「笑点」

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立川志らく

笑点は大嫌いだった。当時は落語イコール年寄りの娯楽というイメージが強かった。そして現代からずれた昔の笑い話だと世間から思われていた。私は落語こそが、世界最高のエンターテインメントだと信じていたから、そのイメージを払拭させたかった。その元凶が笑点だったからだ。

当時は他に落語番組が無かった。落語がメディアに乗るのは笑点。若者が最初に落語と出会うのも笑点。笑点が落語の最高峰、つまり大喜利をするのが落語家にとって最高のステイタスと思われるのが堪らなかった。

笑点を作った師匠・談志の考えは違った。「何でも構わないから、落語家は売れろ!」だった。自分が司会をやっていた頃の笑点と比べ、近年の笑点の内容には不満を持っていたが番組が繁盛する事は落語界においてはプラスだと考えていた。年寄りの娯楽なんてイメージは、手前の力でなんとかしちまえという事だ。

現在の私の考えは、ようやく師匠に近づいてきた。テレビの落語に与えるプラスの大きさを知ったからだ。笑点は、よくぞ今までテレビと落語を結び付けていてくれた。現代落語における功労者だ。

年寄りの娯楽で何が悪い。若者より人生を経験してきた年寄りが喜ぶものなのだ。落語というモノは、馬鹿には分からない芸能なのだ。人間を年代で差別するなんて愚の骨頂。年寄りでも感覚の鋭いのは山ほどいるし、若者のくせに鈍いのだってたくさんいる。この国に落語がある限り、ずっと続く番組であって欲しい。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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