天に徳を積む

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天理教本部長、山田清治郎

日々通らせていただく心によって、人は埃を積むか、徳を積むか、いずれかである。

世の中に、こういう人がある。おれは他人の世話にならぬが、その代り他人の世話もせぬと言うて、これが当たり前と思っている。こんな人は、如何に徳が在ろうとも、日々に減らす一方である。

それを、日々に人の助かるよう、喜んでいただくようにと、心がけたなら、徳はますます積まれ、埃も払わせていただけるのである。
今日の人は、なるだけ働かないで得を取ろうと頑張っている。人の見ている所では人一倍働いて、人のおらぬ所では怠ける。十分のうち八分しか仕事をしないで十分のお礼を受ける。それは、人は知らぬけれど天が知っている。後の二分は、天に借金していることになる。

世の中では、そういう人を才子や、出来る人と言うが、神様から見れば、埃を積んでいるのである。その埃が積もり重なって、病気災難に遭うようになるのである。
それを反対に、八分すべきものを十分働いて、人の為に尽くしてやったならば、世の中では、馬鹿や阿呆と言われるけれど、神がお見通しである。
余分に働いた二分は、天に徳を積んでいるのである。そして、その徳により、日々自由を叶わせていただく事ができるのである。

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