ありがとうの神様――神様が味方をする習慣

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小林正観
誰でもできる!「毎日が幸せな人」がやっている習慣

幸も不幸も存在しないそう思う「心」があるだけ
たとえば、ガラスのコップを見たとき、100人が100人とも「これはガラスのコップである」ことがわかります。
お箸を見たとき、100人が100人とも、「これはお箸である」ことがわかります。茶碗を見たとき、100人が100人とも、「これは茶碗である」ことがわかります。

では、100人が100人とも、「これは『幸せ』である」とわかるものは、あるのでしょうか?
すべての人が、絶対的な価値を持って「幸せだ」と思えるものは、存在しません。
Aさんにとっては「幸せ」なことが、Bさんにとっては「幸せではない」ことがあります。「幸せ」は、個人にのみ帰属するものです。「幸せの本体」がどこかにあるのではなく、私が「幸せ」と思えば「幸せ」に、「不幸」と思えば「不幸」になります。

個人が「これは私にとって幸せである」と決めた時に、その人にとっての「幸せ」になるのです。このコップの水は半分しかない。だから「不幸だ、不愉快だ」と思う人がいてもいい。
その反対に「半分あって嬉しい、楽しい」と思っても、あるいは、「半分残してくださってありがたい」と思ってもいい。
「コップの中に半分の水がある」という現象に価値を決めているのは、受け取る側の「心」です。

幸せも、不幸も、外的なもので決まるのではなく、「心」のあり方で決まります。「つらく」「悲しく」「むなしい」と思う事実は、じつは、存在していません。「そう思う心があるだけ」です。
ですから、「つらく」「悲しく」「むなしい」ことは、「そう思い、そう決めつけた自分の結論」です。

30年間病気をしたことのない人が、盲腸で2週間入院をしたとします。そのとき、「病気になったことは、不幸だ」と考えることもできますが、「2週間まとめて休むことができたので、すごく元気になった」というとらえ方もあります。「2週間会社を休んだ」という現象自体はニュートラル(中立)であり、何の評価もついていません。「本人のとらえ方」が、評価(幸か、不幸か)を決めているのです。

ひとつの現象や出来事に、プラスもマイナスも、幸も不幸もありません。
すべての人が、「幸せだ」と言える出来事や現象があるのではなく、自分が「幸せだ」と思った瞬間に、そう思った人にだけ「幸せ」が生じるのです。「幸せ」とは、存在するものではなく「感じるもの」です。

結局のところ、私たちが、目の前の現象をどう思うか、感じるかであって、普通に歩けることが幸せだと思った人には、幸せが1個。
目が見えることを幸せだと思った人には、幸せが2個手に入る。
耳が聞こえて幸せ、口で物が食べられて幸せ、鼻で呼吸ができて幸せ……と考えていけば、「幸せ」はいくらでも手に入ります。
すべての人に共通する「幸せ」はありません。ひとえに「私」が「幸せ」を感じるかどうかで、「幸せ」が存在するかが決まるのです。

〇神様が味方をしてくれる人になる習慣
人は1人で生きていると「ヒト」ですが、喜ばれるように生きていくと、人と人の「間」で生きる「人間」に変わります。人の間で生きるということは、「自分が必要とされている」ということです。

「人間」の生きる目的は、ほしいものを得たり、何かを成し遂げることではなく、「人の間で喜ばれる存在になること」「『ありがとう』と言われる存在になること」にほかなりません。
発する言葉や表情など、その人のふるまいが「まわりを喜ばせるもの」になっていれば、投げかけた結果として、まわりの人があなたにとっての「よき仲間」になってくれるでしょう。

「しあわせ」の語源は「為し合わせ」です。お互いにしてあげることが、「幸せ」の本質なのです。努力をして、頑張って、必死になって、自分の力だけを頼りに生きていこうとする人のもとには、人は集まりません。「孤独という状態」が続いてしまいます。
一方で、「自分の力なんてないんだ」と思っている人は、まわりに支えられて生きていることがわかっているので、「謙虚」です。「謙虚」とは「感謝」すること。「感謝をする人(「ありがとう」を言う人)」のもとにはたくさんの人が集まってきて、「よき仲間」に囲まれます。
教え合い、学び合い、交歓し合う「よき仲間」に囲まれたなら、それだけで「天国度100%」。頑張りも努力もいりません。

ただ、「喜ばれること」を続けていけばいいのです。「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」をただやって、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝する(受け入れる)こと。
「そ・わ・かの法則(掃除・笑い・感謝)」を生活の中で実践することであり、「ありがとう」を口に出して言い、逆に、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言わないこと。
すると、神様が味方をしてくれて、すべての問題も出来事も、幸せに感じて「よき仲間に囲まれる」ことになり、「喜ばれる存在」になる。これこそが「人生の目的」であり、「幸せの本質」なのです。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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