『京大式DEEP THINKING』

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川上浩司

「深く考える」とは、たとえば未知のものを目にしたとき、
それは何かを、考えて考えて考え抜いたすえに、
まったく新しい概念が自分の中に形作られることだ

既知のものであっても、新たな面を見ようと
思案する道筋そのものが「深い思考」となり、
それによって発想の転換も促される

ビジネスパーソンは、決して「ライン生産方式」で
働いているつもりはないだろう。
少なくとも「何も考えない歯車になりたい」と
夢見る人は滅多にいない。
だが皮肉なことに、便利さと効率ばかりを追求していると、
ビジネスパーソンも日々の仕事を
「ライン生産方式」かのようにこなすようになってしまう

点を取るには大量の知識をインプットする「勉強」が必要で、
深く考えていたらその効率は下がる。
「本当か?」と深掘りしている時間があるなら、
問題集の答えや解法を鵜呑みにして量を稼ぐほうが得策だ。
結果として、「深く考える」ことが
おろそかになってしまいがちである

「即応即答」で考える力はつかない

「目の前のものは、すでに自分の中にある概念と同じだ」と
認識・確認する作業が、一般に私たちがいつもしている
「考える」作業のほとんど
これは乱暴にいえば、目の前のことと
自分の知識の答え合わせみたいなものだ。
だから、「考える」だけなら時間はかからない反面、
新しい着想は生まれにくい

「深く考える」とは「一工程、意識する」こと

「セル生産方式」といわれる
すべての工程に1人の人間が関わる進め方だと
1から10まで自分が関係することになるので、
各タスクの意味が自分事としてわかる

ユニークという要素とは「価値がある答え」に不可欠なもの

約束事が不可欠な仕事の世界に、
鉛筆でメモを取るという「物との約束」を介在させるのは、
意外にも信頼感を補強する方法として合理性がある

「人との約束」がどこにもかしこにも入り込んでいる世界。
いつなんどき、「嘘」になっても不思議はない世界。
これは脅しでも冗談でもない。
私たちはこれから、そういう世界を生きることになるのだ。
いや、すでに生きているのである

「実感」は「意識する」ことにつながり、
「意識する」ことは「深く考える」ことにつながっていく

「客観と主観の切り替え」で説明レベルを上げる

「減る」というのはまさに「物のコトワリ」だから、
自分とモノとのインタラクション(関わり)において
実感を乗っけてくれる

「手段」を引いて一瞬不便にすることは、
「何か自分で工夫しよう」
と能動的かつ深く考えるチャンス

「より信じるために少し疑う」という姿勢を持とう

断片的な事が多く、体系的な「DEEP THINKING」と
いうものは存在しないことがわかります。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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