「持続的な幸せ」を作り出す2

Pocket

〇根拠がなくても「直感的に動ける」ことが、幸せに直結する
「変化を前向きに捉えることが幸福」本来「帰納的」な仕事であるデータ分析に、「演繹用」に作られたコンピュータを使わざるを得ず、それゆえに人が「仮説」を設定しなければいけないことの問題点を指摘されている。
変化を前向きに捉えるとは、事前の仮説にとらわれず、帰納的にものごとに向き合っていくということなのだ。でも、たとえば論文の書き方一つとっても、演繹的に「仮説を検証した」としたほうが、わかりやすくて説得力が出る。

実際には「やってみたらわかった」、つまり帰納的に研究が進められていることがほとんどなのに、あとで論文にまとめる時には演繹的にして表現する場合が多い。「やってみたらわかった」と大声で言えるような組織や社会であるべきだ。身近なものごとを思い浮かべても、基本的に最初に直感があって、後から理屈や説明がついてくることがほとんどだ。

でも、「直感でこっちに行った方がいいと思うから、何か行動を起こします」という動き方は、会社の中では成り立たない。「なぜか説明して」という話になる。それは自然の摂理を無視していて、おかしい。
本来、行動し始める前のスタート地点では、分析なんかいらないはず。最初は直感で行動をし始め、やっていくうちにだんだんと説明がついてくる。そうした自然の摂理を知り、「私は直感に従って行動を始めます」と大声で言える環境こそが、「HERO」を生み出す場所だ。

見えないのに、道があるはずだと信じること。あるはずだと信じて行動を起こす、踏み出していくこと。「計画を作りました」「PDCAサイクルを回します」と言わなくても、「そっちに行きそうな直感があるから行動を始めます」と大声で言えるようにすべきだ。
根拠は必ずしもなくていい。根拠がないときでも動けることが、幸せに直結するということを、データは如実に示している。
予測不能であることを前提に、直感に従って動き始める。それを可能にするためにも、後から検証するためのデータが必要だ。予測不能であることと、データ活用ということは、密接に結びついている。

学びを最大化するために、データが必要だ。 「ビッグデータ」は常に過去のもので、それだけでは不十分だ。判断は常に未来に関わることなので、過去のデータを見ているだけでは足りないに決まっている。それにもかかわらず、昨今はたくさんのメディアで「国家でも事業でも、データを大量に持っているところが覇権を握る」とばかり言われている。
それは、基本的な前提を疑ったことがない人の発言だ。予測不能の時代に、過去のデータだけで未来のことがわかるのでしょうか? わからないに決まってる。

データの使い方はそうあるべきではない。いかにデータを通じて過去から学ぶのか、という点を中心に考え直す必要がある。
「データで幸福の法則を明らかにする」という文字面の印象から、「人間はある種の決定論としてその法則を受け入れ、ただ従うしかないのか?」と思われてしまうことが多い。むしろ真逆だ。
データで法則を明らかにするからこそ、予測不能な領域にもチャレンジしやすくなる。人間を解析するうえで、過去を真似する「守り」と過去にないことをやる「攻め」の両方が必要なのだ。

そして、攻めには必ず学びがある。 予測可能な守りばかりしていると、失敗も少ないけれど、その代わり学びも少ない。だから攻めをどれだけできるかが大事だ。
何を変えられて、何を変えられないのかを、しっかりと理解することが大切です。たとえば、いくら「予測不能」とはいえ、私に効くワクチンが地球の裏側でも効くというのは、基本的に予測可能だ。地球の裏側に行っても、ジャングルの中に行っても、99.9%同じDNAを持っている人類として、意識や文化と関係のないレベルで、バイオケミカルに様々な反応が起きていることは、普遍的だ。重力法則や、生きるのに食事や水が必要なのも同じように普遍的だ。

普遍的で変えられないところが存在することと、変えられるところを未来に向かって切り拓いていくことは、全く矛盾しない。
我々は食欲や睡眠欲のようにさまざまな生理的欲求を持っていて、それを否定するのはおかしい。変えられない部分はたしかにあって、その影響は間違いなく受ける。
そうした基本的な制約をちゃんと理解したうえで、データを通して学びを得ながら、人生で一度きりのものごとに挑戦していくことが大切だ。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

Pocket