『「挨拶とは、僕は君という人間が僕の世界(心)に

存在することを認めていますよ、許しているんですよ」

という相手に対する合図だ。

ということは、もし出会った人に挨拶しないということは、

「僕は君という人間が僕の世界(心)に存在することを

認めていませんよ、許していませんよ」

という合図になる。

だから挨拶しないということは相手に対して

とても失礼にあたるし、

挨拶されない人もとても腹が立つわけだ。

AさんがBさんに挨拶しないとする。

BさんはAさんに挨拶しても全然挨拶が返ってこないので、

次第にAさんに挨拶しなくなる。

これを先ほどの「認める、認めない」の議論を元に考えると、

Bさんは次第に「自分の世界(心)にAさんが存在すること

を認めなくなる、許さなくなる」。

挨拶とはギブ・アンド・テイクのものなのか。

見返りを求めてしているものなのか。

そうではない。

好きな人も、嫌いな人も、みんな自分の世界(心)の内側

に存在することを許し、認めることができる。

挨拶はそんな器の大きな人物(徳の高い人)になるための、

とてもいい練習なのだ。

自分がした挨拶に反応があってもなくても、

それは問題ではない。

すべての人を許し、認めることができる。

私がそんな大きな人物となれますようにと祈りを込めてする

「挨拶行」なのだ』

多くの人は、誰かに何回か挨拶をして、

挨拶が返ってこないと、

その人には二度とあいさつをしなくなる。

また、自分より年下や、役職が下だったりする人から、

「相手から先に挨拶がなかった」、と腹を立てる人もいる。

いずれも、高慢の種が芽生え始めたあらわれだ。

相手から挨拶が返って来ようが来るまえが、

修業として挨拶をし続けるのが「挨拶行」。

挨拶は器の大きな人物(徳の高い人)になるための、

とてもいい練習だ。

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