

綾小路きみまろ

その昔、オーストリアに、エリザベートというそれは美しい女性がいたそうです。貴族の娘として生まれたエリザベートは、やがて皇帝に見初められ、16歳でオーストリア皇后となります。
ところが生来の自由人気質から、堅苦しい宮廷生活を嫌い、ヨーロッパ各地を旅行してばかりだった。皇后としての職務だけでなく、妻や母としての役目も果たそうとしなかったエリザベートは、やがて宮廷内で孤立していき、その寂しさから、さらに破滅的な行動に拍車がかかっていった。
そんなエリザベートの唯一の武器は、圧倒的な美貌でした。彼女は美しい顔立ちをしていただけでなく、身長172センチの長身、体重は45キロ程度。ウエストにいたってはなんと50センチと、驚異的な体型の持ち主だったそうです。
エリザベートの美に対する執着は、常軌を逸していました。美貌と若さを維持するために、肉は一切食べず、食事は専らブイヨンやオレンジジュース、ミルク、卵の白身だけで済ませていたようです。また、体型維持のため、何人もの侍女を従えて1日中宮廷内を早足で歩いたり、毎晩お酢に浸した布をウエストに巻きつけて過ごしたりした。
しかし、それほどの努力をもってしても、老いに抗うことはできませんでした。晩年、エリザベートは、分厚い黒のベールを頭からかぶり、さらに扇や日傘で隠して、決して顔を見せようとはしかなった。シワやシミだらけになってしまった自分の醜い顔を、人前にさらしたくなかったからです。その後、1898年に、エリザベートは旅行先の湖のほとりで暴漢に胸を刺され、その生涯を閉じます。
死後、彼女の波乱に満ちた人生は舞台化され、現在も世界中で人気を博しています。

女性に美に対する憧れと執念は、今も昔も変わりません。エリザベートの歩んだ人生を見てみると、美しさを手に入れることが、必ずしも人生の幸福につながるというわけではない。
彼女は、圧倒的な美しさによって大きな成功を手に入れました。しかし美しかったゆえに、それを失うことを、人一倍恐れた。老いて醜くなるほど、彼女の苦しみや孤独は、人の何倍も大きく膨らんでいったのです。
人は、必ず老いていきます。その運命からは逃れられません。美しい人はたるんでいく顔に、たくましい人はやせ細っていく体に、聡明な人はぼんやりと鈍っていく頭に、人一倍悩んで老いていきます。

人よりも輝いている部分をもっている人ほど、人生の後半は、それに悩まされて死んでいくのです。人生は、良いことも悪いことも全部半分ずつ、均(なら)せば同じ。最後は、ちゃんと辻褄が合うようにできている。
どんな人にも、その人にしか務まらない役割がある。美しくなくとも、体力がなくとも、全員、どこか一つはいいところが必ずある。人には、それぞれ生まれ持った器があるのです。

美しさや若さは眩しくキラキラ輝いて見えますが、日が陰り光を失ったときにこそ、その人の正体は生々しく浮かび上がります。自分にないもの、失ったものと同じだけ、自分が今、手にしているものに目を向けられるか。そこに人生を最後まで楽しむヒントが隠されている。《優れた部分がある人ほど、最後はその衰えに失望しながら死んでいく。自分にないものではなく、手にしているものに、目を向けて生きよう。》

〇絶世の美女と言われた、小野小町の詠んだ歌。
「花の色は うつりにけりな  いたづらに  わが身世にふる  ながめせしまに」桜の花の色は、 長雨が降り続く間に 、衰え色あせてしまった。私も、恋や世俗の事に思い悩んでいるあいだに、むなしく月日を過ごしてしまった。ちょうど私の美貌が衰えたように。
そして、こんなすさまじい辞世の句を残した。「われ死ねば 焼くな埋むるな 野にさらせ 痩せたる犬の腹肥やせ」もし、私が死んでも、焼いたリ埋めたりしなくてもよい。野に放り出して、痩せた犬にでも食わせてやってくれ。
どんなに絶世の美女であろうが、時がたてば老い、そして死んでいく。そして死ねば、自分の体は、あの世に持っていくことはできない。これは、財産も、名誉も、肩書も、みな同じこと。
だからこそ、無いものを嘆くのではなく、今自分が持っているものに目を向け、そしてそれがあることに感謝することが必要。今、仕事があり、家があり、家族や友や仲間があり、そして、 生きていること、五体あることに感謝する。
幸せな人は、ないものを嘆くのではなく、今あるものに感謝する。自分が今、手にしているものに目を向けたい。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『美しい人に』

Pocket

渡辺和子

美しさは女の生命だともいえる。修道院に入った身に着飾ることも、化粧することも縁遠くなったが、美しい言葉を使うことはできる。
それは、あそばせ、ございますを頻発することではなくて、できるだけ美しいひびきを持った言葉を使うと同時に、適切な言葉を正確に使うことも意味している。借りものでない自分の言葉、そして、相手を傷つけないやさしい配慮を含んだ言葉でもある。

ヴァイオリンの早期才能教育で知られている鈴木鎮一氏が、「まず自分の言葉が相手を傷つけるかどうかを感じる能力を育てること、それが育てば、バッハやモーツアルトの美しい音楽を感じとることができる」という意味のことを言われた。他の子どもに負けないようにと、高い月謝を払い、高価な楽器を買って我が子を音楽塾に通わせている親たちの味わうべき言葉であろう。

今日のようにお金さえ出せば誰も彼も同じような服を着ることができ、立派な家に住み、車をのりまわし、外国旅行に行ける大衆社会の時代において、教養をあらわすものの一つは言葉となろう。
流行語でしか話せない人でなく、豊かな語彙をもち、やたらに外国語を使うことなく美しい日本語を話し、自分の立場を正確に判断して正しく敬語を使うことのできる人になりたい。
自分の感情をすなおにあらわし、意見を他人にも理解できるように伝えるとなると、これはもう言葉の意識ではなく、話す人の品性にかかわってくる。感情を適度にコントロールできる自制力、客観的にものごとを見る判断力、そして個性のある生活が必要となってくる。

人は話す前は自分の言葉の主人だが、口から出してしまった言葉の奴隷でしかない。そのためにもよく考えて話すことが大切だ。

〇矛盾のようだが、よく話すために、そして美しい言葉を使うためには沈黙が必要となってくる。
それは押しだまった沈黙、「自分」でいっぱいの沈黙でなく、または「物言えば唇寒し」といった自己防衛の沈黙でなく、実り豊かなもの、その間の充実のあふれが人をして話さざるを得なくさせるような準備の時間であり、自分のこれから話そうとすることの響きをあらかじめ聞くべく心の耳を澄ます時間である。
女の人の沈黙は特に美しいと思う。ほほえみとともに美しい沈黙を育てること。言葉に先立つものとしての沈黙を大切にしてゆきたい。

〇「ことばは刃物」という言葉がある。
刃物は、気を付けて扱えば料理などではなくてはならない大事な存在だが、誤った使い方をすると人を傷つける凶器ともなる。言葉もまた同じだ。

〇「神のささやきが聞こえるように沈黙しよう」(エマーソン)
《話し三分に聞き七分》、と言われるように、コミュニケーションは話すことより、むしろ聞くことの方が大事。
耳を澄ませば、神々のささやきまで聞こえる。自分が話してばかりいるときは、相手のことを分かろうとしていないとき。沈黙には忍耐がいる。しゃべりたくてウズウズしている自分を自己コントロールしなくてはならないからだ。美しい言葉と沈黙には大人の品格がある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『入社1年目からの数字の使い方』

Pocket

深沢真太郎

商談であれ面接であれ、ビジネスパーソンである以上、会話のなかから、怪しい点には気づきたいもの。そのための手掛かりとなるのが、「数字」です。
数量が変わると、行動も変わる。ゆえに数量を間違うと、行動も間違う
実はビジネスパーソンが仕事で使う数字は、たった2種類しかありません。1つは「実数」と呼ばれるもの。もう1つは2つの実数を比較することでつくられる「割合(%)」と呼ばれるもの

〇「前年比」と「前年増加率」「前年増加率110%」とは、前年度300万円だったものが今年度630万円になったことを指します
割合(%)という数字を使って「よい・悪い」「すごい・すごくない」といった“質”を読み解くときには、必ず「もとの数字」が何かを把握することが重要です
相手のモノサシに合った数字に変換する「数字でないもの」を「数字」に変換する
会話に数字を入れることを意識する「前提」を確認してはじめて仕事のスタートラインに立てる

「ざっくり金額換算してみた結果、この仕事がもっとも価値が高く、最優先で進めるべきと思うのですがいかがでしょうか」ぜひこのような言い回しとともに使ってみてください
「情報→数字→情報」の順で報告する例)「目標通り推移しています。目標値600万円に対し実績650万円です。新製品の反応がいいようです」

自分の意見とその根拠は「平均値」と「率」でつくる

求めていない「数字」はノイズになる

情報を伝えるときには、「1行に2つの数字を入れて伝える」ことを推奨しています。名付けて「1&2ルール」です。
たとえば、「売上高500万円です」だけだと、この数字がよいのか悪いのかがわかりません。
しかし、「売上高500万円。対予算80%」であれば、この数字を評価できます

数字を見る→大小を把握する→「傾向」と「異物」を探す→情報に変える

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

高田明と読む世阿弥

Pocket

不遇の時代をいかに過ごし、絶頂のときにいかに慢心を抑えるか。他人の評価に一喜一憂することなく、ただ、ひたすらに自分の夢を追い続けるための心構えとは何か。また、ただ外見を飾り立てるのではない、内面からにじみ出る人の美しさとは何か──。

世阿弥の教えで私が最も感じ入ったのは、自己更新という考え方です。人間は常に自分自身を成長させる努力を続けるべきだと世阿弥は言います。少し厳しく聞こえるかもしれません。一方で、「他人と自分を比べてくよくよしなくていい」ということでもあります

男時とは、勝負事において自分のほうに勢いがあるとき、女時とは相手に勢いがあるときのことを言います。世阿弥は、この男時、女時の時流は努力ではどうにもならない宿命だと捉えました
人の気ほど移ろいやすいものはありません。どれほど一生懸命にやっても認められないときはあるものです自分ではどうしようもないことなら、それに翻弄されたり、あらがったりするのではなく、受け入れる。何かが変わるのを待つことが大切です

「当流に、万能一徳の一句あり。初心忘るべからず」
世阿弥は「芸の未熟さ」を指して、初心と言っています。無様な失敗や挫折感、それを乗り越えるために重ねた努力を忘れてはいけない。これを心に留め、常に自分を戒めればこそ成長がある

「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷て、やがて花の失するをも知らず」一時的な花を、まことの花であるかのように思い込むと、真実の花になる道から遠ざかる。にもかかわらず、誰も彼もが、この一時的な花を本物と混同してしまう、という意味です

何の気なしに話しているように聞こえたかもしれませんが、私は値段と金利負担ゼロの言葉の間に、間を置いていました。
恐らく2秒か3秒。わずかとも思える数秒の差でも、間があるかないかでお客様からの反響に大きな差が出ます。値段を言った後、数秒でも間を置くことが結果的にお客様の背中を押すのです

人それぞれ好む花は違う。どれが真の花でどれが偽りだなどと決められない。そのときに有用なものこそが花だと心得よ

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『脳が認める最強の集中力』

Pocket

林成之

脳細胞自身が生き抜くために備えている、生まれながらの本能というものもあります。それが「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」「伝えたい」の四つです

記憶力が働くかどうかは、どれだけそれに集中しているかで決まります
無意識での集中力低下を引き起こす最大のトリガーは、否定が含まれる言葉や後ろ向きの気持ち

自分が首位に立っていることをスコアボードで確認した瞬間、「あと残り三ホールだけがんばればいい」や「ここでミスをしたらまずいな」との気持ちが働いて、それまで保っていた集中を無意識に切らしてしまうのです
安心したり、失敗を恐れたりしてしまうと、脳はとたんに集中しなくなる

集中力の源は、いかに情報に前向きなレッテルを貼っていくかにある
否定語が耳から脳に入ると、A10神経群が「この情報は必要ないのだな」とマイナスに反応して集中力をレベルダウンさせてしまいます

何事も斜に構えてクールでいるほうが賢いと考えている人ほど、実際の脳のパフォーマンスは落ちます
いい加減に聞いて、いい加減にしゃべる習慣がついてしまうと、話を聞き流すことがクセになり、どんな場面でも「集中して聴く」ができなくなっていきます

気持ちを込めて何かをするというのは、脳の力を最大限に引き出すための不可欠かつ重要なファクター
高い集中力を発揮するためには「やるからには素直に、損得抜きで全力投球する」
脳には「新しい情報に瞬時に反応する」クセがあります。関係ないものが周りにあると、意識がそちらに向いてしまい、次やるべきことに集中できない

「コツコツ」や「一歩一歩」には、「失敗はイヤだ」という否定語、「慎重にやろう」という安全策でいく発想の「気持ちが無意識に緩む」という二つの要素が含まれてしまっています

デスクを固定しないノマドワーカーのような働き方は、脳の本能からすると、集中力の発揮を妨げてしまう最たる条件

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『40歳からの「転職格差」』

Pocket

黒田真行

「人生100年時代」の到来と、昨今の求人難で、キャリアの世界にも大きな変化が生じています。
それは、以前に比べ、40代以上の転職がグッとラクになったこと。

でも、実際には、実力その他の条件によって、かなりの「転職格差」が生まれている。
仮に100万人の求職者が求人サイトに登録していたとすると、3カ月以内に転職先が決まるのは1割の10万人で、そのほとんどは20代、30代です
書かれていないだけで、実際には35歳以上の人の履歴書は見ないという企業が多数あり、36歳の誕生日を迎えたその日から、求人は半減します

中小企業は人材不足に悩んでいますが、だからと言って求人を出しているかと言えば、多くの企業は出していません。
求人を出して良い人材を採れた経験などないからです。
ただ、多くの中小企業の社長は「いい人がいたら紹介してほしい」と常に思っています

35歳限界説がなくなったという話は、多くの場合、エグゼクティブに強い人材紹介会社の方から発信されています
「育ててきた部下が自分の上司になったから」「これだけ会社に貢献してきたのに、役職定年になって悔しい気持ちでいっぱいだから」「1500万円あった年収が1200万円に300万円も下がってしまったから」など、ネガティブな理由で転職活動を始めた方々の転職後の満足度は、あまり高くありません

40代転職者の平均年収は約450万円
40代転職者の転職後の年収を見ると、10%以上上昇した人が32.2%、10%以上減少した人が32.9%とほぼ同じ(ワーキングパーソン調査2014より)

企業はエグゼクティブやスペシャリスト以外の40代や50代をもて余しがち

地方転職でうまくいかない理由として多いのは、「その地域のコミュニティと合わない」こと
「異業界」の「同職種」も狙い目
これまでに磨いてきたスキルの中で、他業界に行っても役立つスキルがないかを考えます
抽象の梯子を上ることで、転職先の選択肢が広がり、新しい世界が見えてくる
「業界格差」による「タイムマシン転職」で成功したNさん
企業が確かめたいのは、「成果の再現性」

〇転職を決める前に確認すべき3つのポイント
・「環境」・「ミッションと権限」・「達成基準と評価基準」

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket