『神さまに好かれる話』

Pocket

小林正観

《今、目の前にいる人、目の前にあることが重要》

私たちの周りで起きているすべての現象、人生のあらゆる出来事に、〈重要なこと・重要ではないこと〉〈大きいこと・小さなこと)の区別は、実はありません。というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、誰も答えられないからです。
何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、それがなければ、今の自分はなかった、ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。

このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。
私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、とりあえずアルバイトとして晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。そのとき、コーラ売り場の前をアメリカ人の夫婦が通りかかり、70歳ぐらいの歳のご主人が足を滑らせて倒れてしまいました。彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとかいろいろ世話してあげたそうです。そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、その夫婦は大変感激し、「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。
彼としては、別にほかにすることもなかったから「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。
彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で大変な出来事だったと、気がつくでしょう。

優先順位とか、出来事の大きい小さい、とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。
人生はドミノ倒しだと思ってください。ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。大きい小さいはありません。重さも全部一緒。それが一個ずつ、ただ淡々と倒れていくだけです。
自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。
社会的な地位や権力といったものを背負ってるかいないかで人を見るのは、まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、人生を成り立たせるうえでは、どれも必要不可欠なことであり、ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人です。一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、その後の人生を組み立てていける、ということです。この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。今、目の前にいる人を大事にすることが、私の未来をつくっていくのです。人生は、その繰り返しのように思えます。

〇「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」
幸福だと思ったことが災(わざわ)いだったり、災いだと思ったことが幸福だったりする。人生の幸不幸は予測ができない。だからこそ、様々なできごとに、一喜一憂してはいけない。有名人や成功者に出会ったから運がよくなるわけでもなく、通りすがりの名も知らぬ老人に出会ったことが、あとで考えると幸運の始まりだった、ということもある。

実践の哲学者森信三
「人は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず一瞬遅すぎない時に」運は人が運んでくる。縁(えん)は絶妙なタイミングで我々にやってくる。ただし、その縁を大事にするかどうかだ。
有名人だから大事にするとか、無名の人だからないがしろにする、というのでは良縁はやってこない。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket