『悪口を言われたとき』

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脳科学者、中野信子


裏切られた、騙された、ひどい悪口を言われた………
誰かから与えられた傷は、
自分自身が失敗するよりもはるかに深いものになります。
こんなとき、意志の力で「早く忘れよう」と
すれば するほど、
「やっぱり忘れられない」という矛盾に苦しみます。
こうした対立では、必ず意志の力が負けるのです。
そんな時は、むしろその苦しみや傷と
向き合ってしまいましょう。
そのひどい出来事自体を変えることはできませんが、
それが自分にとってどんな意味があったのかという
評価の部分はいくらでも変えることができます。


「最悪」という評価に終始するのか、
それとも「たしかに傷ついたけれど、
おかげで自分の甘い部分がわかった」と思えるのか。
評価を変えることで成長し、
その後、同じような目には遭わなくなるかもしれません。
だから、忘れようとするよりも、
それを反芻して思い出せるようにしておくことの方が、
実は大事なのです。
もちろん、いうほど簡単なことではありませんから
周囲の力も借りましょう。
友だちに話を聞いてもらうなど、
言語化することでずいぶん楽になるはずです
《人間関係の傷を癒やすには、無理に忘れようとしないこと》


何か嫌なことが起きた場合、
「それは何の意味があるのか」と考えてみる。
たとえば、知り合いから、〇〇さんがあなたに対して
「ひどい悪口を言っているよ」と聞かされたとき。
「嫉妬の対象になっているんだな、
これも自分のステージが一つ上がったということ。
ありがたい。」と視点を変える。
脳は、主語を理解できない。
他人に言った言葉は、
すべて自分のこととして捉えてしまう。
他人に言ったつもりの悪口も、
自分に対して言っているのと同じことになる。
つまり、相手が悪口を受け取らないと、
悪口を言った本人だけのものになる。
だから、悪口を言われたとき…
「ああ、自分(言った本人)のことを言っているんだな。
かわいそうに」と、視点を変える。

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『ホワイトカラーの気くばり力』

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安田正

ご馳走になったら、「その翌日の朝7時」には、必ずお礼のメールを送信することを、自らの中でルール化した

そのとき、求められていることの「一歩先」を読む「(1)現状」「(2)見通し」を踏まえて、「(3)対処」につなげるために「次の行動」、「次の行動」と具体的に動いていくのです。「自分は次に何をすればいいか、何ができるか」つねにこれを頭に置いて行動することが、すなわち「気くばり」です

相手のスケジュールに配慮するとは、相手にとってのプライオリティ(優先順位)を理解しておくということ

「俯瞰のアンテナ」の感度の高い人は、仕事を引き受けるときに必ず、「いつまでですか?」と締め切りを確認します
上司に「あれ、どうなっている?」とだけは、絶対に言わせてはいけません
「なぜ」急がなければならないのかという理由と、「いつまで」という期限を、必ず示すこと前倒しで人に仕事を頼めるようにするために、「この仕事は、この日までに◯◯さんに渡す」と自ら期限を切って、そのための準備期間を、自分のスケジュールに組み込んでいます

小さな仕事でも「プラスα」になる改善点を探してみる

言葉がけは「共感+提案」のセットで
ポイントは、「共感プラスα」です。「外は寒かったですよね。暖房の温度を上げましょうか」「共感をした後、すかさず提案する」。この2つをセットで示して初めて、本当の気くばりと言える

クッション言葉は「気くばり」「思いやり」の言葉

相手にとってメリットのある「もくじ」を立てて話す「感情的なダメ出し」より「客観的な助言」をする

話が合う、合わないは、相性や話す内容よりも「会話のリズムやテンポが合うかどうか」で決まる

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『〔データブック〕近未来予測2025』

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ティム・ジョーンズ、キャロライン・デューイング

「フューチャー・アジェンダ」の創設者が、今後の世界の動向と課題を示した。

■未来に対する12の共通認識
1.人口が爆発的に増加する
2.資源が枯渇する
3.環境汚染に歯止めがきかなくなる
4.移民は悪だ
5.仕事が不足する
6.女性の教育水準の向上が、多くの問題を解決する
7.技術が大きな問題を解決する
8.答えは太陽光エネルギーにある
9.定年について考え直す必要がある
10.医療費は増加の一途をたどる
11.アジアの世紀が始まる
12.GDP成長率は、社会の発展を評価する最良の尺度である

2012年、世界人口は70億人に達した。最新の予測によれば、2030年には85億人に、2050年には105億人に達するという
人口増加のスピードが最も速いアフリカでは、今後も着実に人口が増えつづけ、2015年の11億人から20230年には17億人へ、さらに2050年には25億人に達する見込みだ

2015年の平均寿命は、低所得の国で46歳、高所得の国では79九歳で、全体的に見ると約70歳である。平均寿命はさらに延びるだろう
高齢者の増加という人口動態的な変化に社会が順応するにつれ、個人の実年齢はあまり重要ではなくなる。

あらゆる年代の創作者や消費者に新たな機会が生まれるが、その恩恵を受けるのはたいてい富裕層に限られる

経済成長は、「健康」と「ライフスタイル」というふたつのキーワードが交差する分野で生まれる。つまり、シニア世代の暮らし方、第二の人生設計、エイジング・イン・プレイス(地域居住)、医薬品、旅行やレジャー、美容や化粧品、ファッションや小売などである

「収入」「健康」「平均寿命」のあいだには、強い相関関係がある。英国とアメリカにおいて、富裕層は貧困層よりもおよそ10年長生きする。北欧でも約7歳の開きがある

長寿のマイナス面は、がんや認知症、アルツハイマー病といった病気にかかりやすくなることだろう

インドが推し進めているのが、質の高い医療を格安で提供する改革だ。たとえば、アラヴィンド眼科医院は白内障の手術を50ドルで行なう。ナラヤナ・ヘルスケア病院では、世界クラスの心臓外科手術が2000ドルだ。これは、アメリカで同じ手術を受ける場合のわずか50分の1にすぎない

地球上の人工のほとんどが都市で暮らし、大きな都市のほとんどは沿岸にあるため、膨大な数の人間を洪水が襲う。広州、マイアミ、ニューヨーク、ムンバイ、名古屋、ボストン、深セン、大阪は、特に大きな被害を受けやすい

優秀な頭脳を引きつけるために都市は競い合う反面、過密、資源不足、大気汚染といった、繁栄の裏側にある問題を解決するために協力し合う

経済的、政治的、社会的、文化的な理由から、あるいはプライバシーを守るために、ますます多くの人がデジタル世界との接触を一時的に絶つか、完全に絶つ

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『礼儀やマナーを大切に』

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レス・ギブリン

相手が成功者や有名人だからといって、その人の重要感を満たす必要はないと思ってはいけない。はっきり言って、それは大間違いだ。礼儀やマナーは、人々が自分の価値を感じ取りたいという普遍的な欲求にもとづいている。
つまり、礼儀やマナーは相手の重要性を認めていることを示す方法なのだ。

ある国の首相が訪米中に一閣僚との面会に訪れ、予定時刻から5分ほど待たされたとき、「彼とは別の機会に会えばいい」と言い残して立ち去り、外交面で大騒ぎになったことがある。この首相はたった5分も待てないほど急いでいたのだろうか?そんなことはあるまい。その国と良好な関係を築くために数ヵ月にわたって外交努力を続けてきたのに、こんな「ささいなこと」で台無しになるということがありえるだろうか?しかし、事態の収拾に莫大な労力を要したことから、それは十分にありえることだ。

もちろん、人はみな違う。ライフスタイルや食生活、服装、趣味など、人によってすべて異なる。しかし、すべての人に共通する願望がある。すべての人は自分が重要な存在だと感じたがっているだけでなく、自分の重要性を他人に認めてほしいと思っているのだ。
私たちが求めているのは、自分の重要感を他人に満たしてもらうことである。言い換えると、すべての人は自分の価値を確認するのを他人に手伝ってほしいのだ。

もし誰からもつまらない人物のように扱われたら、自分の価値を確認できなくなってしまう。これこそが、「ささいなこと」が人間関係で非常に大きな意味を持つ理由である。
あなたは「たった5分待たされただけじゃないか」と反論するかもしれない。しかし、たった5分、されど5分だ。要は、その5分の待ち時間が何を意味していたかである。待たされる側にしてみれば、相手が「この面会は形式的な行事だし、この人にはそんな価値がない」と考えていた証しなのだ。

ちなみに、人々が離婚理由に挙げていることを知れば、滑稽に思えるものがよくある。
「夫は一緒に外出すると、かわいい女性を目で追っている」
「夫は人前で私をからかって楽しんでいる」
「妻は私へのいやがらせとしてトーストをよくこがす」
「妻は私の食事より猫の餌を優先している」
どれもささいなことのように見えるが、「私はあなたを重要な存在だと思っていない」というメッセージを相手に送っていることになる。その結果、ささいなように見えることが結婚生活の破綻につながるのだ。

「大爆発のきっかけは小さな花火」という格言を肝に銘じよう。つまり、相手を軽んじるような言動が積もり積もって、とんでもない悲劇を招くおそれがあるということだ。
「挨拶をされなかった」、「返事をしなかった」、など、自分がないがしろにされたとか、無視された感じた時、人はプライドがひどく傷つけられ、そののち怒りが爆発したりする。挨拶や返事など、普通に考えれば、ささいなことなのに…

かつて、日本の大臣が、東北の知事を訪問した際、「知事が先に部屋に居て、出迎えるのが筋だ」とひどく立腹して大きな問題となり、結局は、上から目線の言い方を世間から叩かれ、辞任せざるをえなくなったことがあった。
これも、大臣である自分の方が上なのに、なぜ、俺を待たせるのだ、大事にしないのだ、という偏狭な怒りの爆発だ。この日本の大臣の話はあまりに幼稚すぎて論外だが、誰であっても自己重要感を満たされたいと思っている。
「礼儀やマナーは相手の重要性を認めているということ」礼儀やマナーを大切にすれば、多くの人間関係は上手く行く。

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『世界で1000年生きている言葉』

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田中章義

自身の善良さを守れ、塩が辛さを守るように。(タイ王国)

塩を入れるなら溶けるまで、仕事をするなら終わりまで。(モンゴル国)

愚かな人々とともに歌うより、賢い人とともに泣くほうがいい。
(セルビア共和国)

ベトナムで語られているこの言葉が好きだ。「実を食べて、その木
を植えた人を思う」という言葉を、いつまでも忘れたくないと思っ
ている。果実や農作物に限らず、学問にしても医学にしても技術分
野でも、今日の収穫は先人の汗や尽力の恩恵であることが多い

明日のことは今日やれ、今日のことは今やれ。(ネパール連邦民主共和国)

十人の知識人は、一人の熟練者にかなわない。(カンボジア王国)

小事を断念できない人は、大事を成就できない。(マダガスカル共和国)

成し遂げた善は隠せ。源を隠すナイル川のように。(エジプト・アラブ共和国)

屋根が広ければ、積もる雪も多い。(イラン・イスラム共和国)

上がるものはみな下がる。(ドミニカ共和国)

愛することは長く、憎むことは短く。(ミャンマー連邦共和国)

手に入らない大きなものより、小さくても手に入るもののほうがい
い。(ラトビア共和国)

親切は、腐らない。(ケニア共和国)

一握りが山となり、一滴が海となる。(マレーシア)

良い木に近づけば、良い日陰が得られる。(コスタリカ共和国)

立派な木が一本あれば、鳥が一万羽とまることができる。
(ミャンマー連邦共和国)

意志があれば手段は生まれる。(バングラデシュ人民共和国)

指揮より見本。(スリランカ民主社会主義共和国)

他の人を許すたびに、きみ自身を強くしている。(ペルー共和国)

年寄りたちが犯した罪の罰をこどもたちが受ける。(デンマーク王国)

山のほうからはやってこない。こちらから山へ行け。(フィリピン共和国)

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『他人の協力を得る』

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樺旦純

運は誰のもとにも訪れる。しかし、どんな人にも、同じだけの運がめぐってくるわけではない。その人の素養、能力、人柄によって、訪れる運も違う。大きな運をつかむには、それをつかむだけのものを身につけていなければならないのである。

一つの目標を達成するためには、他人の協力も必要になってくる。その場合、相手にも何かメリットがあれば、協力を得やすい。具体的に、どうすれば人は動くのか。一般に、人が持つ影響力は、次の6つのパワーに分類される。このうち、どれか一つでも持っていれば、相手が自分のために動いてくれる可能性は高い。1. 正当性パワー相手を従わせる役割や地位、権限などを持つ。父母と子供、教師と生徒、上司と部下といった関係。部下が従うのは、相手が自分の上司で、命令を与える権限を持っているからである。
2. 情報性パワー相手の求める情報を持っている。いわゆる情報通の人は、あちこちで重宝がられる。人々にとっての価値のある情報を入手できる能力を持つ人は、それだけでも一つの影響力となる。
3. 報酬性パワー一方が他方に、報酬(金銭的・心理的)を与える権限を持つ。経営者と社員の関係など。報酬には賞与、高い評価、ほめることなども含まれる。
4.懲罰性パワー相手が指示や命令に従わない時は叱責したり、懲罰を与える権限を持つ。軍隊でいう教官(教師)と隊員(生徒)の関係など。
5.専門性パワー専門的な知識や技能、経験を持つ。
6.準拠性パワー人間的魅力、人柄のいい人や周囲から好かれている人は、いざという時、人々の協力を得られる。

急速に変化する時代では、やはり新しい情報に詳しい人は何かと便利だ。また、専門的な知識や技能、経験を持っていれば、周囲から一目置かれる存在となり、尊敬・信頼を寄せられる。人柄については言うまでもないだろう。
人を動かすには、相手に対して何らかの影響力を持つこと。すなわち、相手にとっても、協力することで何かプラスになるようなものを身につけていることが必要なのだ。

■稲盛和夫(「成功」と「失敗」の法則)より
『企業経営において、長く繁栄を続ける企業をつくりあげていこうとするなら、「徳」で治めていくしか道はないと私は考えています。欧米の多くの企業では一般に、覇道つまり「力」による企業統治を進めています。資本の論理をもって人事権や任命権をふりかざしたり、または金銭的なインセンティブ(誘因)をもって、従業員をコントロールしようとしたりするのです。しかし、権力によって人間を管理し、または金銭によって人間の欲望をそそるような経営が、長続きするはずはありません。一時的に成功を収めることができたとしても、いつか人心の離反を招き、必ず破滅に至るはずです』
会社のトップや上司、親や教師ならみな持っている、「正当性パワー」や「報酬性パワー」や「懲罰性パワー」には封印をして、「準拠性パワー」で勝負した方がいい。準拠性パワーは「徳」という東洋学的にいう、人間的魅力。パワーがありながらも、それを使わずに治めていく何らかの影響力のことだ。
徳とは、相対したとき、自然と頭が下がるような人のことをいう。利他の心を持ち、けっして偉ぶらず、謙虚で、明るくて、人から好かれる人のことだ。昨今では、その「徳」に「情報性パワー」や「専門性パワー」があると、さらに影響力が増す。それが…他人の協力を結集できる人であり、影響力のある人。

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『すべてがうまくいく

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 松下幸之助

自信というのは、生きる上で非常に大切なものですな。第一そうしたものがなければ、生きていてもこんなに頼りないことはない。もっとも、自信を持ちすぎるのも困りものですがね…。

ぼくも、自信をなくすという経験は何度となくしてますわ。悲観して、どうにも困りはて、夜も眠れんというようなこともありましたよ、実際は。しかしね、その翌朝になると、もうすっかり考え方というか発想が変わってましたな。昨夜悲観した材料をもとに、これはこう考えよう、あれはああしようというように、建設的な考え方が心に浮かんでくる。禍(わざわい)転じて福となすというか、いわばそういう発想ですね。
それが自然にできたのですよ。だから、自信をなくしたとはいうものの、そのつぎの瞬間には、どうすればそれを解決できるか、そのことをもう懸命に考えていたということですな。幸いそういうことができたので、今日までやってこれたのではないでしょうか。それができたのは、ぼくが持って生まれた性格というのもあるでしょうが、やはり体験の中から自然に身についたものでしょうね。

百の事を行って、一つだけ成ったとしたら、たいていの人は事の成らない九十九に自信をなくし、もう再びその事を試みなくなるでしょうな。そうなれば、まさに失敗ですわ。しかし、よく考えれば百が百とも失敗したわけではない。たとえ一つでも事が成っているということは、他の九十九にも成る可能性があるということですね。そう考えれば勇気が出てきましょう。そして、事の成った一つをなおざりにしないで、それを貴重な足がかりに、自信を持って九十九にいどむことができる。そうなれば、もはや成功したのと同然ですよ。
よい面を見て自信を持つか、悪い面を見て自信をなくすか、それによって人生は大きく変わってくる。

トーマス・エジソン
「私は失敗したことがない。 ただ、1万通りの、 うまく行かない方法を 見つけただけだ」
「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ」
100の中の99の失敗を見て嘆くのか、1つの成功を見て勇気を奮い起こすのか。人生は、見方一つ、考え方一つ、言葉の使い方一つ、で変わってしまう。
言葉の使い方とは…「失敗ではなく、勉強させてもらった」のだと思えば、お金を払ってもおかしくはない。そして、「失敗ではなく、うまく行かない方法を見つけただけ」。よい面を見て自信を持つか、悪い面を見て自信をなくすか、はとても大事なこと。

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『復讐しない』

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斎藤一人

私たちはさまざまな出来事を通して学びを得ます。その中でもっとも大きいのは“お金”と“人間関係”からの学びです。人間関係とは、親子や夫婦、会社の上司や部下、同僚とさまざまですが、「自分自身との関係」も含みます。

神は“自己犠牲”を嫌います。「私はいいから、あなたが幸せになって」じゃなくて、まずは自分が幸せになって、その幸せをできる範囲で周りに配っていけばいいんだよね。それが神の望みでもあるの。それと、「自分さえ良ければ」というのも自分を大切にしていないことだよね。人によっては「自分さえ良ければ、他人に迷惑をかけても関係ない」と思うかもしれないけれど、他人に迷惑をかければ必ずその報いは自分が受けます。だから結局、それも自分を大切にしていないのと同じことなんです。

また、相手に悪口を言われたり、イヤなことをされたりしたら、その人に「仕返しをしよう」とする、これもいけません。誰かがあなたの悪口を言ったら、その報いを受けるのはその言った人なんです。
“報い”とはいいことをすればいいことで報われて、悪いことをすれば悪いことで報われることを言います。「復讐するのは神の仕事」といって、その報いは神様がちゃんとやってくれることだから、あなたが勝手にその人に報いを与えちゃダメなの。だいたい、人の悪口って言った方が負けだからね。言い続けている人は大負けなの。それをあなたまでその人につられて相手の悪口を言ったら、自分の運勢まで悪くなっちゃうんだよ。だから、私たちができることっていうのはね、「相手を黙らせる」ことではありません。「相手が悪口を言っても、自分は言わないようにする」ことがほんとうの真理なんだよね。

私たち人間は完璧じゃないから間違えることだってあります。そこで成長できる人が、「間違ったときに謝れる人」なんだよ。「謝るとかっこ悪い」と思うかもしれないけれど、謝らない人、または謝れない人の方が、よっぽどかっこ悪いよね。謝れない人って我が強いんです。我が強いっていうことは、それだけ魂に汚れがついてるってことなの。それで私たちはみんな、その汚れを落とすために生まれてきているからね。

「復讐するのは神の仕事」というのは、聖書の中の言葉で、「復讐は私の仕事、私が報復する、と主は言われた」からきている。そして、人間による「目には目を、歯には歯を」という報復を戒めている。報復は報復の連鎖が続く。いつまでたっても終わりのない無限ループに陥ってしまう。
他人の悪口を言ったら、その報いは言った人が受ける。同様に、お金の悪口を言ったら、その報いは自分が受ける。お金持ちの人をうらやんだり、思わぬお金が入った人の悪口を言うようなことだ。どんなひどい仕打ちを受けても…仕返しをしようとしてはいけない。

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『流れにまかせて生きる』

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福聚寺住職、玄侑宗久

私が好きな中国の詩人で、陶淵明という人がいます。その陶淵明に「帰去来辞」という詩があります。彼は41歳で、今でいう郡の役所の長にまでなりましたが、公務員に嫌気がさし、自分の故郷に帰っていく途中で「帰去来辞」を詠むのです。
その詩の最後に書きつけた言葉が、私は好きです。「いささか化(け)に乗じて以て尽くるに帰しかの天命を楽しんでまたなんぞ疑わん」どんな変化が来てもそれに乗っかり、その変化が尽きるにまかせよう。そして、これが天命なんだと信じて疑わない。陶淵明はそう決意を述べるのです。

災害に続けて遭った時などもそうですが、「なんで私らばっかり」と思うものです。「なんで私らばっかり」と漠然と感じているときには、どこかでまだ「天命なのではないか」と思っているでしょう。まだ誰をも恨んでもいない。誰を恨んでもいない状態はむしろ幸せなのです。
しかし、「仮設トイレはまだできないのか」「役場は何をしているんだ」というように、「災害は誰のせいでもないけれど、今のこの状況は誰かのせいだ」という主張になってくると、一気に不幸になります。

「事故」というのは、誰のせいで起こったものでもない。でもそれは、すぐに「事件」になります。事件というのは、誰かのせいです。誰かのせいだと思った途端に、人は不幸になるのです。これは大いなる法則です。
ですから、「天命」という言葉であらかたの変化を受け容れたときに、今を生きる幸せというものは得られると思うのです。

宿命とか運命という云い方があります。もともと定まっているものとして考えられたのが、「宿命」です。「宿」というのは「宿場」と使われるように、「とまる」という意味があります。「運命」の「運」は「うごく」と訓(よ)みます。これは天と人との関わりが予定もなく変化し続けるという見方です。同じ境遇に生まれ育ち、似たような人々の間に暮らしたとしても、人はそれぞれじつにさまざまな人生を生きる。この認識から、おそらく「運命」という言葉が生まれたのでしょう。皆さんには、是非とも運命のほうの考え方をしていただきたいのです。その得体のしれない運命の波に、陶淵明は乗るのだと決意しています。
これとほぼ同じことを、孟子は「立命」という言葉で表現したのです。それと似た態度なのですが、奈良時代には、運命の流れに「為合(しあ)わせる」意味から、「しあわせ(為合)」という和語が生まれました。運命の流れにうまく為合(しあ)わせることがしあわせであるということです。
室町時代になると、この「しあわせ」に「仕合」の文字が当てられ、相手も天ではなく人を想定するようになりました。人が刀をもって向き合うことを「仕合」(今は「試合」ですが)と表記したことからも分かるように、「しあわせ」とは相手の出方に対してどう対応するか、というかなり技術的な問題です。

そもそも、運命の波には善意も悪意もなく、要はその波に乗るなり、立つなりできるかどうか、つまりうまく「仕合わせ」られるかどうか。本人の心構えや技術によるところが極めて大きいはずです。結局、どっちにでもできるわけです。
最初についていると思ったか、ついていないと思ったか、ただそれだけです。「流れにまかせる」『なりゆきという言葉は、普通は良い意味では使われないですけれども、仏教的な世界の認識の仕方は諸行無常です。つねに変わり続けている。これを和語で言うとすれば、「なりゆき」という言葉になるのではないでしょうか。

なりゆきに任せられたら、一番いいと思います。どこに行き着くのかということもわからない。わからないのですが、わからないところに向かって生きていくのが人生だと思います』

小林正観さんは、「流れにまかせる」ことをこう表現している。『頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。「適当に」というのは、「適度に」ということです。「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。
頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、ある方向性でこき使われていることに気がつきます。「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。
それを「立命」の瞬間といいます。』頼まれごとを好き嫌いを言わず、ニコニコしながら引き受ける。そして、運命の波に為合(しあ)わせる。それが、流れにまかせて生きること。為合(しあ)わせることは、幸せに通じる。

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贈る、しあわせ

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 Takashimaya Salon 11

手渡した時の相手の驚きや笑顔、受けった時のドキドキや心躍る気持ち・・・
ギフトをやりとりする数だけ、さまざまな想いが溢れ、忘れられない時を刻む。それは、リアルだからこそ感じられる価値なのかもしれない。
贈るという行為が生み出す幸せな瞬間。

高島屋さんのCMに追加します。
贈るものは、モノに限らない。行為でも、愛情であっても、幸せになれます。

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