『西洋美術史 世界のビジネスエリートが身につける教養』

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木村泰司 

欧米エリートと渡り合うためにも、語彙と教養は必須。なかでも、美術に関する教養は、知らないと思わぬ恥をかくことがあります。

紀元前6世紀末以降、アテネでは守護神アテナに捧げられたパンアテナイア祭の際に、定期的に美男コンテストが開催されていました。美しいということは神に近づくことであり、また神もそれを喜ぶという考え方が浸透していた。「美男=神への捧げもの」という考え方です。「男は顔じゃない」ではなく、美しいか否かが人格までを決めるほど、美しさが重要だったのです

「ペロポネソス戦争(前431~前404年)」以降、社会と美術の雰囲気が一変していきます。粛清が行われるなど恐怖政治がアテネを支配する中で、美術における嗜好はその反動から享楽的なものを求めるようになります
その結果、紀元前5世紀の崇高で荘重な様式ではなく、紀元前4世紀のものは優美さを漂わせたものが多くなりました。たとえば、古代ギリシャの彫刻家プラクシテレスによる「ヘルメス」は、オリンピックの勝者の体をモデルに制作されてはいますが叙情性が漂う優美な彫像になっています

ヘレニズム時代にギリシャ文化圏が一気に広がったことで、それまで通用していたギリシャ人特有の価値観以外の表現が見られるようになります。大王の後継者たちによって支配された地域とギリシャの文化が融合された「ヘレニズム文化」が生まれ、美術の様式も変化していったのです。具体的には、ギリシャ的な思想ではなく、より個人的な感覚や、理想主義ではなく個性を重視した写実主義へと変化しました。神ではなく君主や特定の人物を表すようになった結果、写実性の強い描写が発展したのです

ゴシック様式の大聖堂は、民衆の意識を地上から天井へと促し、宗教的高揚感を高める効果がありました
ステンドグラスは文字が読めない人々にキリスト教の教えを伝えると同時に、窓から取り入れられる光をより美しく効果的に演出しました。「光」はキリスト教徒にとって「神」であり、ゴシック建築では視覚的に神の存在を意識することができたのです

マニエリスム特有の混沌とした、当時の社会情勢から来る不安感を表す、見るものに不安気な印象を与える作風へと変貌しています。マニエリスムの特徴として、とくに絵画においては画家の個性や特有の技法が強調されている点があります

レンブラントに限らず、17世紀のオランダの画家たちは、市民社会になったがゆえに、同時代の他国と違う、現代的な経済的苦労を抱えることになります。つまり、王侯貴族や教会といった圧倒的な富を誇る大パトロンではなく、市場を対象にする不安定さです。そのため、多くのオランダ人画家は副業を持っていました17世紀のフランス文化が「王の時代」で男性的なものだとするならば、18世紀のロココ文化は「貴族の時代」であり、女性的な文化と言っても過言ではないでしょう

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