『競争からちょっと離れてみる』

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曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明

座禅をしていると、いろいろな気づきがあります。
ふだんは気づかなかった、小鳥のさえずりや風のそよぎ、
季節の香りといったものが感じられるのです。

「風がこんなにあたたかくなっていたのか。
そうか、もう、春だからな」
「キンモクセイのいい香りが漂ってくる。
秋を連れてきてくれたんだな」と、
そんな思いが心に広がります。

日常生活の中で、心はどうしても
「なにか」にとらわれています。
仕事のことであったり、家族のことであったり、
恋愛のことであったり…。
そのことがとどまっていて心が縛られてしまっている。

じっと座っていると、とどまっているものが溶け出していき、
心がふ~っとゆるみます。
禅語でいう「身心脱落(しんじんだつらく)」。

ここでいう「脱落」とは「解脱」という意味で、
一切合切を放下(ほうげ)し、なんの執着もない、という
「自由無碍(じゆうむげ)」の境地を指します。

なにものにもとらわれない、
心をとどめない自在な状態になるのです。

ですから、気づかなかったことに気づくことになったり、
見えなかったものが見えてきたりするのだと思います。

それとは逆に、心を縛りつけるのが「競争」です。
「同期に負けてなんかいられない。
課長ポストを最初に手に入れるぞ」
「お隣よりいい車を買わないと、プライドにかかわる」
「ブランド品の数では彼女に絶対勝たなくっちゃ」…
他人と競う思いが心を縛るのです。

しかし、必ずしも思いどおりになるとは限りませんから、
今度は屈辱感や挫折感、嫉妬心、無力感といったものが、
心にのしかかってくることになります。

心を縛るものからどう解放されるか。
「あきらめる」ことが、ひとつの方法です。
ギブアップするのではありません。
うまく「手放す」のです。

「勝ちたい」「負けたくない」という思いを
いったんあきらめる。
少しのあいだ脇に置いてみる。
ちょっとそこから離れてみる。
すると、必ず、気づくこと、見えてくるものがあるはずです。

道元禅師「放てば手にみてり」
欲や執着を手放したとき、
本当に大切なものが手に入る、ということです。

たとえば、ポスト争いに躍起になっていたときには
気づかなかった、
自分の仕事のすばらしさに気づくかもしれません。

「自分が売っていたこの商品は、
顧客にこんなふうに喜ばれていたのか。
よし、もっと自信をもって営業に回ろう」

お隣と競い合っていたときには見えなかった、
家族の本当の幸せといったものが見えてくることも
あるでしょう。

「高級車を買ってローンの支払いに頭を悩ませるなんて
バカげているな。
いまの車を大事にして、ときには食事に行ったり、
旅行に出かけたり、
家族で一緒に過ごす時間をたくさんつくろう」

あるいは、ブランド漁りをしているときには知らなかった、
ものへの愛着が芽生えるかもしれません。

「本当に気に入ったものを大切に使うって、
こんなに心地のよいものなんだわ」

上手に「あきらめる」ことには、
座禅にも匹敵するような作用があります。

禅は実践。
ぜひ、すぐにも上手に「あきらめる」ことに
取りかかりましょう。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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