『なぜ与太郎は頭のいい人より上手くいくのか』

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落語家、立川談慶

談志は弟子にはよく、「囃されたら踊れ」と言っていました。与太郎はまさに囃されたら踊る体質でした。それは「囃されない限りは踊らない」ことも意味していました。何をやるにしても、いつも周囲が与太郎に仕込んでいました。与太郎が自発的に何かをやろうとしているシーンは、ほとんどありません。談志の「囃されたら踊れ」は、「与太郎的資質を持つような人間が落語家になれるのだ」という思いで言っていたのかもしれません。

「囃され上手な体質になれ」という意味でもあるようにも思えます。そもそも踊りは囃しに合わせて舞うものです。こう考えてみると、一見、受け身で消極的にすら感じる「囃されたら踊れ」は、じつはものすごい高度な意味合いを持っているのではと察します。自分一人で他者を巻き込もうとするパワーも大切ですが、周囲から「巻き込もうとする力」の方が、はるかに甚大です。とにかく談志の言葉は、短いのに深いのです。常に補助線を引かないといけない

「周りを信じてみろよ。そこに身を委ねてみた方が絶対面白いぞ。そこから見える景色はきれいだぞ」なんて、言いたかったのかもしれません。さて、ここからはかなり飛躍したことを言いますが、談志は生前、アドバイスとして、「売れたきゃプロデューサーと仲良くしろ」とも言っていました。プロデューサーは「囃す側」の立場の人です。ディレクターが現場責任者なら、プロデューサーとは、俯瞰かつトータルに見つめなければならない人のことです。
「囃されたら踊れ」とは、「第三者的なポジションに位置する人の方が、お前のことをよく見ているはずだ。向こうの話に、乗ってみろ」、つまり「調子には乗れ」と言っていたのではと確信します。囃されたら踊る与太郎と、弟子には「囃されたら踊れ」と発破をかけ続けた談志とが、またまたここで結びついた格好ですが、

両者共々、「人を信じること」を大前提としている気がします。自らが中心となって、積極的に踊り続けてここまで来た人は、周囲から囃されるのを待ってみてはいかがでしょうか?そんな時間も絶対必要なはずです。「こいつなら面白そうだから、ちょっと囃してみようか」とそんな人が現れてくるのを、ゆったり構えるのも手です。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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