藤原和博
日本はすでに成熟社会に移行して久しいというのに、
それを現実のものとして理解している人がとても少ない。
この成熟社会というものに対する理解がないまま、
読書の意味を考えることはできない。
20世紀型の成長社会が象徴する
「みんな一緒」という時代から、
21世紀型の成熟社会が象徴する「それぞれ一人一人」
という時代に変わった。
電話の変遷を考えるとわかりやすい。
かつて、電話は一家に1台置かれた状態が
常識だと考えられてきた。
「みんな一緒」の固定電話から、
「それぞれ一人一人」のケータイ電話になってきたことが、
時代の変化を如実に表している。
「みんな一緒」の時代には、
日本人にはパターン化した幸福論があった。
日本人が共通の正解として持っていた
「みんな一緒」の幸福論だ。
お父さんやお母さんや先生の言うことを素直に聞いて、
「早く」「ちゃんと」正解にたどりつける
「いい子」にしていると、
「よい高校」や「よい大学」に入ることができる。
「よい大学」に入ることさえできれば、
上場企業や有名企業などといったいわゆる
「よい会社」に入れたり、安定した公務員になったり
することができた。
そこにどうにか潜り込むことができさえすれば、
少なくとも課長くらいにはなれて、
それなりの金額の年収を手にすることができた。
よほど大きな問題さえ起こさなければ、
定年まで勤め上げることができる。
そうすると、まとまった金額の退職金を
手にすることも可能だ。
これが、20世紀型の成長社会における
典型的な日本人としての幸福論だった。
こうした「共同幻想」を、
みんなが一緒になって追い求めていた時代なのである。
しかし、成熟社会になると、
ただやみくもに頑張っているだけでは
「みんな一緒」の幸せをつかむことはできなくなる。
成熟社会では、「それぞれ一人一人」が自分自身で、
世の中の流れと自らの人生とを鑑(かんが)みながら、
自分だけの幸福論を決めていかなければならない。
それぞれ一人一人が自分自身の幸福論を編集し、
自分オリジナルの幸福論を持たなければならない時代に
突入したのである。
「それぞれ一人一人」の幸福をつかむための軸となる教養は、
自分で獲得しなければならない。
そのためには、読書が欠かせない。
親が教えてくれるのは、親の生き方であり、親のやり方だ。
ところが、その親たちは、黙っていても7割方が
幸福になれる時代を駆け抜けてきた人たちなのだ。
親の言うとおり、先生の言うとおりに生きたとしても、
うまくいく保証はひとつもない。
親や先生にとって成熟社会は、未知の世界だからだ。
だとしたら、自ら切り拓くしかないだろう。
だからこそ、人生の糧を得る手段として
読書をする必要があり、教養を磨く必要があるのだ。
『本を読むか読まないかで、報酬の優劣は決まってくる。
本を読むことで限りなくエキスパートの報酬水準に
近づいていくか、
本を読まずに限りなくフリーターの報酬水準に近づいていく
かという分かれ道がある。
いっぽう、さまざまな仕事のなかで
時間あたりに稼ぐ効率が最も高いのは講演である。
講演者の高収入、
その根底にあるのは、聴衆を満足させるだけの知識だ。
彼らは、その知識を得るために必ず本を読んでいる。
もちろん、聴衆が期待しているのは、
講演者が本で得た知識ではない。
むしろ、だれも聞いたことがない、
その人が実際に体験したことの数々だろう。
しかし、人間はすべてのことを体験することはできない。
だとすると、資料を読み込んだり、信頼できる
書き手の著書を読んだり、
信頼できるネットワークからの情報を得て、
それに自らの体験を乗せて語っているはずだ。
ということは、1時間あたりに生み出す
付加価値の総量を上げるためには、
本を読むことが欠かせないといえる。』
現代は、変化の激しい、先の見えない時代だ。
「今まで通り」というような前例踏襲では、
何人(なんびと)もこの時代を乗り切ることはできない。
それは、お手本のない時代だと言ってもいい。
自分の頭で考え、
自ら解を求めていかなければならない。
その元となるのが、読書による教養や知識や情報だ。
エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

