『慎み深く生きる』

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筑波大学名誉教授、村上和雄

科学用語のひとつに、
「最適規模」や「最適値」という言葉があります。
ある環境の中での最適な数や量のことで、
長いスパンで見れば、
自然界ではきわめて巧妙に
この最適規模、最適値が守られています。

たとえば動物は、置かれた環境の中で数が増えすぎると、
その後、逆に減っていきます。
エサとなる食べものが足りなくなったり、
過密さからくるストレスが増えたりして、
集団としての維持が不可能になってくるからです。

植物は大地に根を生やし、成長して実をつけます。
その樹液や花の蜜、木の実などを食べる
虫や小動物がそこに寄ってきます。
さらに、それらを捕食する動物がいます。
死んだ動物は土に還り、微生物によって分解され、
新たに植物の養分となります。
実に見事な循環です。

このように巧みな循環がなされているからこそ、
自然界は過不足なく、
最適規模や最適値に保たれるのであり、
どこかでその連鎖が断たれたときには
大きな問題が生じます。

しかも厄介なことに、短時間では、
その連鎖が断たれたことに気づかない。
気がついたときには、
すでに取り返しがつかない状況に陥っている。

木を切りすぎると、最初はそこをねぐらにしていた
小動物たちが少なくなったと感じる程度ですが、
その時点で、すでに負のスパイラルに入っています。
やがて森は荒廃し、
むき出しの大地は枯渇し、砂漠化してしまいます。

以前、私は1万個以上の実をつける
トマトの巨木を見たことがあります。
そのトマトは太陽光と水と空気で成長したもので、
土とは無縁な環境で育てられたものでした。
土は、トマトが持っている成長能力を抑えます。
だから、普通のトマトでは、
1本の木で1万個以上も実をつけることはあり得ません。
それは生態系全体の中で、
適正な成長規模を守っているからです。

遺伝子情報としては、
1万個の実をつけさせる能力が
トマトには書き込まれているのかもしれません。
しかし、生物と自然との関係、
さらに生物同士の関係の中で、
その能力の発現はある一定のレベルに保たれ、
それがフルに発揮されることは通常はありません。

そのようにして生態系という
高次なレベルで秩序が保たれていくため、
自然界には最適規模や最適値があるのです。
それは自然界の「慎み」と.言えます。

もちろん、この自然界の中には人類も含まれます。
人類は際限もなく科学・技術を発達させ、
過剰に生産の拡大や資本の増強を図り、
資源やエネルギーを消尽しています。
そこには、慎みのかけらも見られません。

無際限な拡大や限度を超えた消費は
人間を幸福にするどころか、
むしろ心を虚しく、貧しくしている。

慎みの心を持ちなさいと命令口調で言われても、
それで本当に慎みの心を持つことは難しい。
そこには前提となるものが必要です。
それは、人間もまた、
自然の申し子だということに気づくことです。

すべての人間は大自然の一部であり、
その大自然によって生かされているのであり、
自分の力だけで生きている人間は
ただの一人もいないということを
正しく認識することです。

人は、慎みを忘れたとき、傲慢となる。
慎み深いとは、「足るを知る」とか
「分をわきまえる」とか、
「身の程を知る」ということでもある。

我々も大自然の一部であることを自覚し、
限りある資源を大切に…
慎み深く生きるべきですね。

エンジオイル、OEM仲間の経営塾より

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『生き方の演習』

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塩野七生

多くのことに好奇心をもつのは自分を豊かにすることになるだけでなく、独創の出発点になります。ところが、自分の気の合う人たちだけとか、自分が好きなことだけしかしないとか、そういうことを言う人がいますね。こんなことは、あなた方の若さで言わないでください。そういうことが言える、言ってもいい年齢というのは、まあ、70歳以上です。

70までの蓄積がありますから、それで適当に楽しむことができますからね。でも、15歳とか20歳で「いえ、僕はもうこれしか関心がありません」などと言うのは、無刺激、無菌の状態を作ってしまうことになります。蓄積のない、何もない状態のままで行こうという訳ですからね。そんなふうに行くと、ちょっと強力な菌が来た時に、まったく抵抗力なくやられてしまいます。だいいち、そんな生き方、そんな人生は面白くない。

では、刺激に免疫をつける生き方とはどういうものかと言うと、やっぱり、色々なことをやってみることです。自分に合わないこともたくさんあるし、傷つくこともたくさんあります。でも、傷つかないままで行くと、一度傷つくと大変な騒ぎになります。だから、時々は傷ついた方がいいんです。抵抗力を養うためにも。そのためには、自分を開放する方がいい。

読者の方々を見ていると、「あっ、この人は上に行ったら伸びそうだな」とか、「だめだな」というのが分かるんです。これには二つの特徴があるんです。
まず、好奇心が強いかどうかということです。好奇心というのは、言い換えれば、自分の殻を被って他を拒絶するのではなく、自分を開放していくことです。そういう開放的な人って、これから伸びていく可能性がある。
それと、もうひとつは、大胆であるということです。大胆なこととは、あまり恐れないこと、傷を恐れないということです。若い人にしか許されない特権ですから、やっぱり若い人はこれを活用なさるのがいい。

いま、日本の中高年は、大胆になれと言われているのに一向になれなくて、あたふたしています。これは若い時から訓練を積んでいないからなんです。そういう人たちが、そのまま何ごともなく戦後50年をやってきて、それが今、突然、自分たちで決めなくてはいけないという事態にぶつかったんです。しかし、情報の集め方も知らなければ、選択肢は1つに絞ることの他はまったくできない。これまでとはまったく違う事態に直面させられて、どうすればいいのか、決定することができない。これから生きていこうとしてるあなた方には、やはり、開放的で大胆であることを身につけていただいて、今の大人たちとは違った臨機応変なフットワークを身につけて欲しい。

〇「大胆、不用意」行徳哲男師
先の見えない不確実な時代は、どんなに準備をしたり、用意をしたところで、うまくいかなときはいかない。大胆になることは、ある種の開き直りが必要だ。どうなってもかまわない、いつかは死ぬのだから、という肚のくくり方だ。
年を重ねるにしたがって、この大胆になる勇気がなくなってしまう。
好奇心がなくなり、守る姿勢に入ってしまうからだ。そしてその時は、未来も失う。自分を開放できる人は、バカになれる人。傷つくことを恐れない人。だから、大胆になれる。いくつになっても、好奇心を持ち、大胆でなくてはいけない。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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教皇たちのローマ

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石鍋真澄

教皇の多くはイタリアの大都市貴族出身だ。カトリック教会の首長でありながら、教皇国家の世俗的君主である。

権謀術策うず巻く枢機卿会議で選ばれた一代限りの権力者だ。そのため彼らは、在位中に聖職売買や血族登用を乱用して利権をむさぼり、大邸宅を立て、金銀財宝や古代の美術品の収集に熱中した。

その一方で、ブラマンテを起用してサン・ピエトロ大聖堂の歴史的改築事業に着手したり、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の大天井画の制作を依頼して絵画史上の最高傑作を生み出すなど偉大なパトロンとしての役割を果たした。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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絡み合う樹 

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ディヴィッド・クォメン

ヒトのゲノムの8%がウイルスに由来する。胎盤形成はウイルスの仕業などと、ウイルスが跳躍的進化の引き金となっている可能性は大きい。

ヒトの身体は37兆個の細胞でできているが、その3倍の細菌と共生している。ネアンデルタール人など絶滅人種のゲノムの数%が現生人類に残っていて、それらの中には環境適応に役立つ遺伝子もある。

私たちの細胞やゲノムは他の生物からの寄せ集めだ。いったい個体とは何なんだろうか ?生命の樹は天に向かって一直線に伸びているわけではない。樹幹から伸びた枝のいくつかは別の幹と交わる。
科学の発展のプロセスも同じだ。個性的な研究者たちが影響しあい、競争し合って絡み合う樹さながらに事実を積み上げていく。

エンジンイル、OEM仲間の経営塾より

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平成アイドル水滸伝

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太田省一

昭和のアイドルはテレビの歌番組を中心に活躍した。それが無くなってからの平成のアイドルを否定的に見る傾向がある。それは逆に言えば、歌番組以外にも、活躍の場所が拡がったとも言える。

CMで人気に火が付いた宮沢りえや広末涼子。圧倒的なライブパフォーマンスで男女の区別なく支持を得た安室奈美恵。テクノポップとアイドルという意外な組み合わせのPerfume。バラエティーアイドルとしてお茶の間にも浸透したモーニング娘。アイドルがより身近になり、昭和以上に社会とともに歩むという側面が強まった。

他人数化も顕著だ。モーニング娘に始まり、AKB48で頂点に達した。アイドルがバラエティータレントや女優として活躍し、彼女たちの個性を収容する場がグループになった。
アイドルグループ=学校という視点も織り込んだ。学校という枠からはみ出したり、こぼれ落ちた個性を受け止める共同体の機能をアイドルグループが持つようになった。例えば元乃木坂46の生駒里奈さんは学校生活には馴染めなかったが、乃木坂に入って初めて居場所を見つけたと言う。ファンもアイドルを応援することで、コミュニティの一員となれるという感覚が強くなった。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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シェルパと道の人類学 

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古川不可知

ヒマラヤなどの山道は危ない。踏み跡の小道はたやすく崩れ、風雪にかき消される。登山客を案内するシェルパたちは、消えた道筋を見出し、歩きながら道を作り出す。そんなシェルパたちの営みと、彼らの身体と山の接触から生まれる道のダイナミズムがある。

流動的な山の天候や地形の変化に合わせて、シェルパはその都度、道を探さねばならない。彼らは周囲に注意を向け、その中に身を浸しながらも、環境に飲み込まれないよう、道を歩む自分を覚醒させておく。過酷な山岳地帯で道を見失うことは、死を意味する。そんな彼らの姿勢の中には変転する自然への恐れと、その中で生命を維持するための実践的な知がある。
それは堅固なインフラを整備することで人間にとっての平常を保とうとする一般人の態度とは違う。より柔軟な自然との関わり方だ。

いくら最新装備を身に着けても、いざ山に入れば環境と自己の身体が織りなす関係性の中で一歩一歩、即興的に道を見出していくしかない。そこにはシェルパとしての自負やアイデンティティに先んじて、生命を維持するために環境に飲まれまいとする本能的な自分の立ち上がりがある。
自然に打ち勝とうとするのではなくて、自己を超える自然を恐れ、その変転に注意を払うこと。それは山に入る人がおのずと身に着ける姿勢だ。この私がいとも簡単に自然に飲まれる存在であると知っているからこそ、本能的に立ち上がって来る私の働きに身を委ねる。そのために、人は山に行くのだろう。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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プログレッシブキャピタリズム 

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ジョセフ・E・スティグリッツ

資本主義は、新自由主義者が主張するほど効率的でもないし、安定している訳でもない。一生懸命働けば成功できるとするアメリカンドリームは、もはや神話に過ぎない。多くの労働者を置き去りにする形でグローバル化や金融の自由化が進展し、技術革新によって一握りの企業に市場支配力が集中した結果、経済は低迷した。

ゆがんだ民主主義によって、限られた成功の果実が極めて不平等に分配されてきた。経済を成功に導くためには公平なルールが必要だが、政治によって、特定の階層に有利にルールが決められてきた。自由競争のためのルールは骨抜きにされ、捻じ曲げられてしまった。

まずは、大半の市民が恩恵を受けられるように、アンバランスで、利己的で、近視眼的な政治の大胆な改革が不可欠だ。今のままでは、経済的分断が政治的分断を生み、政治的分断が新たな経済的分断を引き起こす悪循環に陥る。
一部に権力が集中するルールを改革し、万人を豊かにする進歩的な資本主義社会の構築が急務だ。累進的税制などの採用によって、機会均等や社会的公正を回復させることは可能だ。しかし、それには法の支配を通じて権力者から一般市民を守るという米国本来の価値観に立ち返り、多数派の意見が反映される体制が必要である。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『品格を磨く』

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高野登

昔々、魏の国の王様が斉の国の王様と、あるところで出会いました。さっそく魏の国の王様は、斉の国の王様に自慢話を始めました。私の国には夜も照らすような大きな素晴らしい珠が十個もあると。斉の国の王様は答えました。
「私の国には、そんな素晴らしい宝物はありません。私の国にあるのは、農業なら農業、こういうものを作るといったら、それを作る、物を運ぶ仕事なら物を運ぶ…一つひとつの仕事を誰よりも一生懸命やって一隅を照らすような人たちです。そうした人たちこそが、わが国の宝です」

それを聞いた魏の国の王様は、斉の国の王様の前に手をつき、ひれ伏しました。この中国のお話をもとにしたのでしょうか。
天台宗の開祖、最澄は、その本の中で、次のように記しています。「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり」すなわち、「お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精いっぱい努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何もにも代えがたい貴い国の宝である」と。

「一隅を照らす」という言葉はここから生まれたとされます。斉の国は、いまから二千五百年も前の中国の国、最澄は平安時代の人ですが、そこで言っていることは、いまも変わらぬ真実です。と同時に、ここで注目すべきは、斉の国の王様の言葉が、魏の国の王様の中に、思わずライバルの前にひれ伏すほどの「パラダイムシフト」を起こしたという点です。魏の国の王様の世界観、人生観を変えたのです。

それまでは、国にある見事な珠こそが国の宝だと思っていたのが、国の民こそが何よりの宝であると気づいたのですから。自分の足下にあるものと向き合ってみようという姿勢、自分の民と向き合おうという姿勢、まさに、王者の「品格」です。もし、組織のリーダーがいっしょに働いているメンバーと本気で向かい合って、この人たちこそがこの組織の宝物なのだ。
わが社が誇るべきは、立派なビルでも商品でもなく、この人たちなのだと気づいたとしたら、そのリーダーは「品格」を持ち始めたことになります。と同時に、組織全体が「品格」を持ち始めるのです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『かっこよく生きる』

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斎藤一人

品がいい人ってかっこいいよね。「かっこよく生きる」って、すごく大切なことなんです。“イヤな金持ち”ばかり見ていると、「金持ちってイヤだなぁ」って思います。でも、金持ちでもいい人で、かっこよかったりすると、その人のことをマネする人が出てくるんです。だから、かっこよく生きるって、人のためにもなるんだよ。

人は、「憧れた人」には近づこうとします。ヤクザに憧れる人もいるんです。でも、それよりもかっこいい人がいたら、必ずその人に憧れるんだよ。だから、かっこよく生きるってすごく大切なことなの。「自分がどれだけ徳を積んでいるか」とか、そんなことを言うのではなく、相手の立場で話ができるってかっこいいよね。

親鸞上人でも、ある人に「あなたのお弟子さんたちはすごいですね」って言われた時に「私には弟子はいません。あの人たちは私の師匠です」って言ったんだよね。言うことがかっこいいと、人はそこに“美”を感じます。

スピリチュアルっていうのは「内面のかっこよさ」なんだよね。芸能界は主に「外面のかっこよさ」を競うけど、これからの時代、それに負けないくらいスピリチュアルもかっこよくないとダメなの。なぜかっていうと、かっこいいから人はついてくるんだよ。言ってることが正しいからじゃないの。理屈をいくら話したって、理屈じゃ人はついてこない。「その人に惚れる」っていうことが大切なんです。

影響力を使って人を動かそうとするけど、その人がかっこよかったら、言うことを聞くんだよね。それで、人を影響力で動かそうとする人って、人を変えようとするんです。でも、変えようとすると人は逃げていくんだよ。いつも説教しようとする人からは離れていきます。

それよりも、相手が惚れちゃうような生き方をすればいいの。そうすれば、人は自然とついてくるんだよ。今、みんなスマートフォンとか持ってるよね。それで、これさえあればなんでも調べられるの。東大の試験に出るような問題だって知ることができます。
そうなった時、これからの時代に人が何を求めるかというと、学歴よりも“人格”であり、“魅力”なんです。もちろん、学歴は必要だけど、それ以上に人から好かれることが大切だよね。

これからの時代、社長でも先生でも、人に対して影響力を与えたいなら好かれないとダメなんです。お釈迦様もキリスト様もきっと、多くの人から好かれてたんだよ。難しい顔とかしたりせず、いつも優しい顔をしてたんだと思うよ。きっと、自然と「この人についていきたい」と思わせる顔をしていたんだよ。愛が顔に出てたんだよね。

エンジオイル、OEM仲間の経営塾より

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『拡大より内部充実が先』

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北川八郎

経営が少し順調になると、野心家や有名好きな経営者はすぐに拡大をしたがります。しかし、ずっと繁栄を続けたいならば、その前に拡大よりも充実が先です。

これはいけると思うと、大体の経営者はすぐに全国に支店とか営業所をつくり、社員数を増やし、社員の給与を上げることをしなくなります。それは男性の本能的なものかもわかりません。ちょっと大きくなると、すぐに「会社が大きいことが自分の大きさの証明」と次々に支店をつくってしまうようです。
支店をつくって拡大するより前に、社や組織や人材の充実を図り、技術の向上と商品の汎用性をよく高め、会社の理念をはっきりさせ、システムを整え、組織や社員に対する給与や他の保障を高くし、整える必要があります。

自分だけが潤うための「大きいばかりがいい会社」は良くありません。一時的にうまくいって、どんどん拡大し二店目、三店目、あっという間に十店目となると、人材不足と借金の増大により、社会の動向の変化に追いついていけなくなります。先見性のない拡大はあっという間に潰れてしまいます。なぜなら、支店を任せられる社長の望みどおりの能力のある人材は少ないからです。急な人材の育成は追いつかないことがほとんどです。
順調になってきたらまず動機の純粋性に基づいて拡大が社会奉仕につながるのか、なぜ今、拡大が必要なのか、技術は追いついてきているのか、自分よりも社員や地域は潤っているのかを落ち着いて考えてみることです。

人材の育成と社内の充実、設備とサービスの改善を図ること、社内とお客とのコミュニケーションの充実を、それから社内教育体制の確立、技術能力の育成、製造能力など先にやるべきことを縦に並べ、順にこなし社内を充実させることが大切です。そして、順調な先を歩む経営者を見習って、確実に信用をとった時に、それから少しずつ拡大すればいいのです。人々の役に立つ想いに目覚めた支店長を増やしていくのは正しいことですが、ただ利益のために拡大を先に目指した会社は、途中で消えていくのをたくさん見てきました。

迷ったらやめることです。…覚悟ができたらやりなさい。会社は、「拡大より内部充実が先」とは、人についても同じことが言える。どんなにお金や地位や肩書を得たとしても、人間的に問題があったら、いつかどこかでうまくいかなくなる。当初はお金や地位に目がくらんで付き合う人がいたとしても、人格や品性といった本質的な魅力がない人は、「いやな奴」とやがて人は離れていくからだ。

会社においても、立派な本社や社長室や車など、目に見えるところで見栄をはる経営者は多い。会社経営において最も大事なことは、規模の拡大でも、支店の数や、社員の多さでもなく、伊那食品の塚越 寛会長の言う「いい会社を作ること」。
いい会社とは、そこの勤める人たちがその会社を誇りに思える会社だ。いい商品や製品をつくり、いいサービスをし、経営理念を皆が理解し、社会貢献し、そこに勤める人や周囲を大事にする会社。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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