『自分の休ませ方』

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枡野俊明

最近売れている曲は、音数が少ない。ゆったりして間がある。それでいてちょっと聞くと「間違いなくあの曲だ」と分かるもの。音が多すぎるのにみんな疲れたのかもしれない。(亀田誠治さん)

消費者が疲れているなら、ビジネスも疲れている人間に寄り添ったものでなくてはならない。禅にはこんな言葉があります。「七走一坐」七回走ったら、いったん立ち止まって、静かに坐りなさい、ということです。そうすることで、自分が走っている方向は正しいのか、自分にふさわしい走り方をしているのかが見えてくるのです。
階段には必ず踊り場があります。その踊り場でひと息つくから、長く続く階段も上りきることができるのです「廊下を走ってはいけません」社会生活を学ぶ最初の段階である小学校で、「走らない」ことを強調するのは、それが人生を生きていく上でも大切なことだからかもしれません。
禅寺でも特別な時を除いては、走ってはいけないとされています。ゆったりした動きだからこそ、演者の思いや意図が、つまり、心が余すところなく一つひとつの動きにあらわれるのです
周囲が見えなくなる速さで歩いていませんか。足早に歩いていると、周囲が見えません
鏡のように静かな水面に小石を一つ投げ込むと、当然、波紋ができます。その波紋を止めようとして水に手を入れたら、また、新たに別の波紋が生まれますね。しかし、何もせずに放っておけば、波紋はしだいにかすかなものになって、やがては消えてしまいます。静かな水面が戻ってくる禅には食事の前に必ず唱える「五観の偈(ごかんのげ)」というものがあります。その意味は次のようなものです。
一、大勢の人のお蔭で今この食事があることを思いながらいただく
二、そのありがたい食事をいただいていい自分なのかを省みながらいただく
三、貪り、怒り、愚かな心がないかを自分に問いながらいただく
四、心身を健やかに保ち、修行を続けるための良薬としていただく
五、修行に励み、成道をなす(悟りを得る)ために、大切にいただく

見えにくいところほど手をかける「遊戯三昧」でそのことと一体になる

評価に縛られると、執着に変わるすぐには結果に結びつかない

「一生懸命」はあるでしょう。しかし、自分を磨いてくれない「一生懸命」はないのです

エンジエオイル、OEM仲間の経営塾より

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