『人はなぜ戦争を選ぶのか』

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トゥキュディデス

新興国家が台頭し覇権国家の不安が増大すると両者は必ず軍事的に衝突する
トゥキュディデスでは紀元前431年にペロポネソス戦争が勃発した原因として、巷でその説を唱える者は皆無であるものの、最も真実に近いのは「アテネがあまりに強大になり、スパルタがそれを恐れたから」だとしている

たえず自らの力を増大させ、行使することを求めるのが人間や国家の本性
隣国が、対等な国家を相手に手続きを無視して要求を突き付けてくるとき、要求がなんであれ、その目的は相手の隷属化にほかならない
所有する土地や家屋のことは忘れ、海と都市を守ることだけに専念するのだ

幸福とは自由で、自由とは勇気なのだから、戦争の脅威を前に尻込みしてはならない
至高の犠牲とは、守るべきものがある者が、その幸福な生活を懸けて戦うことだ

卓越さに対して最高の報酬が約束されている都市には、最高の市民が集まるのだ

個人が繁栄していても、都市そのものが瓦解しようとしているのであれば、いずれは個人も道連れとなってしまうだろう。反対に、個人が窮状におちいっていても、国家そのものが繁栄しているのであれば、個人が浮上する機会はいくらでもある

多少の犠牲を払っても「自由」さえ担保できれば、失ったものは容易に取り戻すことができる。一方、相手に服従してしまえば、現在手にしているわずかなものまで失ってしまうだろう
仮に両者の運が同じだとすると、勇気の安定した基盤となるのは、知識の優越性から生まれる自信である

正義とは、対等な相手に求めるものである

国家が弱さを見せたとき、戦争は起こる

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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