『日本文化の神髄は「ゆっくり」』

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順天堂大学医学部教授、小林弘幸

自律神経の研究をすればするほど、
日本文化の真髄は「ゆっくり」だということが分かり、
そこに、あらためて深い感動を覚えます。

そして、いろいろな逆境や問題に見舞われている今こそ、
もう一度日本文化の本髄=「ゆっくり」に
立ち戻るべきだと感じるのです。

街を歩いていて、うっかりぶつかった人に対して
「すみません」「ごめんなさい」のひと言もいえない。
乗り物やエレベーターに乗るときも、我先にと、
人を押しのけて平然としている。
いったい、いつから私たちは、
こんなに「せかせか」した
国民になってしまったのでしょうか――。

私がイギリスに留学中、たとえば
レストランのドアを開けるときやエレベーターに乗るとき、
大人も子供も、ことあるごとに笑顔で
「アフター・ユー(After you. =お先にどうぞ)」という
言葉をかけてくれた。
そのたびに本当に心が洗われるような気持ちに
なったもので した。

それは日本の「せかせか文化」に染まり、
交感神経ばかりが優位になっていた
私の乱れた自律神経のバランスを整え、
心をほっと落ち着かせてくれる 魔法の言葉でした。

でも、歴史を振り返れば、日本人もかつては
「アフター・ユー」の精神を誰よりも大切にしていました。

たとえば戦後の高度成長期も、
なぜあそこまで日本人が右肩上がりに
バリバリ頑張れたのかといえば、
やっぱり、日常の中のどこかに
「ゆったり」「ゆっくり」という場面が
残っていたからです。

その時代を描いた『ALWAYS 三丁目の夕日』という
映画を観ても
みんな、貧しいながらも、
どこかで、「ゆったり」「ゆっくり」した場面を持ってい ます。

たとえば、近所の人たちとの付き合い、
会社の同僚との付き合い、
さら には家族との食事の時間なども、
やっぱり、なにかゆったりとした人との付き合い、
触れ合い、そういうものが、ちゃんとあるのです。

そして、そんなゆったり、ゆっくりとした時間のなかで
自然な呼吸が戻り、文字どおり、ほっと一息つけた。
それによって、仕事などのストレスで乱れた
自律神経が一気に回復でき、
人生のパフォーマンスを上げることができた――。

じつはそれが、日本が戦後の焼け野原から
あそこまで高度成長できた、大きな要因だと思います。

ところが、バブルが始まったあたりから、
そういう、ゆったり、ゆっくりと した場面が、
日本の日常の中からどんどん失われていった。

仕事が終わって も、携帯電話だ、テレビゲームだ、
ネットゲームだと、みんなすぐそっちへ行ってしまう。
その結果、近所付き合いはおろか、
家族のだんらんの時間も失わ れていった。

そして、みんなの自律神経のバランスが乱れたために、
政治もおかしくなる、経済も不況になる、
無差別殺人などの凶悪犯罪もどんどん起こる ――
というふうになってしまった。

つまり、日本文化の真髄である
「ゆったり」「ゆっくり」の場面が失われたことが、
今のさまざまな問題の根幹にあるのです。

ですから私は今こそ、茶道、華道、武道などの
日本の伝統文化の本当の価値を見直し、
日常の中においては、とにかく「ゆっくり」を
意識することを、ぜひ、みなさんに提唱したいのです。

それは、肉体を健康に美しくし、
自らの人生のパフォーマンスを最高に上げるだけでなく、
私たちの次の世代に向けて、本当の意味で
一人ひとりが自分らしく豊かに幸せに暮らせる社会の
礎を築く鍵にもなると、思うからです。

武道や茶道、あるいは神道の礼儀作法はとてもゆっくりです。
間があるからです。
たとえば、お辞儀をするときは、「残心」が必要だといいます。

残心は、武道でもよく使われる言葉です。
技を決めた後でも、相手の反撃に対して油断をしない、
という心的態度であり、かまえでもあります。

剣道では、一本とったあとガッツポーズなどしようものなら、
驕りや慢心があり、「残心なし」とみなされ、
一本を取り消されることもあります。
残心は、最後まで気を抜かない、深みのある美しい所作です。

ほとんどの人は、お辞儀や礼をしたあと、
頭を下げて何秒かそのまま待っていることができず、
すぐに顔を上げてしまいます。
そういうお辞儀や礼は、
ちょこんと頭を下げるだけの、
心のこもらない軽いものとなってしまいます。

頭を下げたあと、さらに何秒かその状態で待っているのは、
我慢の「間」で、心の余裕が必要です。
そして、余裕のある人には、また会いたいと思わせる
余韻を感じます。
まさに、「ゆっくり」が人の魅力を形作ると言えます。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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