神になりたかった男 徳田虎雄

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山岡淳一郎 

「徳洲会」を築いた男、徳田虎雄の評伝。

「ベッドは、いま苦しんでいる人のためのものや」

「そもそも医療とは何か」と徳田は自問する。
庶民の命と生活を守るものだ。
医者の都合で救急患者を断るのはもってのほか。
すべて受け入れよう。
患者さえ集まれば病院は経営できる。
医療が手薄な過疎地こそ、患者は多いはずだ、と見通した

弟の容態は悪化した。夜が明けて、
虎雄は別の医者を呼びに行く。
状態を聞かれ、「白目をむいている」と伝えた。
昼を過ぎてようやく医者が来たが、すでに手遅れで
弟は冷たくなっていた。
たとえ助からない病気だったにしても、
医者にも診てもらえずに死んだ弟が哀れで仕方なく、
怒りと悲しみが込み上げる

死亡者1552人のうち約22%の348人は
現場から病院への搬送途上で亡くなっていた

徳洲会は徳田個人の創造物ではなく、
ひとつの社会運動体であった

いつでも誰でも診る徳田の実践は、
関心のない者の反感を買う一方で、共感者を強く惹きつけた。
医療者の本能を刺激したのだ

父は、虎雄が出立するとき、こう言い渡した。
「成功するまでは生きて帰るな。
死ぬんだったら、鉄道線路もあるし、海もある」
徳之島には「家梁水粥(やんきちしきばん)」という
言葉がある。
米をひいた粉の粥があまりに薄くて家の梁が映るほどの
貧しさに耐えても、親は子どもに仕送りをして
教育を受けさせるという意味だ。
徳田家は貧しく、家梁水粥の見本のようだった。
父は、長男に命がけの覚悟を求めた

進出阻止で固まった医師会は、宇治市に対し、
徳洲会の進出を認めるのなら、小中学校の校医をボイコット、
予防接種を拒否する、と圧力をかける
学校医のボイコットは逆効果だった。
子どもの生命を人質にとったような対抗策は世論を敵に回す

勝利の美酒に徳田は酔った。有頂天だった。
身内の支持者の集まりで、
つい金丸への2000万円の鼻薬が効いた、と
得意げに喋ってしまう。
その声を録音した者がいた。ここが運命の分かれ目だった

徳田は、使えると見込んだ人間が金を欲しがれば金を、
ポストを求めればポスト、色を欲すれば色、
理想を追いたがればその対象を、瞬時に見分けて与えた

よく『組織ぐるみ』と言われますが、
人と金を動かしていたのは徳田さんとファミリーです。
医療の現場は、与り知らぬところです。
病院や介護施設の現場はひたすら、生命を救いたい、
患者さんを治したい、治らなければ見守りたいと
愚直に取り組んできました。
だから徳田家の人や幹部の動機がどうであれ、
あれだけ巨大な組織になったのです。
誰が上に立とうが、医療は医療なのです

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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