堀正岳

■どんな情報がバズるのか、

あらかじめ知ることは困難だ。

あらかじめわかっているならば

誰もがそれについて発信する。

だから、書き手はその記事に

人気が出るかどうかの確信もないまま、

先に情報をウェブ上に置くことが必要だ。

まず発信しないと、何も始まらない。

また、ウェブにおけるコンテンツの多くは無料で、

読者を得る機会という意味では公平だ。

だからこそギブ&テイクを考えすぎて

出し惜しみしをしていては、

他の出し惜しみをしない人に機会を奪われてしまう。

情報発信は誰に求められずとも

ギブからか始めることだ。

■情報は誰かに発見されることによって

価値が生まれる。

サーバー上に寂しく存在するデータのままでは

それは存在しないも同然で、

誰かがそれを発見し、他の誰かにシェアすることによって

情報の価値は後付けで決まってゆく。

たった一つの情報から世界が変わった事例も、

数多く存在する。

「知らない誰かへの贈り物のように情報発信をすること」

そのへんに転がっているありきたりな情報を贈られても、

それを押し付けられた人は気まずい雰囲気になるだけ。

むしろ、あなたの個人的な「知的な積み上げ」が生み出した

新しい情報を、あなただけに見えている世界を発信する、

親しい人への手紙のように、

求められる前に先に発信することによって

情報発信は贈り物になる。

これは実際的な利点のある戦略でもある。

従来の「作家」や「ジャーナリスト」といった肩書きは、

出版できる人や取材対象へのアクセスを許された人々が

少数であるという前提の上に成り立っている

かりそめの肩書きだ。

出版の仕組みがブログやソーシャルメディアといった形で

民主化し、取材方法が多様化すれば、

誰にでも作家やジャーナリスト的な役割を演ずることが

可能になり、

その情報の価値は内容によって評価される。

自分の発見や考えを発信することを通して、

たった一人の知的生活の成果を世に問うことが

可能になっている。

しかしまずは、贈り物のように、

見返りを期待することなくギブしないと始まらない。

それが運良く誰かのもとに新たな刺激として伝わるなら、

知的な積み上げは、贈り物のような発信を通して

一つの閉じた円環のようになり、

どこかの誰かの、次の積み上げに役だっていく。

また、その発信に対する応答が

結果的に想像もしなかった人から帰ってきたら痛快だ。

「知的生活」には記録すること自体が価値になり、

知的な積み上げは財産だ。

つまり、本だったら月に何冊読んだか、

それを記録しSNSでアウトプットする。

音楽だったら、映画だったら、と

それらの情報を積み上げていく。

数字と量を意識することで、5年、10年たって、

長い目でみて、自分がどれだけ成長したかを知ることができる。

現代は、あらゆるものが「ライフログ」という、

生活をデジタルデータとして記録することが盛んだ。

体重や歩数の記録、映像の記録など、

最近では、ブログや家計簿アプリなどもライフログと呼ばれる。

つまり、日々の行動記録(履歴)のことだ。

生活や生き方を数字として「見える化」することは、

自分を客観的に知るための大事なツールだ。

「知らない誰かへの贈り物のように情報発信をする」

情報発信は、「キュレーション」という

集めた情報をつなぎ合わせて、

別の新しい価値をもたらせて

共有することでもある。

ケチケチせずに、自分の知り得た情報を発信し続ける。

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